其の十七
再び踏み込んだ玉江城は、覚えている城とは様変わりしていた。前回の時は、実は城内までは踏み込めなかった。敷地内までは入ることができたのだが、城門を破ることができなかったのである。
これは波瑠が戦上手であったとかそう言うことではなく、このままいけば自分たちが負けるのは必至、という判断が早かったために早々に降伏したせいだ。波瑠にはあまり根性論が通用しないのである。普通なら、最後にもうひと暴れ! となるところだろう。
それは置いておき。前回、城の中まで入れなかったので、玉江城は外観はかなりくすんでいたが、中はそこそこきれいだった。しかし、今回は中でも戦われたので、柱に刀傷があったり、床に血が飛んでいたり、様々だ。おそらく、先に川名氏が攻略したときについた傷もそのままになっているのだろう。
美しい城が汚されたようで、雅昭は少し顔をしかめた。雅昭たちが玉江についてから、ずっと、湖は荒れ気味である。やはり、力が強いという孝景に引きずられているのだろうか。船で侵入する間は湖面は穏やかだったというから、その可能性は結構高いのではないだろうか。
その孝景も、城の明け渡しに同行していた。明け渡しも何も、もともと孝景たちが住んでいた城だ。まあ、この戦国の世でそんなものは通用しないが。
「川名輝彦だな」
とらわれた雅昭の親ほどの年の男を見て言った。名は知っていたが、実際に会うのは初めてだ。切れ長の目をした、賢しそうな男だった。
「貴様が萩野の倅か。まだ小僧だな」
見下すように言われたが、相手が縛られているので恰好がついていない。
雅昭はとりあえず輝彦をどうするか迷った。どうすればいいんだろう。迷った雅昭は西山城にいるはずの泰文に伝令を送った。まだ戦が続いているだろうか。あちらは城攻めでも、守る側であるはずだから余裕はあるだろう。だが、伝令が入る隙があるかは謎だ。
一応、玉江城の座敷牢に放り込んでおき、雅昭は玉江城の被害確認を行った。城の基礎部分には被害はないようなので、たぶん、手直しくらいでまた使用できるだろう。食料、武器は誰かが焼き払う、もしくは持ち去ったらしい。誰か、頭の良いものがいたようだ。
自分の目でそれらを確認し、ふと思い立って雅昭は玉江城の祠に向かった。竜神が祀られているという、その祠。孝景が崩れた祠をせっせと直していた。
「崩れてしまったのか」
「あ、雅昭様。ええ……矢倉軍が破壊していったみたいですね」
孝景は持っていた大きめの石をよいしょ、と地面に置き、しゃがみ込む。雅昭も同じようにしゃがみ込んだ。
「祠が壊れてしまって、竜神は大丈夫なのか?」
「祠が壊れたことはあまり問題ではありませんよ。玉江を、矢倉氏が支配し続けることの方が問題でしたから」
膝に頬杖を突き、孝景は言った。ご神体である岩はちゃんと無事であるらしい。祠はただの入れ物にすぎず、大事なのは玉江城を支配する者の心もちなのだという。
玉江城主(もしくは城代)が今まで通り、竜神を敬い、祀れば竜神はその人を玉江城主と認める。玉江を守護してくれるのだという。玉江の領主が志摩氏である必要は、必ずしもない。
こんな話があるのだという。志摩氏は数百年にわたりこの辺り、つまり湖の側玉江を支配してきた一族だ。数百年続く志摩氏の中にも、竜神の話など迷信だ、というものはいた。中には祠を破壊し、ご神体を撤去してしまったものさえもいたという。
しかし、そう言う当主の時代、治世は荒れたという。領民による一揆、飢饉、洪水、日照り、地震、嵐。家臣の裏切り、疫病。当主も早死にや、裏切りによる死などを迎えたという。
もちろん、これが竜神のたたりだと言い切るには弱い。孝景も理解しているのかそう言った。しかし、竜神を祀っている間は比較的穏やかであったという。だから、志摩氏が竜神を祀るのは当然の流れなのかもしれない。
少なくとも、志摩の一族が不思議な力を持っているのは事実だ。孝景たちの叔母、かつての玉江城主雪路の先見の力や孝景の水への干渉力、波瑠の察知能力。第六感が優れている、水面が揺れるのを予測できる、など、言い訳をすることは可能であるが、霊的能力がある、と考える方が面白い。
「……ここは大丈夫ですよ。っていうか、雅昭様は何してるんですか? 城の状態を確認しているって聞きましたけど」
孝景が首をかしげた。こういうところ、本当に波瑠と姉弟だと思う。
「……いや、お前に言うことではないんだが、波瑠に、どう伝えようと思って……」
「ああ、城のことですか。……あと、兄上のこともですね」
「……そうだな」
雅昭は沈鬱な面持ちで顔を伏せた。波瑠が大切にしていた城を破壊してしまった。それに、弘孝のことも。
「彼女は怒るだろうか」
「姉上、怒ったらめちゃくちゃ怖いですもんね。でも、理不尽に怒る人じゃないですから」
幸いと言うか、雅昭は今のところ波瑠に本気で怒られたことはない。弟である孝景は幾度も怒られたのだろう。実質、弘孝と孝景の面倒を見ていたのは波瑠だからだ。
「兄上は、この城とみんなを護るために自刃しました。もちろん俺だって、矢倉氏が攻めてこなかったら、助けに行っていたら、と思うことはあります。でもそれは結果論なんですよね。俺達には叔母上みたいな先見の力はないから、先に予見することなんてできませんしね」
冷静に、孝景は言った。年下のくせに、雅昭よりもよほど落ち着いている……! と衝撃を受けていると、孝景はにかりと笑った。
「まあ、姉上の受け売りですけど。いつまでも落ち込んでたら、本当に姉上に怒られちゃいますよ、雅昭様」
孝景はそういうと、祠の修復に戻った。藤二郎の許可は得ているらしい。確かに、城の片づけもあらかた終わっていて、特にすることもないけど。
孝景も、弘孝も、意思と覚悟を持った人だと思う。二人とも、雅昭と年がそんなに変わらない。同い年でありながら、城と家臣、領民を護るために決断した弘孝。雅昭にはできない。
自分もそれくらいの覚悟を持てたらいいと思う。だが、現実はそう簡単に行かないものだ。雅昭はため息をついた。
泰文が西山城を攻めていた矢倉軍を追い返したと情報が入った。西山城の戦いと玉江城の戦いで多くの兵士を失った矢倉軍は、一度領地まで撤退するそうだ。これを知らせてくれたのはこっそり矢倉氏の動向を調べていた詩だ。雅昭はたぶん、矢倉氏の当主がいつの間にか暗殺されていても驚かない。
それはともかく、西山城を守りきり、国境線を押し返した泰文は玉江城にやってくるらしい。矢倉軍が撤退するときに、宇摩川城を放棄していったため、再び萩野氏の支配下に置くためだ。現在は、雅昭が一時的に家臣を送り込んで保持している。
「雅昭様。泰文様がご到着です」
「今行く」
玉江城の戦いと唐ノ原の戦いの戦後処理で忙しい藤二郎から声がかかった。戦後処理はややこしいのだ。完全に、藤二郎が主体となり、雅昭がお手伝い状態であった。もう少し勉強した方がいいかもしれない、とさすがに思ったしだいである。
「父上。はるばる、お疲れ様です」
「うむ。お前も玉江城の攻略、苦労であった。二度目の攻略なので、やりやすかっただろう」
「……そうでもありませんが」
やっぱり、玉江城は立地が悪いと思うのだ。特に攻める側には不利だと思う。
「そうか。しかし、弘孝殿のことは残念だったな」
「……ええ。私がもう少し早く到着していれば、と思うこともありますが……」
「それでも、助けられたとは限らん」
「わかっています」
『もしも』の話だ。ただの後悔の話。雅昭たちが早く到着しても助けられたとは限らないし、そもそも、戦場を放棄して助けに行くなど、それこそ波瑠に怒られる気がする。
「そう言えば、北水の城にも寄ってきたのだ。文姫も波瑠殿も息災であったぞ」
「……それは何よりです」
というか泰文、余裕である。まさか西山城の戦いを終えてから、通過地点にあるとはいえ、北水城に寄ってくるとは。
「二人とも、お前のことを心配していたぞ」
「……はは。私、そんなに頼りないですかね」
と、聞いてはみたが、自分でも自分は頼りないなぁと思うのだ。周りにしっかり者が多いからか? と、人のせいにしてみる。
「波瑠殿は、お前が心優しいからだ、と言っていたぞ。仲が良いようで何よりだが、お前も父になるのだから、波瑠殿の半分くらいはしっかりしたらどうだ」
「今の私は波瑠の半分もしっかりしていないということ……って、はい? いや、ちょっと待ってください」
泰文の言葉に返そうとして、雅昭は返答に詰まった。波瑠の半分もしっかりしていないと思われていることも衝撃だが、その前に何か不思議なことを言われた気がするのだが。
「どうした?」
「いえ、今、私が父になる、と?」
雅昭が聞き返すと、泰文は驚いた顔をした。
「まだ聞いておらなんだか。しまったな」
とはいったが、どちらかというと面白がられている気がする。泰文は人の悪い笑みを浮かべて言った。
「波瑠殿が身ごもっているそうだ」
……さすがにそれは、本人から聞きたかった。何が悲しくて父親から聞く羽目になるのか。雅昭はため息をついた。
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