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2話 落ちこぼれ

「――夢!? ……か」


 やけにリアルな夢だった。

 寝間着用のTシャツが大量の汗でしぼれそうなくらい濡れている。

 一日中付けっぱなしの扇風機の風が、温風かと思うくらい蒸し暑い二階の自室というのもあるとは思うが、それにしてもこれは酷い。


 一呼吸おいて落ち着きを取り戻し、部屋を見回す。焦っていたのが馬鹿らしくなるほど、いつもと変わらない光景がそこにはあった。

 テレビ、ゲーム、机にベッド必要な物は大抵あるが、ポスターなどは何もない。

 初めて部屋に来る奴が居るのならば殺風景だと思うだろう。

 

「洗面所に行くか……」

 

 くせ毛混じりの髪の毛をボリボリとかきながらベッドを出ると、引出しから着替えを取り出し、洗面所へと向かった。

 

 部屋の扉を開けた時だった、一階のリビングで親が観ているであろう甲子園の実況の音がショウトの耳に飛び込んできた。

 彼にとってその音は、耳元で飛ぶ蚊のように不愉快で仕方なかった。

 

「……最悪だ」

 

 彼の名前は『鍛冶ヶ谷 商人』(カジガヤ ショウト)落ちこぼれの高校三年生である。

 落ちこぼれと言っても不登校でもなければ引きこもりでもない。付け加えると無気力でもなく、コミュ障でもない。ただ少し垂れた目のせいかやる気がないと思われることもしばしば……。

 幼い頃に野球好き親の影響で野球を始めると、その楽しさに無我夢中に野球に打ち込んだ。その結果、めきめきと成長し、中学時代にはレギュラーとして全国大会に出場した経験もある。現在彼が通う高校も野球推薦で入るぐらいの実力の持ち主だった。

 食べても太らない体質のせいで体は細く、身長も平均そこそこ、そのお陰で力こそないが、それを補うだけの足の速さと守備力には定評があった。更にポジションがセカンドだった事もあり状況を把握する力と判断力には長けていた。

 だが昨年の夏、甲子園予選大会を目前にして肘を豪快に壊してしまったのだ。それこそが彼の人生を狂わせる最大の出来事、つまりターニングポイントだった――。

 それを期に大好きだった野球は大嫌いに変化しショウトは荒れた。親や友達への八つ当たり、酒やタバコに手を出し、学校へは気分で登校、そのせいで学力も低下。これでいまの彼、落ちこぼれの出来上がりというわけだ。


 ショウトは着替えのTシャツを手に漏ったまま勢いよく階段を降りた。向かうはずだった洗面所を素通りすると、勢いそのままリビングのドアを力強く開けた。


「――おい! ババア! 野球なんて観てんじゃねぇよ!」

 

 開口一番、親に暴言を吐くとは情けない。しかし、今の彼にとって野球というスポーツはそれほどまでに嫌いなものだった。

 

 リビングにはエプロン姿の四十半ばくらいの女性がソファーに腰掛け、お茶を飲みながら野球中継を見ていた。ショウトの母親だ。

 ショウトの母は小柄だが少しばかりぽっちゃりしている。昔はスリムだったのらしいのだが、ここ数年で少し肥えたようだ。髪はそんなに長くないが、パーマをかけている。


 ショウトはふとテレビに目線をずらす。するとそこには彼の通っている学校名と共に彼の元チームメイトたちが映し出されていた。

 それを目にしたショウトは更に苛立ちが増した。

 

「――あっ、おはよう! ゴメンねっ! 直ぐごはんの準備するから」


 ショウトの母は彼の存在に気付くと、困ったように微笑み、急いでテレビを消して台所へと向かった。せかせか動く母を目で追い、自分の前を横切ろうとした時、

 

「メシなんて要らねぇよ! こっちは誰かさんのせいで気分悪いんだよ!」

 

 そう吐き散らし、カウンターキッチンの上に置いてあった惣菜パンを手に取ると、開けたばかりのドアを勢いよく閉めリビングを後にした。

 閉めたドアの衝撃の余韻を背中で受け止め、ふと我に返る。そして、短く力のない息が漏れる。

 

「はぁ……、最近は落ち着いてきたと思ってたんだけどな……、やっぱ最低だなオレは……」

 

 野球が絡むと未だに自分をコントロールできていないとは、彼がまだ野球に未練がある証拠である。ショウトはそんな不甲斐ない自分に呆れながら洗面所へと向かった。

 

 洗面所で汗で濡れたTシャツを着替えて、部屋で暇潰を潰す。現在の時刻は11時、ショウトは今日、14時からバイトがあるのだが、変な夢のせいで中途半端な時間に起きてしまっていた。


 部屋に戻るなりショウトは時計を確認すると、適当にバイトまでの自由時間を逆算する……。

 

「しょうがない、とりあえずパン食ってゲームでもするか」


 彼はそう言うと、パンを袋から取り出し、テレビの電源を入れた。


 ショウトは現在アルバイトをしている。

 彼は野球を辞めてから遊びという遊びは片っ端からやった。悪友もできた。しかし、どれも野球の代わりにはならなかった。

 悪友たちに誘われても二度、三度と行く事はなく、その付き合いの悪さから誰もショウトを誘わなくなっていった。気付くと、彼は一人だった。

 

 そんなとき、街を歩いていると、あるレンタルビデオ屋のガラスにバイト募集の張り紙を見付けた。

 時間を持て余し、特にやりたい事もなかったショウトは金が欲しかった訳ではなかったが、家から近いという理由だけでそこへ応募した。

 人生初の面接とあって悲惨なくらいぐだぐだだったのだが、店長の人柄もあり無事に合格。晴れて働くこととなった。

 だが、このバイトが腐れ切ったショウトの日常を少しばかり変えた。本当に微々たる変化だが……。


 ゲームやDVD観賞をしているとあっという間に時間は過ぎ、気付いた頃には時計は13時半を回っていた。


「――やばっ! もうこんな時間だ! 急がないとまずい! 遅刻したら店長うるせぇからな!」


 ショウトはそう言って、直ぐ様立ち上がると、Tシャツ、ジーパンといういたってシンプルなバイト用の私服に着替た。その足で洗面所に行き歯を磨く、寝癖はくせ毛と馴染ませてカモフラージュ。簡単だがあっという間に準備完了その時間、推定五分。


 ショウトはバイトに行く前に八つ当たりをしてしまった母に謝ろうと一度リビングのドアに手をかけたが、


「……今はやめとこう……」


 そう呟き、ドアにかけた手を離した。実際のところ、彼はここ一年家族とろくに会話をしていなかった。そのせいか、気まずさと恥ずかしさが勝りその勇気が出なかったのだ。

 

――母さんには帰ったら謝ろう。

 

 そう心に言い聞かせ、母に気付かれないよう無言のまま家を出るのだった。

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