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1話 道化師は笑う

一瞬の出来事だった。

 

 まるで台風のような凄まじい突風が吹くのと同時に、まばゆい光が辺りを包み込んだ。その瞬間、ショウトの身体は宙を舞った。


 人が飛ばされるほどの風。

 人の体が風で飛ぶには風速六十メートル以上必要だと言われている。

 そんな数字を言われても実際に体験した人意外はピンとこないだろう。いや、くる訳がない。むしろ体験する事の方が困難だ。

 

 突然、風が吹いたと思ったらその瞬間、人身をブローでもされたのかと思うくらいの強い衝撃がショウトを襲った。何の準備もしていなかった体だ。衝撃と同時に口から唾液も飛んだに違いない。

 そう思いながらも、ショウトは宙に舞っている時間がやけに長いなと感じていた。本来なら生命維持活動に力を入れる所だが、残念なことに彼に何も見えていない。目を開けても、閉じても、ただただ白い世界が広がっているばかり。

 だからと言って彼は別に諦めた訳でも、死ぬと思っている訳でもない。なんなら走馬灯すらも見えていないのだ。


――これはあれだな、きっとゾーンってやつだ。


 そんなことを考えていると、急に浮いていた体に重みが加わる。どうやら重力が迎えにやってきたようだ。

 逆らう間も無くショウトの背中に衝撃が走った。

 

――痛っ! 

 

 幸いな事に、そんなに高い所を飛んでいなかったようだ。

 その証拠に、腹と背中に多少の痛みがあるものの大したことは無い。この通り体も正常に動く。ただ落ちた反動で頭でも打ったのか、心なしかクラクラする。

 

 真っ白だった世界に少しずつ色が足されていく。お陰で、すぐそばに何かが居るのはかろうじて分かる。しかし、目を凝らして見てもそれが何なのかハッキリとは分からない。

 一旦目を閉じて、首を左右に二三度、その後一周回す。見えにくい世界を取り戻すために出来る限りのストレッチ。

 

 再び目を開けると徐々にだが目にかかった靄が晴れていく。

 ここで初めて自分の置かれている状況を把握した。なんと、目の前には五メートルはくだらない、巨大な岩の集合体のような巨人が立ちはだかっていた。


「――おいおい、マジかよ……。これツーアウト満塁の守備よりもピンチじゃねぇか?」

 

 突然、巨人が動きだした。

 声にでも反応したのだろうか、巨人の目は赤く発光し、こちらを睨み付けているように見える。

 巨人がぎこちなく口を開けると光の粒子が口へと集まる。見たまんまおそらくビームかブレスの類いを吐き出すに違いない。

 だが、それを目の当たりにしても別に恐怖はない。

 万全な状態とはいかないが、今の自分ならこんな巨人でも倒せるそう思っていた。ただ、さっきの不意を突かれた衝撃で痛めたせいか身体が少しばかり重い。 


「おい! シールドだ! ミスリル鉱石を出してくれ!」

 

 いつものようにアイツに命令を出す。いつも一緒に居る頼りになる相棒だ。

 

 しかし、返事がない。とっさに辺りを見回した。だが、あろうことにさっきまで一緒に居たはずの相棒がどこにも居ない。


「サイクル? おい! サイクル! どこに居るんだよ! こんな時に隠れんなよ!」


 そう口早に叫んだ瞬間だった。

 激しい光線がショウトの左側を通過した。

 後方でダイナマイトでビルを爆破したかのような音が辺りに響いた。

 振り返ると岩が瓦礫のように無数に重なり砕けていた。

 緊張が走る。あれをまともに食らえば跡形もなくなる。そう思うと自然と脈が速くなっていく。先程までの余裕は光線で吹き飛ばされたようだ。

 急いで巨人に視線を戻し戦闘体制に入る。右腰の剣を抜こうと左手を回し剣柄を握ろうとした時、左腕に違和感を感じた。

 上手く剣が抜けない。それどころか掴む事すら出来ない。

 あの光線の威力に剣を握る事も出来なくなるくらいビビってしまっているのだろうか。いや、それはないはずだ。ここまで、何度も修羅場は越えてきている。少しは馴れているはずなのに。

 巨人に向けていた視線を左腕に移すと、


「まじかよ……冗談じゃねぇぞ……」


 あるはずの左腕が何処にもなかった。

 肩から下が綺麗に無くなり、肩の切り口は焼けるように黒く煙を上げている。そのせいか血は出ていなかった。

 不思議な事にそれほど痛みはなかった。強いて言えば肩の切り口の火傷位だ。

 しかし、左腕を無くした事により、焦りと恐怖が体の侵食を開始した。

 

「あぁ~~はっはっはっ! いぃぃ~~ひっひっひっ! あぁ~、いいですねぇ~、愉快ですねぇ~、まさかこ~んなに早くあれを使うなんて思ってもいませんでしたよ~」

 

 急に甲高い笑い声が響く。声に引っ張られるかのように巨人に視線を戻した。すると、巨人の肩の上で道化師が嘲笑うかのようにこちらを見下ろしていた。


「おっ、お前は! オレを騙しやがったな!」 

 

 姿形は違えど見た瞬間に『あの男』だと分かった。腰に着けた剣がそれを物語っている。

 

「騙すぅ~? ヴァ~カ言っちゃ~いけませんよ! 私は親切に教えたまで……。さぁ、もうお喋りはお~仕舞い、魔人ちゃん! あの男をやっちゃてちょ~だい!」

 

 道化師の鼻につく声を合図に再び巨人が動き出す。

 だが、巨体のせいかモーションがデカイ。あの程度の速度なら動きを予想するのも容易い。

 しかし、いきなり巨人のスピードが上がる。良く見ると巨人の肩の上で何やら奇怪な光が道化師から放たれていた。

  

「ちっ! 付加魔法か!」


 巨人が振り降ろした右手が勢いを増しこちらに向かってくる。

 準備する間も無くとっさに左に飛び退ける。

 飛んだのは良いが、肩より上に上がらない右腕と無くなった左腕のせいで受け身が取れず頬から着地。

 地響きと共に巨人によって破壊された地面が砕け、石つぶてが辺りに一体に飛び散る。

 飛び散ったつぶてが、うつ伏せで倒れ込んだ身体に容赦なく降り注ぐ。


――くそっ! 相棒! 何処に居るんだよ! この状況を打開するには何をしたら良い! 答えてくれよ! 

 

 自分の力を過信していた。この時初めて気付いた。結局一人では何も出来ないと言う事に。

 姿を見せない相棒を今まで自分勝手に振り回してきた。それでも、文句を言いながらも笑顔で着いて来てくれていた。

 まさか愛想を尽かしてしまったのだろうか。突如、寂しさと苦しさが心の臓を鷲掴みにする。

 

――やっぱオレみたいな落ちこぼれは嫌だよな……、昔のオレなら……。いや! まだ間に合うはずだ! アイツならきっと許してくれる! だから!

 

 「――オレは!」

 

 拳を強く握り、全てを振り払い立ち上がる。


「おや、おや~。よく立てましたねぇ~。だけど、次はどうですかねぇ~」

 

「うっせー! このデカブツを見たときからこのくらいは想定内だよ!」

 

 相棒が居ない今、自分でどうにかするしかない。相手に悟られないように虚勢を張って時間を稼ぐのが関の山だ。

 しかし、次の一手に備えて必死に辺りを見回す。


――くそ! 何かないか! このままじゃ本当にやべぇぞ! 何かないのか!? ……ん? あれは!

 

 さっきまで自分が立っていた場所には、巨人の一撃で出来たクレーターのような窪みが出来ていた。そのクレーター脇に何かが光っている。

 無くした左腕、昔の怪我で満足に使えない右腕、避けた時に擦りむいた頬、何も出来ない自分への苛立ちを活力に変えて全力で走り出す。

 迷う暇なんてなかった。これでダメなら正直言って終わる今はそう思っていた。

 

「あら? あぁ~! お目が高い! あんな所に金剛石! でも今のあなたじゃ~……、ぷっ! あ~、笑いが止まりませんねぇ~!」

 

 道化師は走る姿を見てか耳障りな笑い声を遺跡に響かせる。相当変な走り方なのだろうか。走りながら道化師を睨む。

 すると、道化師よりも、巨人が腕を振り上げ攻撃モーションに入っているのが目に入った。


――くっ! 急げオレ! もっと速く!

 

 巨人の攻撃よりも少し早く、落ちている金剛石に手が届いた。

 

「悪いな! これで形成逆転だぜ!」

 

 右手に握る金剛石にありったけの力を込め、祈る。

 

「うそ……だろ……」

 

 しかし、金剛石には何の変化も現れなかった。

 絶望的な状況に言葉を無くす。さっきまでの勢いが嘘だったかのように高揚した感情は身を潜め、再び恐怖が戻ってくる。

 

「あれ、あれぇ~? 何も起きませんねぇ~。ぷっ、あぁ~愉快、愉快! あなた最高ですよ!」


 道化師は全てを見透かしていたのか余裕の表情を終始崩さなかった。

 道化師の言葉の直後、ショウトの身体に巨人の放った右手が直撃。あらゆる骨が悲鳴を上げながら激しく遺跡の壁に叩き付けられた。

 

 ぶつかった衝撃で遺跡の壁は崩れる。

 地響きを上げながら崩れ行く壁にショウトは飲み込まれるしかなかった。なんせ身体が言うことを聞かないのだ。

 

――済まない……オレが……

 

 崩落した瓦礫の中で遠退いていく意識。最後に聞こえたのは、道化師のショウトを嘲笑うかのような不快な笑い声だけだった。

 

 そして、ショウトの意識は完全に世界と遮断された――。

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