魔女の愛
扉をくぐった私は皺だらけの顔をした老婆の絵が飾られた廊下で座っていた。
私は膝を抱き、顔をうずめ、静かに震えていた。
明確な死の恐怖。
今までの部屋にない、初めて感じる恐怖に私の心は染め上げられていた。
なぜ私はこんなところにいるのだろう。
最初はこんなつもりではなかった。
ここには理想の暮らしが待っていると思っていた。
帰りたい。もう嫌な思いをしたくない。
でも帰るためには今までの部屋を通らなくてはいけない。
さっきの化け物の部屋を、もう一度。
私は身動きが取れなくなっていた。
「ねぇアンドリュー。どうしたら良いと思う?」
私は物言わぬ人形に話しかけた。
「ねぇ……どうすれば帰れるの?」
人形は返事をしない。
「ねぇ……私を……助けてよ……」
私は人形を力いっぱい投げた。
人形は廊下の暗闇に吸い込まれていった。
「誰か……助けてよ……」
私は顔をうずめた。
………
……
…
どれほどの時がたっただろうか、私は立ち上がり廊下を歩いていた。
力ない眼で前を見つめ、おぼつかない足取りで私は少しずつ歩いた。
誰かが助けてくれるのを求めて歩いた。
そして扉に着いた。
木で作られた扉。まるでおとぎ話に出てくる森の家のようであった。
私は扉の前で立ち止まる。
その木で作られた扉がまるで私を呑み込む深い森への入り口のように見えた。
軽くなったはずのリュックが何故か重く感じる。
私はゆっくりとドアノブに手を掛けた。
「……もう、死んでもいいや」
私は扉をゆっくり開けた。
*
中は絵にかいたような森の中にある魔女の家であった。
家具はすべて木で作られており、机の上や棚には様々な植物や魔方陣の書かれた本などが乱雑に置かれてあった。
「魔女の家……」
私の最後は魔女に食われるのか、それとも魔法の素材にされるのか。
私の頭の中はどうやって死ぬのかでいっぱいだった。
顔の横にある棚には何かの死体が入ったビーカーが置いてあった。
私はきつく目を閉じ、顔を伏せた。
部屋の奥で物音がした。私はゆっくり目を開け、物音がした方を見た。
誰かがこちらに近づいてくる。
黒い服で体を覆い、深くかぶった帽子からはチリチリとした白く長い髪が見えた。
その黒い姿はまるで死神の様だった。
死神が一歩近づく。私は一歩後ろに下がる。
死神がまた一歩近づく。私はまた一歩下がる。
気が付くと私の背中には壁があった。もう下がることはできない。
死神が一歩近づく。私はその姿を眺めた。
死神が一歩近づく。私は体を震わせた。
死神が立ち止まる。私は目を閉じた。
死神が手を伸ばす。目から零れる涙のように私の口から声が零れた。
「死にたくない……」
温かく柔らかいものが私の頬に触れた。
私は体を震わせた。
私の頬を優しく温かいものが包む。
そして私の全身を優しく包んだ。
「よく頑張った」
優しい声が響く。
私は目を見開き、私を包んでいるものを見た。
ぼやけた視界に優しい微笑みが映し出される。
何かが途切れた私は温かいその存在に抱きつき、赤子のように弱弱しい姿で力強く泣いた。
………
……
…
目が覚めると私はベッドで横になっていた。
泣き疲れた私はどうやら眠ってしまったらしい。
私がボーとした頭で部屋を眺めていると扉が開いた。
白い湯気が立ちのぼるコップを持った女の子が中から現れた。
「おや? 目が覚めたのかい?」
彼女は見た目にそぐわない口調で私に話しかけた。
彼女はベッドの近くにある小さな机にコップを置き、黒いスカートをはたいてから椅子に座った。部屋の明かりに照らされて彼女の白い髪がキラキラと光る。
「黒い服に白い髪……もしかして、さっきの死神……?」
「誰が死神だって? ひどいことを言うねぇ」
彼女は優しい顔で怒った。
「あたしは死神じゃなくて魔女じゃよ、魔女。一人ここで魔法の研究を続けておるすごぉい魔女じゃよ」
私は自慢げに胸を張っている魔女を見た。
私のイメージする魔女よりはるかに若い。おそらく私より1つか2つ上にみえる程度の見た目であった。
「若返りの魔法を使っておるからねぇ。実際はとってもおばあちゃんなのじゃよ」
私は自分の考えを見透かされ心臓が跳ねた。
「今の魔法!? 私の考えてることを言い当てた……」
魔女はきょとんとした顔をしてからクツクツと笑いだした。
「今のは魔法なんかじゃのうての、おまえさんの顔によーく出とっただけじゃよ」
「顔に出てた……ってどういうこと……」
「あたしの顔をジロジロと眺めとったからねぇ。大方、想像上の魔女と比べとるのじゃろうと思ったのじゃ」
「そんなの……普通は出来ないわよ……」
「ふふっ。おまえさんはちょっと経験が足りないだけじゃよ。いつかは出来るようになる」
そう言いながら彼女はコップを差し出してきた。
「飲むのじゃ」
私はコップを受け取った。
明るい黄緑色をした液体から不思議な香りが漂う。
「安心するのじゃ。毒なんかはいっとらん」
彼女は微笑む。
私は覚悟を決め一気に口に入れた。
さわやかな甘い味が口に広がる。
体が温まり、どことなく力が湧いてくるような感じがした。
「おいしい……」
「薬草のジュース。疲れた体によく効くじゃろ?」
私はコップに残っているジュースも一気に呑み込んだ。
ジュースの甘さが私の脳と心に染みわたる。
「ふふっ、飲み終わったらまたゆっくり寝なさい。まだ疲れは残っとるじゃろ?」
そういった彼女はコップを受け取り部屋から出て行こうとした。
「待って! なんで私を襲わないの? なんでこんなに私に優しくしてくれるの?」
彼女は振り返ると優しく微笑んだ。
「何故かって? そりゃおまえさんを襲う理由なんてないからじゃよ。それにおまえさんのひどく憔悴しきった顔を見たら、誰だって助けたくなるものじゃ」
彼女はそう言い残し部屋を出て行った。
「誰だって助けたくなる……」
私は先ほどの彼女の微笑みを思い出していた。
「見ず知らずの他人のために……そこまでできるものなのかしら……」
そう言って私は頬に手を当てた。
「でも……あの温かさ……たしかに優しさを感じた……」
体だけでなく心までも優しく包み込む温もり。
あの温かさを思い出しながら私は目を閉じた。
*
目が覚めた私は魔女が出入りしていた扉を開けた。
中に入ると最初に入った部屋に出た。
部屋に置いてある本や植物を眺めているとロッキングチェアに座り、揺れている魔女の姿が目に入った。
揺れながら本を読んでいる彼女になんて話しかければいいか迷っていると、彼女の方からこちらに気が付いた。
「おや目が覚めたのかい? おはようさん」
「あ……あの……おはようございます……」
「うん! 挨拶は大事じゃ」
彼女はニコッと笑った。
その時私のお腹からぐぅ~という間抜けな音がなった。
「お腹がすいたじゃろ? ご飯を用意してあるから食べなされ」
そう言って彼女は木の実や植物で作られた料理が乗った机に案内した。
私はフォークを掴み目の前にあるおいしそうな料理を食べようとした。
「待ちなさい!」
突然彼女が大きな声をだした。
私はその声に驚き動きを止めた。
「食べる前に「いただきます」を言わないとダメじゃろ?」
まるで母親が子供をしつけるように彼女は優しく怒った。
「あ……い、いただきます」
彼女はウンウンと笑い頷いた。
………
……
…
「そういえばおまえさんの名前を聞いてなかったね。何て名前なんじゃ?」
食事を食べ終え、ごちそうさまでしたと言った私に対し彼女は唐突に質問した。
「え……? 私の名前を知ってるものだと思ってた……」
「流石に名前は顔には出んからのぅ。いくらあたしでもわからんのじゃ」
「でも、前の部屋の小悪魔は私の名前……呼ばれ方を知ってたから……」
私は笑いながら虚無子と呼んでくる小悪魔を思い出した。
「あぁ、あの小悪魔はそういうモノなんじゃよ」
「そういう……モノ……?」
「流石にこれについては上手く説明できないのじゃよ……。すまんのう」
そういって彼女はばつの悪そうな顔をした。
「それで、おまえさんの名前はなんていうんじゃ?」
「私の名前は……今日子……」
私は消え入りそうな声で答えた。
「今日子か。立派で素敵な名前じゃな」
「ッ! こんな名前のどこがいいのよ! 周りからは変な名前をつけられるし!!」
「こらっ! 親がつけてくれた名前を馬鹿にするんじゃない!」
魔女はまた大きな声をだした。
「でも……」
「いいかい? 親はね、生まれてきた大切な子供に意味のない名前なんてつけないのじゃよ。意味が分からなくても、そこには立派な理由があるものなのじゃ」
「立派な……理由……」
私は呟いた。
「流石にあたしにはその理由まではわからんがのう。でも、今日子の名前からは何か大切な思いを感じるのう」
「大切な思い……」
私の名前。
父親の思い。
今は亡き母親の思い。
「私……今はわからないけど……もし本当に意味があるのなら……それを知りたいわ」
「ふふっ。そうじゃろう。知りたいと思う心は大切じゃ。その気持ちが道を切り開いてくれるものなのじゃよ」
「あはは、難しくてよくわからないわ」
私は笑った。久しぶりに心から温まるのを私は感じた。
「うん! いい笑顔じゃ! 無理をしてはダメじゃよ。時には逃げたりしてもいいのじゃ。なに、あたしだってよく逃げるものじゃよ」
「あなたも?」
「そうじゃ。研究が行き詰ったとき、あたしはいつも好きな本とこの椅子に逃げるものじゃよ」
そういって照れながら彼女はロッキングチェアを揺らした。
「でも逃げているだけではダメじゃ。問題はいつまでも問題にするわけにはいかんからのう。いつかは立ち向かう勇気をもたねばならぬ」
「立ち向かう勇気……」
『やっていることは誰もいないところで独り言を言うだけ』
小悪魔の言葉がよみがえる。
「私に出来るのかしら……」
私は俯きながら言った。
「自分を信じる心が勇気に変わる。まずは自分を信じてみるのじゃ」
彼女は微笑む。
「自分を信じる心……私ってどんな人なのかしら。私って、私の気持ちもよくわかってない……」
「自分を知る、それはとても難しいことじゃよ。しかしそれは自ずとわかることじゃ。ゆっくり進んでいればいつかわかることなのじゃよ。もしかしたら自分を知るきっかけ何てそこらへんに転がっとるかもしれんよ?」
「あはは。そうね……わかったわ。ゆっくり考えてみる」
あんなに暗かった私の気持ちが嘘のように軽くなった。
「不思議ね。私、あなたとなら特別こんなにも上手く話せる」
「ふふっ。それは不思議なことじゃないぞ。別にあたしが特別なわけじゃなく、それが今日子自身なのじゃよ」
「でも、私いつもはこんな風に話せないわ……」
「ふふっ。それじゃああたしが魔法を教えてあげようではないか」
彼女は胸を張って言った。
「まず魔法その1は「挨拶をする」じゃ。そしてその2は「感謝する」、そして最後が「愛する」じゃ」
「挨拶……感謝……愛……」
「挨拶と言ったが、これはようするに気持ちを伝えるということじゃ。感謝はその中でも特別大切な気持ちじゃ。そして愛なくして人はつながりを持たぬ」
「今日子は、今までの部屋の者たちと話してどう思ったのじゃ?」
「えっと……言葉が通じない相手にとても不安を覚えたわ」
私は笑ってくるボールを思い出した。
「そうじゃ。言葉が通じず、気持ちを伝えることのできない存在はそれだけで脅威なんじゃ」
ただ笑い続けるボール。私はそれに混乱する自分の姿を思い出した。
「私……いつも挨拶なんてしてなかった……」
「失敗を知ったのならばそれを直せばいいのじゃよ。次は成功につながるはずじゃ」
「気持ちが通じない相手、失敗……落ち度……そうだ! 私、ノートを盗んじゃったんだ……」
そう言って私はリュックからノートを取り出した。
「これは……心が伝わるノートじゃな。ということは妖精ちゃんの部屋から持ち出したってことじゃな?」
「そうなの……体が勝手に動いて……」
そう言いかけ私は首を振った。
「いや……欲しいと思って盗んだの……」
「そうじゃったか……」
魔女は俯き、それから顔をあげ私の目を見つめた。
「過去に起こした罪は決して消えることはできん。起こすことは悪い事じゃ。しかしその後何もしないのが一番の罪じゃ。大切なのは罪を認め、心から謝ることなのじゃよ。もちろん必ず許されるわけではないがのう」
「心から謝る……私にできるのかしら……」
「ふふっ、習うより慣れろじゃよ。ためしに謝る練習をするが良い」
そういうと彼女は一つの箱を取り出した。
「これは魔法の箱じゃ。失くした大切なものが入っておる。どれ開けてみるのじゃ」
彼女は魔法の箱と呼ばれるものを私に渡してきた。
私は箱を開けた。
「アンドリュー……」
そこには廊下で投げ捨てたはずのクマの人形が入っていた。
私は大切な友達と再会できた喜びと謝罪の気持ちで涙があふれた。
「ごめんねぇ! 本当にごめんねぇ!」
私はアンドリューを抱きしめ、大きく口を開け泣いた。心から流れる涙はとどまることを知らなかった。
「ふふっ。ちゃんと謝れるではないか。きっとそのお友達も今日子のことを愛してくれているはずじゃよ」
私の目から流れ落ちた涙がアンドリューの瞳に落ち、まるでアンドリューも泣いているかのようだった。
「私。これから頑張るわ」
泣き終えた私はアンドリューを抱きしめながら彼女に言った。
「私は魔法を覚えたんだもの。挨拶、感謝、そして愛ね」
「ふふっ」
「あははっ」
私たちは笑いあった。
「そういえば、まだ魔法をかけてない相手がいたわ」
私は魔女の目を見つめた。
「わ、私の! 私の友達になってください!!」
私は声を裏返しながらそう言った。
「……ふふっ。素敵な魔女さんじゃな。このあたしに魔法をかけるなんて、やるではないか」
彼女はそう言って私の手を握った。
「これからあたしたちは友達じゃよ。どんなに離れていても、あたしたちの関係は一生じゃ」
私は目を輝かせた。
自分の力で友達を作れたことが、そしてなにより友達という存在が嬉しかった。
「ありがとう!」
「ふふっ。感謝の魔法もバッチリじゃな」
彼女は笑った。
「そういえば私、あなたの名前を知らなかったわ。名前は何ていうの?」
ふと、私はこの友人の名前をまだ知らないことに気が付いた。
「あぁ……実はあたしに名前はないんじゃ。あたしは自分のことを魔女と呼んどったからな」
彼女は目を伏せそう言った。
「名前が無いの……?」
目を伏せる彼女の姿が、なぜだか悲しんでいるように見えた。
「それじゃあ私が名前を付けてあげるわ! あなたは愛にあふれている素敵な私の友達。『愛』それがあなたの名前よ! 愛ちゃん!」
彼女は目を大きく見開き私を見つめた。
「『愛』……それがあたしの名前……ふふっ。立派な意味のある名前をもらってしまったのう」
愛ちゃんの目から涙が流れ落ちた。
「今日子! ちょっと待つのじゃ!」
そう言って愛ちゃんは私が今まで寝ていた部屋に入ったかと思うと、すぐに出てきた。
手には綺麗なピンク色をした2つのヘアピンが握られていた。
「これ……あたしが作ったヘアピンじゃ。1つ貰ってくれんかのう?」
愛ちゃんは照れ臭そうに頬を染めながら言った。
「もちろんじゃない! 素敵なプレゼントをありがとう! 愛ちゃん!」
私はそう言ってヘアピンを一つ受け取り、髪につけた。
目が隠れるほど長かった前髪をとめ、片目が現れた。
「とっても似合っているのう! それに目を出した方がとっても美人じゃな! あたしは美人な友達を持てて嬉しいのう」
「そんな……大げさよ……」
今度は私が照れながら頬を染めていると、愛ちゃんもヘアピンをつけた。
「愛ちゃんも……すっごく似合ってるわ」
「ふふっ」
「あははっ」
私たちはお互いの髪につけたヘアピンを見つめ、笑った。
………
……
…
楽しい時間はあっという間に過ぎ去る。
「今日子……辛いことを言うあたしを許しておくれ」
突然愛ちゃんが真剣な眼差しをして言った。
「今日子はこれから先の部屋に行かなくてはいけないのじゃ」
「……先の部屋に?」
「そうじゃ。立ち向かうときはどうしても訪れてしまう。今日子はこの先の部屋で大切なことを学ばなくてはいけないのじゃ」
「大切なこと?」
「それはあたしの口からは言えぬ。今日子自身が自らの力で知らなくてはいけない事なのじゃ。これから先辛いことがたくさんあるじゃろう。教えた魔法が通じない相手も現れる。しかし苦難を乗り越え、今日子は行かねばならぬのじゃ」
「……」
私は真剣な表情で愛ちゃんの話を聞いた。
「わかったわ」
私はうなずいた。
「正直、なぜ進まなくちゃいけないのかは良くわからないけど、私の大切な友達が意味のない事なんて言うはずないわ。私は愛ちゃんを信じる」
私はまっすぐに愛ちゃんの瞳を見つめて言った。
「流石じゃな。流石あたしの友達じゃ」
愛ちゃんは笑った。
*
私たちは次の部屋へ行く扉の前に立っていた。
「それじゃあ。お別れね」
「そうじゃな」
お別れの時。私は次の部屋に行かなくてはいけない。
「あたしも本当は一緒に行きたいのじゃ。しかしそれは出来ぬ……」
愛ちゃんは俯きそう言った。
「愛ちゃん。友達は信じるものだよ。私は大丈夫よ」
私は力強く言った。
「そうじゃ……そうじゃな! ふふっ。今度は今日子に教えてもらったぞ!」
「あははっ。そうね! だから私もあなたを信じるわ」
私は扉に手をかけ、ドアノブを回した。
「また……会えるよね?」
私は愛ちゃんに背を向け、震える声で言った。
「ふふっ。また会えるじゃろう。遠く離れ、会うのはとても難しいかもしれん。けれども私たちはつながっておる。なぜなら私たちは友達じゃからな!」
愛ちゃんは今までで最高の笑顔を浮かべそう言った。
「あははっ。そうね! 私たちはいつまでも友達! また会いましょう! 愛ちゃん!」
「ふふっ。あたしたちは一生友達じゃ! また会おうぞ! 今日子!」
私たちは最高の笑みを浮かべ、扉を閉めた。




