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虚無子の冒険。  作者: 愛謳歌
8/14

大いなる悪意

 扉をくぐった私は黒い渦の絵が飾られた廊下を歩いていた。

 輝きに満ちた眼でまっすぐに前を見つめ、力強い足取りで私は歩いた。

『あたしたちは一生友達じゃ!』

 愛ちゃんの最後の言葉を思い出す。

「一生の友達……」

 私は呟き、笑った。

 大きく振っていた左手で前髪に触れる。

 今まで固く閉ざしていた髪を開いたヘアピンに触れた。

 アンドリューの手を握っている右手に力を入れる。

 大切なものに触れながら私は進み、扉についた。


 薄汚いパイプが組み合わさって出来た扉。

 私はドアノブに手を掛けた。不吉な予感が頭をよぎる。

「この部屋……すごく嫌な感じがする……」

 異様な雰囲気を醸し出す扉に私は少し気圧される。

 私は手を下げ、一歩後ずさった。


『いつかは立ち向かう勇気をもたねばならぬ』

 愛ちゃんの言葉が脳裏に蘇る。


『自分を信じる心が勇気に変わる。まずは自分を信じてみるのじゃ』


 私は再びヘアピンに触れた。

「私は大丈夫。信じてて、愛ちゃん」

 私がまだ知らぬ私自身を信じてくれる友達。

 その友達を信じ、扉を力強く開けた。


 雨が降っていた。


 *


「雨?」

 予想だにしなかった展開に私は驚いた。

 私は雨が落ちてくる天井を見ようとした。しかし見上げてもそこに天井はなく、灰色の空と雲があった。

 両脇には灰色のコンクリートでできたとても高い建物がそびえ立っている。

 部屋の中はまるで細い路地裏のようだった。

 見上げていた私は徐々に視線を落とした。建物の群れがどこまでも長く続いており、端が見えない。

「すごく広い……」

 私はこの1本の路地が永遠に続いているように思えた。


  どこまでも続く路地を眺めていると、ガチャリという音がした。

「え!?」

 私は再び起きた予想だにしない展開に驚きの声を上げた。

「鍵が開いたの? まだ誰とも会ってないのに」

 私はノートを取り出し、中を見た。しかしそこには真っ白なページしかなかった。

「やっぱり誰とも会ってないわよね?」

 私は酷く困惑した。

「……とりあえず鍵が開いたのなら、あとは扉を探すだけね」

 私はノートが濡れないようリュックに戻し、歩き出した。


 雨はポツリポツリと降り続く。私は時々地面にある水たまりを踏み、ピシャッという音を立てながら歩いた。

 歩いても歩いても扉は見当たらず、横には灰色の壁しかなかった。

「駄目ね。この建物には扉がないのかも」

 そう言って私は右に曲がり、別の路地裏に入った。

 さっきの道よりも狭く、私は肩をこすりながら進んだ。

「ちょっと進みづらいわね。でも意外とこういう道にあったりして」

 ピシャッという音が鳴り、私の靴を汚す。

 私はそれを気にせず、まっすぐに先を見つめた。


 ………

 ……

 …


 何本目の路地裏を歩いたか。相変わらず雨と灰色の壁は続く。

 代わり映えしない風景に流石に飽きた私は契約書を取り出し、見た。

 5つの欄に日本語ではない文字が書かれている。そして残りの5つの欄は空白であった。

「私は5部屋訪れたのね」

 私は今までの部屋を思い返した。


 本の海の妖精。

 笑い続ける玉。

 ほくそ笑む小悪魔。

 緑色をした化け物。

 そして白い髪とピンクのヘアピンを輝かせる愛ちゃん。


 決して長い時間をかけたわけではない。しかしそれらの部屋を思い返すと、今までの人生よりはるかに色々なことが起きた気がした。


 初めて起こした悪意ある行動。

 初めて言ったやめてという言葉。

 初めて見透かされた私の心。

 初めて感じた死の恐怖。

 初めて作った友達。


 今までの部屋で私は多くの経験をし、学んだ。

 私は5つの空欄を見つめた。

『今日子はこの先の部屋で大切なことを学ばなくてはいけないのじゃ』

 愛ちゃんが言うにはこの5つの部屋に大切なことがあるらしい。

「大切なことって何だろう……」

 人の口からではなく私自身の力で知らねばならぬこと。私はそれが何なのか考えながら、契約書をリュックにしまい、再び歩き始めた。


 ………

 ……

 …


 歩いていると大きめの路地裏に入れる曲がり角を見つけた。

 そして私は立ち止まった。

 部屋に入る前に感じたのと同じ予感がした。不吉な、禍々しい予感。

 曲がった先に何かがいる。良くない何かが。

 今までの経験からか、私はそう確信できた。


 大粒の雨がポツポツと降る。

 ピシャリ……ピシャリ……と踏まれた水たまりが鳴る。

 曲がり角が近づく。体が重くなる。手を強く握る。重々しく足をあげる。

 曲がり角についた。

 あと一歩でも進めば横にある壁は無くなり、路地裏に何がいるかわかる。

 アンドリューの手を強く握る。

 私は足をあげ、一歩前に踏み出した。

 そして力強い瞳で私は路地裏にいる何かを見つめた。


 遠くに白色の化け物が立っていた。

 遠くにいるせいで詳細はわからない。ただとても大きいことはわかった。

 私は白い化け物をにらむ。

 白い化け物が顔を上げたように見え、おぞましい声が響いた。

「虚無子だぁ!」

 低く、醜く、大きい声が周りの建物に反射して路地裏全体に響いた。

 ビリビリと私の体が震える。

「グハハハハハ! 虚無子を見つけたぁ! 何もない奴だぁ!」

 白い化け物が壁に手をつく。そして私に向かって走ってきた。


 私はすぐさま振り返り走り出した。

「やっぱりっ! 友達にはっ! なれそうもない相手だったわね!」

 私は走りながら途切れ途切れに叫ぶ。

「グハハハハハ! 虚無子が走ってるぞぉ! 遅い足で走ってるぅ!」

 遠くからドシドシと鳴る足音と私を罵倒する叫びが聞こえた。

「遅くても! 走るしかないのよ!」

 私は振り返らずに走る。

「グハハハ! 虚無子は1年の時のかけっこは最下位だったなぁ! そして2年以降は運動会を休んだなぁ! きっと走っても最下位になるから逃げたんだぁ!」

 ドキリと私の心臓が跳ねた。

 この化け物は私の過去の嫌な出来事を言い当てた。

「私の過去を知っているのね……」

 私は呟いた。

「グハハハハ! 今も逃げてるぞぉ! グハハ! また逃げるのかぁ!?」

 化け物は笑いながら私を馬鹿にする。

「逃げてもいいのよっ! 誰だって! 逃げるときは! 逃げるもの!」

 私はそう叫びながら振り返った。

 化け物が遠くを走っている。しかしその距離は確実に縮まっていた。

(このままじゃ追いつかれる!)

 私は曲がり角を曲がり、違う路地裏に入った。

(走ってるだけじゃダメね。曲がって行方をくらませないと)

「グハハハハハハ!!」

 笑い声が響く。反射のせいで前からも後ろからも声がするように聞こえた。

「うるさい! 笑い声ね!」

 パシャパシャと水たまりがなる。

「結局また逃げるのかぁ! でもそんな遅い足で逃げられるのかぁ!?」

「逃げ切るのよ!」

(そして大切なことが何なのかを知る!)

 何回か曲がり、私は振り返った。化け物の姿はなかった。

「さっきの……距離だけど……姿が見えない……!」

 私は少しペースを落とし、息を少しずつ整えた。

「なんとか撒けたようね。でも油断しちゃダメ。すぐにでも扉を探して部屋を出ないと」

 醜い笑い声が路地裏に響いた。

「くっ……!」

 息を整えた私は再び走り出した。


 ………

 ……

 …


 ピシャピシャと音を鳴らし走る。

 笑い声が響く。

 曲がる。

 走る。

 大粒の雨が体を打つ。

 罵倒する声が響く。

 走る。

 走る……。


 私はいつまでも続くこの行為に不安が募ってきた。

「本当に……扉は……あるんでしょうね……」

 息を切らしながら私は走る。

「グハハハハ! 頑張っているみたいだなぁ! 頑張っても無駄なのになぁ!」

「……」

 絶えず飛んでくる罵倒に対し、私は黙って走る。

「頑張っても結果は悪い方向に進むのになぁ! 助けを断った時みたいになぁ!!」

「……ッ!」

 私は唇を噛みながら走った。

「グハハハハ! 逃げきれないぞぉ! グハハハ! いじめから逃げられないようになぁ!」

 強く唇を噛む。血がツーと流れ落ちた。

「わからないわよ……!これから先はどうなるか……!」

 私は力強い瞳をしてそう言った。

 曲がり角を見つけた私は曲がった。


「わかるんだよ。お前は逃げられない」

 低い声が私の耳に入る。

 白い化け物がそこにいた。


 *


 私は足を止め、震える目で白い化け物を見た。

 緑色の化け物よりもはるかに大きい。

 濁った白色の肌。

 太い手に太い足。

 顔や手足などいたるところから白い手の形をした触手が生えて蠢いている。

 異形な姿の化け物が今までよりはるかに近い距離で立っていた。

「あっ……あっ……」

 がくがくと口が震える。

(先回りされてた!)

 私はすぐさま振り返り、化け物と反対方向に走った。

 ザーザー降る雨が私の体を強く打つ。

「グハハハハハハハ!」

 今までよりも大きく聞こえる声が響く。

(どうしよう! どうしよう!)

 私は必死に走った。

 私は何度も振り返る。振り返るたびに縮まる距離。

(ダメ! このままじゃ追いつかれちゃう!)

「グハハハハ! やっぱり駄目だったなぁ! 虚無子は本当に何もできない奴だぁ!」

 私は必死に周りを見渡し、扉を探した。

 扉は見当たらない。しかしとても細い路地裏を見つけた。

(あそこに入れば!)

 私は振り返る。化け物との距離はもうあまり無い。

「お願い……間に合って……」

 私は最後の力を振り絞り走った。

「グハハハハ! 無駄だぁ! あきらめろぉ!」

 化け物の声が耳だけでなく心にも響く。

「お願い……お願い……」

 私は祈りながら走る。走る。ただひたすらに走る。


 化け物が手を伸ばす。


 息が弾む。


 心臓が痛む。


 涙があふれる。


「うわああああああ!!」


 私は叫びながら路地裏に入った。



「グオオオオオォォォォ!!」

 化け物の雄叫びが細い路地裏に響く。

 化け物が路地裏に手を入れ、私を捕まえようとする。

「はっ……! はっ……!」

 私は息を切らしながら急いで奥へと進んでいく。

 手の形をした触手がすごい勢いで伸びてくる。

「きゃああああ!!」

 しかし触手は私の目の前で止まった。伸ばせる距離の限界をむかえたようだった。

「はっ……!はっ……!はっ……!」

 私は震えながら空を掴む手の触手を見つめた。

 触手は徐々に縮んでいき、路地裏から出て行った。

「虚無子のくせになまいきだぁ!」

 悔しそうな化け物の声が響く。

「しかしいつまでもそこにいるつもりかぁ! グハハハ! いつまでもそこにいれるわけがないだろぉ!」

 化け物はさっきまでのように笑った。

「グハハハハハ! 今度は絶対に捕まえてやるぞぉ! グハハハハ!!」

 ズシンズシンという足音が遠ざかっていく。

 しかし化け物の声だけはいつまでも響いて私の耳に入ってきた。

 私は膝から崩れ落ちた。


 ………

 ……

 …


「やーい虚無子ぉ!」

 私は黙って俯いている。

「グハハハハ! 何もない奴ぅ! 虚無子ぉ!」

 化け物の罵倒は続く。

 ザーザーと雨は強く降り続く。

「私……もうダメかも……」

 私は目を閉じながら泣き、力なく呟いた。

 あの化け物の言うとおり、いつまでもここにいることはできない。

 しかし逃げ切れる気がしない。

「結局私はこれより先の部屋に行けず、大切なものがわからないまま死んでしまうのね……」

 さっきまでとは違い、弱気なことを言いながら私は目を開けた。

 足元の水たまりに私の顔が映る。

 ひどく震えた私の目がそこにあった。

 さっきまでの力強い瞳はなく。その瞳は闇のように深く、暗かった。


 暗い瞳。

 暗い髪。

 暗い表情。


 しかし水たまりに映る私の中で一つだけ綺麗に輝く存在があった。

 全てが暗い中で光るピンク色の輝き。

 大切な友達からもらった物。

 愛ちゃんのヘアピン。


『友達は信じるものだよ。私は大丈夫よ』


 私は自分で言った言葉を思い出した。

「そうよ……私は言ったわ……大丈夫って……」


『虚無子に教えてもらったぞ!』


「そして愛ちゃんは……私を信じてくれたわ……」

 私は少しずつ立ち上がる。


「私を信じてくれてる愛ちゃんのためにも。私はあきらめるわけにはいかない!」

 目に少しずつ光がともる。


「私は!! 大丈夫!!!」

 さっきよりも力強い瞳がそこにあった。


 雨が止んだ。


 *


 私は走りだす。

 信じてくれる友達のために。

 この先に待つ大切なことのために。


「グハハハハ! 諦めてでてきたかぁ!」

 すぐ近くにいた化け物の声が響く。

「違う! 私は前へ進むために出てきたのよ!」

 これまでよりも力強い声で私は答えた。


「グハハハハ! 強がりだぁ! 虚無子の得意な強がりがでたぞぉ!」

「違う! これは強がりなんかじゃない! これは私の本当の言葉よ!」

 前を見つめて走る。


「グハハハハ! 何もない虚無子が何か言っているぞぉ!」

「違う! 私は何も無くなんかない! 私には大切なものがたくさんあるのよ!」

 私は手に持ったアンドリューを強く握った。


「グオオォォ!! 虚無子のくせに!!」

「違う! 私の名前は虚無子なんかじゃない! 私の名前は今日子! 私には大切な名前があるのよ!」


 そう力強く叫び、私は細い路地裏に入った。

 その路地は先の見えない今での路地とは違い、終わりが見えた。


 そこには扉があった。


「グオオオオオォォォォ!!!」

 化け物の雄叫びが再び響く。

 私は臆することなく振り返った。

「私、次の部屋に行くわ」

「次の部屋だとぉ!?」

「そう、大切なものを探しに私は進むの」

 そう言って私は扉の方に向かって歩こうとした。


「待ちなさい!!」


 突然の父親の声。驚いた私は止まり、そして振り返った。

 悲しく暗い表情をした化け物の顔がそこにあった。

「お父さんはぁ……お前しかいないんだぁ……」

 今までのような醜い声ではなく、父親の声で化け物はそう言った。

 私は化け物を見つめる。

「お父さんをぉ……! 一人にしないでくれぇ……!」

 化け物の目から涙がこぼれる。


「お父さん」

 私は優しい目で化け物を見つめて言った。

「この先には私の大切なことが待っているの。きっと私にとって本当に大切で必要なこと。お父さん、どうかわたしを見守っていてください」

 私はまっすぐに化け物の目を見つめて言った。


 そして私は迷うことなく扉に向かって歩き、部屋を出た。


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