其の十三
雅昭は詩が捕らえていた、文姫を襲ったという忍びを見て困り果てていた。何をかというと、彼は見ても忍びの違いが分からないのである。
「えっと、詩が捕らえたのだったか?」
「いえ。恥ずかしながら、姫様の方が早かったので……」
「そうか」
詩が悔しげに言った。護るはずの波瑠に先を越されてしまったからだろう。
「忍びは一人だと思うか?」
「あり得ません」
波瑠と詩の答えが一致した。雅昭も「やはりな」とため息をつく。
「一人いたのなら、十人はいると考えるべきだな」
「うまく城の人間に成りすましているものと考えられます。誰か手引きした者もいるはずですが……今もこちらの情報が流れているものと考えるべきでしょう」
「間者を見つけ出すことはできないのか?」
雅昭が波瑠と詩を交互に見る。詩が「不可能ではありません」と答え、さらに驚くべき証言をしてくれた。
「私が確認したところによると、この城には複数の大名家より二・三の忍びが差し向けられています。私が把握できている数だけでも二十人近くに上ります」
「……そうなのか」
「はい。なので、全て追い出してしまうとこの城が回らなくなってしまうかと」
「……」
どうやら、かなり深くまで侵入されているらしい。雅昭はがっくりとうなだれた。詩は素っ気なく言う。
「まあ、こちらから何かしようと思わなければ、基本的に無害です。とりあえず、情報管理には気を付けることですね」
「そうしよう……」
藤二郎と重成の親子なら抜かりないと思うが。雅昭の日記の管理も気を付けるべきだろうか。いや、これはいいのか……。かなり混乱している雅昭であった。
とりあえず、忍びの方は始末することにした。それから文姫の様子を見に行こうと立ち上がった雅昭を、波瑠が留める。
「雅昭様」
「なんだ?」
彼女が袂を引っ張るので、雅昭は少し体を傾ける。背伸びした波瑠が彼の耳元でささやいた。
「間者が多い以上、情報をかく乱する必要があります。藤二郎殿と相談する必要があるかと思いますが、偽の情報を流すことも考えるべきかもしれません」
「……なるほど」
雅昭はうなずくと、彼女を支えていた手を放した。それから二人は文姫の様子を見に行く。詩は家臣がやってくるまで忍びの監視をしていることになった。
「波瑠。詩は忍びなのか?」
「さて、どうでしょうね? 一人くらい、志摩氏の忍びが入り込んでいてもおかしくはないのでは?」
そう言って波瑠はいたずらっぽく笑った。年上の余裕か、からかわれているようで面白くない。だが、雅昭は納得した。
「なるほど。わかった」
やはり、詩は忍びなのだろう。しかし、彼女は波瑠命だ。雅昭が波瑠を大切に扱う限り、彼女は何もしてこないであろう確信があった。
文姫は襲撃にあって怖がっていたが、波瑠が迅速に対応したためか思ったより落ち着いていた。それより、気になるのは藤の方だった。自身の折、彼女はかなりの怖がりであることが発覚したのだが、彼女も落ち着いていて、いつものすまし顔だ。
「大丈夫か、文姫」
「何のことですか?」
文姫はこんな感じなので、自分が狙われたこともわかっていないかもしれない。波瑠はどんな反応をしたのか気になるところである。
「お待ちください。矢倉の殿様が攻めてきたと聞きました。文姫様は矢倉に返していただけるのですよね?」
藤が直球で尋ねた。文姫が「何の話?」と藤の方を見る。雅昭は違和感を覚えたが、下手なことを言わないように「対応を検討中だ」とだけ答えた。藤は強い口調で言った。
「できるだけ早く帰して下さいまし」
「え、わたし、かえりたくないわ!」
ここで意見の不一致。考えておく、とだけ伝えて、部屋の外で待っていた波瑠を迎えに行った。
「どうでしたか?」
「……藤の様子がおかしかった」
「でしょうね」
波瑠はこともなげに言うと肩をすくめた。どうやら、藤がおかしいことにすでに気づいていたようだ。
「矢倉に帰せと言われませんでしたか?」
「言われた。検討しておく、とは言ったが……」
「それでよいと思います」
波瑠がうなずいたので、雅昭はちょっとほっとした。戦はともかく、情報戦に関しては、彼はあまり自信がなかった。
「もともと、藤は変だなぁと思っていたんだが……波瑠と詩が来てからは特にそう思うようになった」
「詩もまた特殊ですが、藤はおそらく、間者なのでしょうね」
詩も忍びであるが、ここは気づかなかったふりをしておこう。今のところ、情報を流しているのは詩ではなく、藤の方だからだ。
「外に出したほうがいいと思うか?」
「いえ。近くに置いて監視すべきでしょう。藤と文姫様を引き離す理由もありませんし、一緒に外に出せば、文姫は殺され、その罪はこちら側になすりつけられるでしょう」
波瑠が小声だがはっきりと言い切った。文姫と藤を二人とも矢倉に送り返そうにも、その途中で文姫は始末されてしまうだろう。かといって、この二人を引き離し、藤だけを送り返すのも不自然だ。よって、二人を留めて監視した方がいいということだろう。文姫に対しては、警備の意味もある。
「それに、藤が知りたがることで相手の動きも読めますからね」
「それは私にはできない技能だ……」
雅昭の言いように、波瑠はくすくすと笑った。
「雅昭様、波瑠様」
孝景をつれた藤二郎がやってきた。孝景が波瑠を見て嬉しそうな表情になる。波瑠が甘やかしすぎたかしら、とつぶやいた。
「とりあえずの方針を決めましょう。矢倉氏に対抗するために、志摩氏の力は絶対に必要ですので、波瑠殿と孝景にも同席していただきます」
波瑠にも孝景にも異議はないようだ。少人数になるが、先に大まかな方針を決めてから軍議を開いた方が良いだろう。それに、萩野の当主である泰文からの下知もまだ届いていない。
四人は雅昭と藤二郎が執務室として使っている部屋に入った。ここは襖などはないが、一応、気休めとして御簾をすべて下げた。波瑠と藤二郎によると、このいかにも密談しています! という雰囲気が大切らしい。
「とりあえずの陣は、玉江城に張りましょう」
「わたくしもそれが良いと思いますが、よいのですか? 玉江城は門が一つしかありません。そこをふさがれてしまえば、残り三方は湖、海の上なのですよ」
玉江城は美しい城だが、確かに防衛には向かないと思う。この時代には珍しい『見せる城』なのだ。玉江城は湖の中に建てられており、城と陸地をつなぐのは一本の橋だけ。それを落とされてしまえば、玉江城から出られなくなってしまう。
「だが、波瑠も玉江城に本陣を置くことは賛成なのだろう?」
雅昭が先ほどの波瑠の言葉を思い返し、言った。波瑠は「ええ」とうなずく。
「玉江城はある意味、籠城戦向きなのです。橋さえ落としてしまえば、敵が侵入してくることはありませんから」
「確かに……出ることもできないけどな……」
「その通りですね」
肩をすくめて波瑠は同意した。確かに、閉じこもれば攻撃が届かなそうだが、こちらかも攻撃できなくなるし、逃げられなくなる。籠城戦は悲惨だ。幸い、雅昭は経験したことはないが、食料があり、補給路が生きている間はいい。だが、食べるものが亡くなると人々は憔悴していく。
「籠城戦と言うのは、援軍があることを前提で行うものです。わたくしが領主であった頃なら絶対に行いませんでしたが、今なら」
波瑠が領主だったころ、つまり、志摩氏が萩野氏に下る前の話だ。確かに、あのころに籠城などしようものなら、みんなで仲良く餓死する未来しか見えない。
しかし、今なら萩野氏の援軍が来る。萩野氏としても、玉江の領地を手放したくない。状況を見て、使えるものは使えるだけ使うのだ。
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