大切な世界
扉をくぐった私はホテルのフロントのような部屋にいた。
私が初めて入ったアパートの部屋。
「ついに、戻ってきたわね」
私はアンドリューを見つめた。
「お疲れ様。アンドリューのおかげで本当に助かったわ」
長い間、色々な事を経験し、私の足は限界に達していた。
私は疲れた足を癒すためにソファに座った。
「おかえりなさいませ」
後ろから聞こえる声に私は驚き、勢いよく振り返った。
そこには小鬼の管理人がいた。
「驚かせてしまい大変申し訳ございません。心落ち着くクラシックをおかけしますか?」
小鬼は深々と頭を下げた。
「いいえ、大丈夫です」
私は微笑んだ。
「すみません。少し疲れてしまったのでソファに座ってもいいですか?」
私がそう尋ねると子鬼は優しく微笑み、座るように促した。
小鬼は指を鳴らした。すると私のリュックに入っているはずの契約書が現れた。
「あなた様は全ての住居人のサインを得ることが出来ました」
「最後に、あなた様のサインを契約書に記したなら、入居の手続きは終了です」
そう言って小鬼は私に契約書を渡してきた。
「……」
私は契約書を見つめた。
そして顔をあげ、契約書を小鬼に返した。
「身勝手で本当にごめんなさい……入居はキャンセルさせてもらいます」
私は頭を深く下げ、謝った。
「おぉ! そうですか。わかりました。それではあなた様の入居は無しという形で」
小鬼はニコリと笑って、指を鳴らした。
契約書が燃え、一瞬にして灰になった。
「あの……怒らないんですか?」
私は不思議そうに尋ねた。
「怒る? とんでもございません。私はあなた様のお気持ちが大切であると考えております」
そう言って小鬼は再び頭を下げた。
「ありがとうございます!」
私は喜びの表情でそう答えた。
そして喜びの表情が徐々に薄まり、悲しみの表情が現れてきた。
「あの……会わなくてはいけない住居人がいるんです……」
そう言って私はリュックからノートを取り出した。
「このノートの持ち主に会わせてもらえないでしょうか」
小鬼はしばらく考え、顔をあげた。
「えぇ。承知しました。しばしお待ちを」
そう言って小鬼は指を鳴らした。
小鬼の姿が消えた。
しばらくして、私が出てきた扉が開いた。
そこには小鬼と青い妖精がいた。
妖精が真っ赤な瞳で私を睨みつける。
私は申し訳ない気持ちでいっぱいになり、自然と涙が溢れ出てきた。
「ごめんなさい! ごめんなさい!!」
言わなくてはいけないことがたくさんある。
しかし私はごめんなさいとしか言えなかった。
「ごめんなさい!!! 本当にごめんなさい!!!」
私は頭を深く下げた。
涙で私の顔がグシャグシャに歪む。
私は本当に心の底から謝った。
「顔を御上げください」
小鬼が言った。
「ほら、顔を御上げください。そしてノートをご覧ください」
私は顔をあげた。
ぼやけた視界に小鬼の笑顔が映る。
私は小鬼の言うとおり、ノートを開いた。
[ 謝罪 気持ち 伝わった ]
私はノートから視線をあげ、妖精を見た。
妖精も笑顔を浮かべていた。
[ 私 気持ち 見える ]
[ あなた 気持ち 謝罪 いっぱい ]
[ 許さない 不可能 ]
人形が紐のような手を差し出してきた。
私はノートを渡そうとした。
そして、今度こそノートを返すことが出来た。
………
……
…
妖精は部屋に戻り、私は階段の前に立っていた。
「それではお気をつけてお帰り下さい」
小鬼は深く頭を下げる。
「ありがとうございました。今度は入居者がでるといいですね」
私は手を振ってそう言った。
「いいえ。入居者は出ない方がいいのですよ」
小鬼は微笑んだ。
「あなた様のように大切な事を知ってもらうことが、私の最上の喜びです」
小鬼はとても優しい笑みを浮かべた。
「そうですね!」
私も満面の笑みを浮かべた。
そして階段を駆け上った。
………
……
…
今日子はゆっくり目を開いた。
気が付いた今日子はボロボロのアパートの床で仰向けになっていた。
今日子はゆっくり頭を起こし、寝ぼけた眼で周りを見渡す。
ひびの入った壁
陽射しが入り込んでいる割れた窓。
あちこちに張られた蜘蛛の巣。
開いたままの扉。
「元の……世界……」
今日子は呟いた。
そして、今日子は目を見開き、走り出した。
「私にはやらなくちゃいけないことがたくさんある!」
朝、帰り道の途中で今日子は開いた視界で前を向き、一人つぶやいていた。
「私には友達がいないから、たくさん友達を作れるように頑張ろう!」
「早く学校に行きたいわ。そして授業をしっかり受けて、私は自分に自信を持てるようにするの!」
「お互いに馬鹿にし合ってた子達もそうだけど、私を助けてくれた子達にもちゃんと謝ろう!」
日は徐々に昇り、今日子のつぶやきは続いていく。
今日子は期待と不安を織り交ぜながら走った。
「そして、なによりもやらなくちゃいけないことがあるわ!」
日が高く昇り、虚無子はアパートに着いた。
*
明るく優しい人工的な照明が灯る廊下、その一番奥の扉が今日子の家。
ガチャリと今日子は静かに扉を開けた。
「ただいま!!」
今日子は大きな声で帰宅を知らせた。
ドタドタという音がリビングから聞こえてくる
「今日子! 帰ってきたのか!!」
目を赤くはらした男が出迎えた。今日子の大好きな父親である。
「お父さん。ただいま」
私はもう一度あいさつをした。
パァン!
突如、今日子の頬に熱と痛みが走る。
父親が今日子の頬を叩いた。
今日子はゆっくりと前を向いた。
厳しく、そして優しい父親の姿。
今日子が望んでいた姿がそこにあった。
父親は今日子の瞳を真っ直ぐ見つめた。
今日子も父親の瞳を真っ直ぐ見つめた。
「おかえり」
「ただいま」
2人は涙を流し、抱き合った。
【 完 】




