大切な映画
扉をくぐった私は男性と女性の絵が飾られた廊下を歩いていた。
ポタリ、ポタリとずぶ濡れの私から水滴が垂れる。
「……」
少し前まで繰り広げられていた生死をかけた出来事が嘘だったかのように、私はとても穏やかな表情をしていた。
私の大切なこと、学ぶべきことがすぐそこに近づいている。
そんな予感が過去の恐怖を払い去った。
私は無言で前を向いて歩き、そして扉についた。
洋風の木で作られた扉。まるで小さなカフェの入り口のように素朴で美しい扉だった。
私はドアノブに手をかけた。
「この部屋に……ある……」
私は小さくつぶやいた。
ついに大切なことがわかる。待ち焦がれていた瞬間が訪れる。
しかし不思議と私の心はとても落ち着いていた。
この瞬間が訪れることは当然のような気がしていた。
まるで運命のようだと私は思いながら、扉を開けた。
*
中は真っ暗だった。どこが壁でどこが天井なのかわからない。
その広さのわからない真っ暗な空間でポツンと一箇所だけライトが照らされていた。
そこにはスクリーンとソファが置いてあった。
そしてソファの後ろから生えている形で異形の物体が存在していた。
黒いタキシード。
白い手袋。
映写機からまるで背骨のように生えている太いコードの束。
肋骨のように胸についている箱。
まるで上半身の骨しかない骸骨がタキシードスーツを着ているようだった。
住居人はその頭にあたる映写機をゆっくりとこちらに向け、無言のまま深くお辞儀をした。
「どうも。初めまして」
私も頭を下げ挨拶をする。
頭をあげた映写機は私を指差し、その後ソファを指差した。
「そのソファに座ればいいの?」
私はその映写機の示すとおりにソファに向かって歩いて座った。
映写機は私がソファに座るのを確認すると胸にある箱からタオルを取り出した。
そして映写機は優しい手つきでずぶ濡れの私を拭いた。
「わっ……!ありがとう」
突然のことに私は少し驚いたが、拭いてくれたとすぐに気付いてお礼を言った。
次に映写機は箱からコーヒーを取り出し、私に渡した。
黒い水面から白い湯気が立ちのぼる。
「ごめんなさい。コーヒーは砂糖とミルクが無いと飲めないの……」
ブラックが飲めない私は申し訳なさそうな顔をして謝った。
すると映写機は再び箱を開け、ミルクと角砂糖をいくつか取り出した。
「あははっ。ありがとう。あなたって紳士なのね」
私はお礼を言い、ミルクを1つと角砂糖を何個も入れ、コーヒーを飲んだ。
コーヒーとは形容しがたい甘い液体が口の中に広がり、冷えた私の体を温めていった。
コーヒーを飲んでいると、映写機が私の顔を覗き込んできた。
映写機が私の事を見つめる。
不思議と私は不快な気分にはならなかった。
私も映写機の事を見つめる。
物音ひとつない、静かな時間が流れた。
すると映写機は顔をあげてから胸にある箱を開け、フィルムを一つとりだして頭に取り付けた。
そして私の肩を優しく叩き、スクリーンを指差した。
「映画を見せてくれるの? ありがとう」
私はアンドリューを膝に乗せ、前にあるスクリーンの方を向いた。
映写機のレンズから光がはなたれ、スクリーンに映像を映し出す。
私の期待とジーという音と共に、映画が始まった。
3
2
1
………
……
…
映し出されたのは大学のようだった。
多くの人で溢れかえる教室。様々な人が友達と共に笑いながら話し合っている。
一人の気弱そうな男性が映し出された。
「……」
男性は楽しそうに笑っている周りとは違い、一人静かに本を読んでいた。
本を読んでいると走り回っている男が男性にぶつかり、男性は本を落としてしまった。
「……!!」
男性は慌てて拾おうと本に手を伸ばす。
男性の手は反対側から伸びてくる手と重なった。
「あ……」
「あ……」
二人は同時に声を発し、同時に顔をあげた。
男性は綺麗な黒髪をした美しい女性と目があった。
ザーッという音と共に場面が変わった。
映し出されたのはどこかの草むらだった。
読書をしている気弱そうな男性の背中に寄りかかりながら、美しい女性は花を眺めていた。
「……」
「……」
風の音と草木が揺れる音がする。
男性と女性は口を動かさない。
しかし2人はとても安らかな表情をしていた。
ザーッという音と共に場面が変わった。
映し出されたのは教会だった。
黒いスーツを着た男性と綺麗な白いウェディングドレスを着た女性が向かい合っていた。
「誓います」
2人は見つめ合い、ゆっくりと顔を近づけた。
ザーッという音と共に場面が変わった。
映し出されたのは家の中だった。
「……」
本でいっぱいの部屋が映し出される。
その部屋で男性は穏やかな表情をうかべながら本を読んでいた。
「……」
リビングが映し出される。
その部屋で女性は優しい表情をうかべながら料理を作っていた。
ザーッと言う音と共に場面が変わった。
映し出されたのは病院の一室だった。
「よく頑張った! 本当によく頑張った!」
男性が笑いながら涙を流し、両手で赤ん坊を抱きかかえていた。
「……」
女性はベッドに横たわりながら優しい微笑みで男性の抱えている赤ん坊を見つめていた。
ザーッという音と共に場面が変わった。
映し出されたのは家の中であった。
リビングで男性と女性と子供が笑顔で食事をとっていた。
「あぁ本当においしいよ」
「うふふ。ありがとう」
ザーッという音と共に場面が変わった。
映し出されたのは草むらだった。
男性と女性と子供が手をつなぎながら笑顔で歩いていた。
「懐かしいな……」
「そうね……」
ザーッという音と共に場面が変わった。
映し出されたのはおもちゃ屋さんだった。
男性がクマの人形を子供に渡していた。
「ほーらクマのアンドリューだぞ!」
「うふふ。初めての友達ね」
ザーッという音が流れる。
しかし映像は流れず、画面は乱れたままだった。
しばらくして病院の一室が映し出された。
「……」
頬がこけた女性が点滴に繋がれながら窓の外を眺めていた。
「……」
男性は女性のそばでじっと座っている。
窓から風が流れ込み、女性の美しい髪をなでる。
風で揺れる髪を抑えながら女性は男性を見つめた。
「もし……私が死んだら……」
「あの子のことを……守ってあげてね……」
穏やかな女性の声が響く。
「あぁ……絶対に守る……」
「僕のすべてを……あの子のために捧げよう……」
力強い男性の声が響く。
ザーッという音と共に場面が変わった。
映し出されたのは本の少ない部屋だった。
「今日子のために……」
男性はそうつぶやきながら内職の品を作っていた。
ザーッという音と共に場面が変わった。
映し出されたのはスーパーだった。
「今日子のために……」
男性はそうつぶやきながら大きなダンボールを運んでいた。
ザーッという音と共に場面が変わった。
映し出されたのは仏壇の置かれたリビングだった。
男性は仏壇の前に座っていた。
「今日子が帰ってきたよ。あの子は最近元気がないみたいなんだ。きっと僕の努力が足りていないんだな……」
男性は力なく笑い、俯いた。
「僕の方がいなくなれば良かったのに……」
男性は俯きながらつぶやく。
「……いや! 僕の努力が足りていないのなら、さらに努力をすればいいんだ。もっと今日子が好きなものを買える様にお金を貯めなくてはね」
そう言って男性は自分の頬を叩いた。
ザーッという音と共に場面が変わった。
「今日子!! 待ちなさい!!」
そう言いながら男性は玄関で手を伸ばしていた。
男性は外に出ようとしたが、立ち止まった。
「僕に追いかける資格があるのだろうか……あの子があんな行動をしたのは僕が原因なんじゃないだろうか……」
男性は伸ばしていた手をゆっくりおろした。
男性はリビングの椅子に座り、頭を手で支えながら俯いていた。
「今日子。僕はダメなお父さんだ。愛を求める年頃の今日子に僕は愛を上手く与えられなかった。来る日も来る日も、私は仕事ばかりをしていた。今日子のためにと思ってとっていた行動もすべて裏目だった」
「今日子が言っていたな。お父さんは今日子のことを見ていないと。その通りかもしれない。僕はきっと不安だったんだ。自分に自信を持てない僕が今日子をちゃんと守ってやれるのかわからなくて、怯えていた」
「……まだ自分に自信を持てない僕に……あの子を追いかける資格はあるのだろうか……」
男性は顔をあげ、玄関の方を見つめた。
男性の視界に微笑みを浮かべている女性の写真が映った。
「おまえ……」
女性は男性を応援するように優しく微笑んでいた。
「そうだ……そうだったな……私は大切なことを忘れていた……あの子につけた名前のようにまずは僕が生きないといけない。このままでいいわけがない! 僕は確かに良い父親になれる自信はないが、今日子をこのまま1人にするわけにはいかない!」
「僕はもっと今日子のことを見ないといけない! 今日子のためにではなく、今日子の目を見て、今日子と共に生きねばならない! そのためには今あの子を一人にするわけにはいかないんだ!!」
部屋に響く男性の声。
男性は立ち上がり、今までのように気弱な表情ではなく、力強い表情で家を飛び出た。
ザーッという音と共に画面が少しずつ白くなっていく。
ザーッという音が小さくなっていき、代わりに赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。
そして安らぎを感じる優しい女性の声が響いた。
「ありがとう……私たちのもとに生まれてきてくれて……」
「ありがとう……元気に泣いてくれて……」
「私は今日という日を忘れない……そしてこれから来る幸せな明日も忘れない……」
「幸せな明日を迎えるために……今日という日を幸せに……今日という日を大切に……」
「今日を幸せに、そして大切に生きる……そんな名前をあなたに……」
「そう……あなたの名前は……『今日子』……」
「今日と、明日と、これからずっと先も、幸せになれますように……」
………
……
…
カラカラとフィルムが空回りする音が静かな空間に流れる。
私は涙を流しながら何も映らないスクリーンを見つめていた。
「お父さん……」
私は俯いた。
「私をこんなにも愛してくれていた。普段、私のことを見ていないと思っていた。でもそれは私のことを大切に思っていたからなのね……お父さんの愛に気付けなくてごめんなさい……私の方こそダメな子供よ……」
私の目から流れる涙は止まらない。
「お母さん……」
私は俯いた。
「私にこんなにも愛のある名前を付けてくれてありがとう。私は名前の意味も知らずにこの名前を嫌っていた……そんな私が馬鹿らしいわ……こんなにも大切な意味があるのに……」
私は涙をぬぐった。
「私、馬鹿だった。私にはこんなにも大切なことがあるのに気付いてなかった」
「私、お父さんの愛を受けるだけじゃなくてお父さんにも私の愛を伝えるように頑張る!」
「私、お母さんがつけてくれた名前のように今日を大切に生きる!」
「お父さん! お母さん! 私の親になってくれてありがとう!!」
私の目から流れる涙はやはり止まらなかった。
しかし私の顔は幸せの笑顔で溢れていた。
ガチャリという音と共にライトがもう一つ点灯された。
そこには扉があった。
「ありがとう。あなたのおかげで大切なことに気が付いたわ」
扉の前に立った私は映写機の方を向き、頭を下げた。
「あなたはとても紳士で素敵な人。私、あなたのことも大好きよ」
私が笑顔でそう言うと、映写機は照れ臭そうに頬をかく仕草をした。
「あははっ。私の映画を見せてもらったから、また会ったら今度はあなたの映画を見せてね!」
そう言って私は手を振った。
手を振る映写機を見つめながら、私はゆっくり扉を閉めた。




