其の十五
雅昭は宇摩川の手前、唐ノ原に仮の陣を構えていた。本陣はあくまでも玉江城である。唐ノ原と玉江は、そんなに離れていない。玉江城では籠城戦の準備が進んでいるはずだが、そうはなりたくないというのが実のところ。
「今日は気温が高いですが、明日の未明には寒くなり霧が出るでしょう。そのまま、午前中は雨になるでしょうね」
しれっと天気予報をしたのは孝景であった。彼の姉波瑠が言った通り、孝景の霊能力は強いのか、彼の天気予報はよく当たる。
「霧が出るのならば好都合。朝駆けを仕掛けましょう」
藤二郎は迷わずに言った。先行している偵察部隊によると、敵は八千ほど。対して、こちらは五千ほどだろうか。しかも、萩野の軍と言っても、元から仕えている者たちと、領地が併呑されて萩野氏の支配下に入った者たちでは、練度も勢いも違う。ここをうまくまとめられるかが腕の見せ所だ。
「だが、その朝駆けを読んでいる可能性がないか」
雅昭が尋ねると、「そうですね」と藤二郎はあっさりうなずいた。自分だったら警戒しているだろうとのことだった。
「そこを何とかするのが、我らの役目です」
と、藤二郎、頼もしい。丸投げで申し訳ないような気もするけど。彼は言った。伊達に兵を分けたわけじゃない、と。
「相手が数で勝っている場合、あまり兵を分けるということはしたくないのですが……今回は側面を突きたいので、仕方がありません」
「……すまん。私にもわかる言葉で言ってくれ」
雅昭が理解を断念すると、ため息をつかれた。
「要するに、朝駆けもおとりなのです」
そして、そのおとりに気をとられているうちに側面から矢倉軍を突き、陣列を崩してしまおうということだ。基本的に、予期せぬことが起きれば人間は混乱するものだ。そうなれば、当然だが陣形は崩れる。
「ま、こちらは泰文様の軍が到着するまで時間がかかりますからね。早急にお帰り願いましょう」
ということらしい。孝景が「藤二郎様、すごいですね」と目を輝かせた。
「姉上みたいです」
「……地震の復興作業の時も思いましたが、どうやら、波瑠様と私は考え方が近いようですからね」
無理もありません、と藤二郎は孝景の言葉を肯定した。
波瑠が城主であった玉江城を雅昭が落とした時、彼は物量戦を仕掛けた。玉江はもともとの人口が少ないので、動員できる兵の数にも限界があった。そのため、藤二郎が「数で攻めるのが良いでしょう」と言ったのだ。
そんなこんなで翌日。朝駆けを仕掛けるのは、霧が出ること前提であったが……。
「すごいな。本当にあたるんだな……」
「これくらいなら雅昭様にもわかるようになりますよー」
と、見事予報を的中させた孝景が笑った。これは霊能力と言うよりは、今までに培われた経験値が大切なのだそうだ。それにしても見事に霧が出た。水に関係するから、当てやすいのかもしれない。
そう言えば玉江城を攻めた時も、なかなか川の水が減らなかったり、いざ出撃、という時に雨が降って地面がぬかるみ、思うように進軍できなかったりした。やはり、あの土地は守られているのかもしれない、と雅昭は思った。
矢倉軍の陣形が崩れていく。平野なので完全には確認できないが、雅昭はそれを肌で感じ取った。
唐ノ原が戦場と化していく。早朝の雨がやみ、昼に差し掛かったころ、一進一退を繰り返していた戦況に思わぬ報告が入った。
「伝令です! 伝令です!」
「どうした!」
藤二郎が陣中に駆け込んできた伝令兵に声をかける。伝令兵は雅昭と藤二郎の前に膝をつくと、「はっ!」と答える。
「玉江城主弘孝様より伝令です! 玉江城が矢倉軍によって包囲されたとの由! 玉江城は既に、本陣として機能しておりません!」
「な……っ」
目を見開いた雅昭に、伝令兵は続ける。
「……弘孝様からは、陣を下げる場合は玉江を避けるように、と仰せつかっております」
「……」
弘孝は玉江を見捨てろと言ったのだ。雅昭にも、それが最善だとわかる。だが、理屈では分かっていても、心情は追いつかないものだ。
「……心情としては助けに向かいたいが……」
「逆に言えば、玉江城で弘孝様が防衛戦をしてくれている間、これ以上矢倉の増援はないということでしょう」
「……」
要するに藤二郎は玉江に気をとられずにここで矢倉軍を壊滅に追い込んでしまえばいい、というようなことを言っているのだ。言っていることはわかる。わかるが……。
「納得できない……」
「そうでしょうね。私もです」
と、藤二郎はあっさりと認めた。納得できなくても、そうするしかないこともある。
一瞬目を閉じた雅昭はすぐに目を開いて言った。考えるのは藤二郎でも、結局決断を下すのは雅昭だった。彼が大将だ。
「……よし。私たちはこのままここで矢倉氏をたたく。玉江城の状況は知らせてくれ」
「わかりました」
藤二郎を含めた家臣たちがうなずく。正直、玉江城の様子が気になるが、この唐ノ原の戦はこちらが押している。ここを放棄するわけにはいかないことは、雅昭にもわかる。それくらいは戦況が読めているつもりだった。
唐ノ原の戦は萩野側の勝利に終わった。しばらく様子見のために唐ノ原からは動けないが、玉江城が落城したという報告は入ってきた。この一年の間に、難攻不落と言われた玉江城は二度も落城を経験した。
雅昭たちが落とした時は、萩野氏側の思惑で城主であった波瑠をはじめ全員がそのまま萩野氏の配下に下ることになった。だが、矢倉氏は彼らをどう扱うだろう。祈るような気持ちで唐ノ原を発ち、玉江城の近くまで来た時にその状況はさらに詳しくわかった。
矢倉氏によって落城した玉江城は、城自体は崩れていなかった。城主である弘孝は城内で自刃、その首を持って許しを請え、と原村に矢倉氏の陣に向かわせたらしい。しかし、原村はそこで切られ、弘孝と原村の二人の首は玉江城の城門前にさらされたらしい。玉江城は矢倉氏の侵入を許した。
現実味がない。だが、玉江城を姿を遠くから確認し、本当に落城したのだ、ということを察した。
「矢倉氏の動きは?」
「今、西山城に向かって進軍中ですね」
「……北水城を避けているのか」
西山城は北水城の隣の城だ。矢倉氏が玉江城を落としたのなら、そのまま都に向かうことができる。それでも、西山城に向かったということは、矢倉の領地の方に一度戻り、それからまた進軍を開始したということだ。矢倉の領地から北湖地方に向かえばまず出くわすのが宇摩川城。その後に北水城だ。だが、あえて西山城に向かったということは、北水城を避けたということだ。
「まあ、うちの姫様がいろいろと罠を用意していましたからね」
しれっと言ったのは、いつの間にか合流していた詩だった。いや、本当に気づいたらいたのだ。いつ合流したのだ。
「それを察して西山城に向かったということですか」
「姫様お得意の情報操作ですね。西山城には今、泰文様の軍が向かっています」
「あ……なるほど」
雅昭は納得してうなずいた。おそらく、波瑠は現在あまり戦力のない北水城ではなく、西山城に向かわせるように仕向けたのだろう。
しかし、やはり問題は玉江城だ。何度も言うが、萩野氏の領地から都に向かうにしても、やはり玉江を通らなければならないのだ。そこが敵の手に落ちた。正確には、湖を迂回すれば行けないことはないのだが、かなりの遠回りとなる。
どちらにしろ、父泰文からの命令待ちになる。雅昭はため息をついて遠くに見える玉江城を見つめた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。




