最後の問い
扉をくぐった私は男の子の絵が飾られた廊下を歩いていた。
私は契約書を見つめた。
そこには9つの埋められた欄と1つの空欄があった。
残す部屋はあと1つのみ。
今思えば、最初はこんな事になるなんて思わなかった。
新しい人生を噂の世界で華やかに過ごすって思ってたのよ。
暗い顔をしたお父さんに会いたくない。
虐めてくるあいつらに会いたくない。
そんな理由で私はこのアパートに来たの。
でも今考えてみたらどうかしら。
今ではこの2つの存在に対し、『会いたくない』という思いは全くないわ。
ううん、むしろ逆。
とっても会いたいとさえ思ってる。
会って謝りたい。
会って話がしたい。
会って一緒にいたい。
少し前までは到底考えられないような気持ち。
こんな気持ちを抱くようになったのは、このアパートでの出来事のおかげ。
私はこの不思議なアパートに来て、本当に様々な経験をしたわ。
初めは本当に戸惑った。
だって人間以外の存在に出会うとは思わなかったんだもの。
小鬼の管理人なんて、本の中でしか登場しなかったわ。
今思い返しても、苦しい事ばっかり。
大きな声で笑われたり、悪口を言われたり、追いかけられたり。
もしかしたら死んじゃうかもって思うこともあったわ。
でも、私は生きてる。
生きて、笑うことが出来るの。
笑うなんて本当に久しぶりだったわ。
それまで私は笑わなかった。
楽しいことが何ひとつないって思ってたから。
でも笑えるようになれたのは愛ちゃんのおかげ。
私が初めて自分の手で作った友達。
心から信頼し合える大切な友達。
私の一生の友達。
愛ちゃんは落ち込んでた私を助けてくれた命の恩人。
愛ちゃんがいなかったら、きっと今の私は存在してないわ。
そして
様々な苦難を乗り越えて
私は大切な事を知ることができた。
私は今までの出来事を思い返していた。
辛かったこと。
嬉しかったこと。
そんな素敵な思い出を胸に抱き、私は最後の扉についた。
大きなハートが描かれた扉。
ハートを2つに分けるように縦に線が引かれており、線を境目に赤と青で色取られている。
私はドアノブに手をかけ、目を閉じた。
愛ちゃん。
お父さん。
お母さん。
「ありがとう」
アンドリューの手を優しく握り、私はドアを開けた。
*
部屋の中はとても薄暗かった。
いくつもの太いパイプが積み重なり、山を作っている。
そしてその山の頂に玉座のようなものが置いてあった。
私は玉座を目指し、パイプの山を登った。
ひび割れ、あちこちが欠けている玉座には等身大のボロボロの人形がいた。
半分抜け落ちている金色の人工的な髪。
ところどころが剥げている人工的な白い肌
それぞれ片方しかついていない手足。
服は着ておらず、球体のお腹や関節が露見している。
私が人形を見つめていると、人形は少しずつ顔をあげた。
生気を感じない翡翠の瞳が私を見つめる。
「やあ。よく来たね」
人形はひどく掠れた声でそう言った。
「どうも初めまして。私は今日子って言うの」
私は笑顔で挨拶をした。
「そうか、今日子っていうのか。僕も名乗りたいところなんだけど、ちょっとそれはできないんだ」
人形は無表情のまま私を見つめてそう言った。
「名前が無いの?」
「あぁ……うん、その質問に答える前にちょっと話を聞いてくれないか?」
「きっと君が求めている答えもわかる。僕の人生の話」
相変わらず無表情のまま人形は語り始めた。
………
……
…
もうどれくらい前になるのかな……僕は一人の人間だった。
僕はその時……そう、君と同じくらいの年だった。
僕はね、『神童』やら『天才』やら、そんなことを周りから言われていたんだ。
事実、僕自身も周りの人より頭が良いと思っていたよ。
そんなお高くとまっている僕が気に入らないのか、一部の人は僕のことをすごく嫌っていた。
そして……虐めが始まったのさ。
僕は今でもあの時の気持ちを覚えているよ。
最初はとても悲しかった。
でもいつからか、そいつらの行いがすごくどうでもいいものに見えるようになった。
その時に僕は思った。
きっと僕は人間じゃない、この世界は僕の居場所じゃないんだ。
だからあいつらのことを、どうでもいいと思えるようになったんだってね。
そしてある日、僕は見つけた。化け物が住んでいるというこのアパートをね。
人間じゃない僕はここに入居したくてたまらなかった。
でも君も知っている通り、入居するには条件があった。
7人の住居人のサインを貰わなくてはいけなかった。
あれは……本当につらかった。
無意味に笑ってくる玉。
僕を罵倒する小悪魔。
襲い来る緑の化け物。
終わりの見えない路地裏での追いかけっこ。
映し出される無意味な僕の人生。
何もない、途方に暮れる真っ白な世界。
全てを壊す、大きな化け物。
救いなんて何一つなかった。
何一つわかることのないこの世界で、僕はとても無力だった。
ただ襲われる。
ただ笑われる。
ただ罵倒される。
もしくは、何をすればいいかわからない空間に放置される。
それでも僕はすべての部屋を抜けてきた。
僕は確信したね。
僕は選ばれし存在なんだ。
このアパートを突破できた僕は、このアパートに君臨すべき存在なんだ、ってね。
最後に、僕は契約書に名前を書いた。
そして入居する代わりに、僕はあるものを失った。
それが名前さ。
だから僕や、ここの住居人は名前を持っていない。
僕は名前を失い、このアパートの住居人になった。
このアパートの部屋は面白いでしょ?いろんな部屋があって。
この部屋はね、住居人の望んだとおりの部屋になるんだ。
だから僕は作った。
僕だけの国を。
僕だけの世界を。
僕を中心に広がる全てを。
この部屋に。
そして僕は神になっていた。
時が流れ、僕は青年になっていた。
その時、初めて僕の部屋に訪問者が現れた。
それは小さな人形の様な存在だった。
彼は口がきけないみたいでね、ある不思議なノートで会話をしたんだ。
そのノートは心に思い描いた言葉を記すノートだった。
その子はアパートに入居したいと言っていた。
特に断る理由がないからね、僕は扉の鍵を開けて、入居を許可したよ。
そして、その子が最後の扉をくぐるとき、ノートに何て書かれていたと思う?
[ 寂しそう ]
ただ、そう一言書かれていた。
それから僕はずっと悩んでいたね。
この世界に君臨する僕に対し、なぜ寂しそうと思ったのか。
ずっと悩んで、気が付いたら僕は大人になっていた。
その時、2人目の訪問者が現れた。
黒い服を来た、見るからに魔女という女の子。
彼女の目はとても恐ろしかったよ。
敵意に満ちた瞳。
そんな彼女から僕と同じ匂いがした。
周りとは違う、孤高の存在である匂い。
僕は彼女を歓迎したよ。
そして彼女はこのアパートの住居人になった。
そして月日が経ち、僕は老人になっていた。
もう体が言うことをきかず、思考はとても淀んでいた。
それでも、僕はあの子が言っていた寂しそうの意味を考えていた。
そして沈みゆく意識の中で、遂に僕はその答えを見つけた。
今思えば僕はどうして人間の姿をしているのだろう。
僕は人間じゃないんだ。
だから人間の姿をしている僕の存在が寂しい物に見えたんだってね。
そして僕は人形の体を手に入れた。
老いなんてない。
完璧な体を手に入れた。
どれくらい月日が経ったことか、再び来訪者が現れた。
それはいつか見た魔女だった。
でも彼女は昔と変わっていた。
彼女の瞳から敵意が消え去っていたんだ。
そんな彼女が玉座に座る僕を見たとき、彼女はどんな顔をしたと思う?
驚きと、悲しみの顔だった。
そして彼女はこう言った。
「あたしは考えた。理想の世界を手に入れたのに、満たされないのは何故なのか。そしてわかったの。あたし達は大切なものを失ってしまっていたのよ。でも、まだ私は最後の大切なものを持っている。それなのにおまえさんは、それもなくしてしまった」
「可愛そうな人」
そして彼女は絶望の表情と涙を浮かべながら、僕の部屋から出ていった。
僕はとても悩んだ。
人間であることをやめ、完璧になった僕に対し、なぜ可愛そうというのか。
もしかしたら僕の出した答えは違うのではないか。
僕はいつまでもいつまでも悩み続けている。
世界が壊れ、パイプの山と、玉座しか残らなくなる程、長い時間。
そして、気が遠くなる程とても長い年月が経ち
君が現れた。
………
……
…
「今日子はこのアパートの事をどう思う?」
語り終わった人形は、相変わらず生気のない瞳で私を見つめ、突如問いかけた。
「このアパート?」
急に質問をされ、長い事話を聞いていた私は一瞬驚いた。
「質問を変えようかな。今日子は僕が出会った住居人に会った?」
「えっと、映写機さんやもう一人の私?」
「そうそれ。その映写機やもう一人の自分ってなんだろうね」
「え?」
「なんで彼らは、人の人生を写したり、僕の姿になったりしたのだろう」
「それは……」
私は言葉に詰まった。
「君は小悪魔や白い化け物にも会っただろう? 彼らだって僕のことを知っていた」
「なんで彼らは人の過去や心を見透かし、罵倒してきたのだろう」
「……」
「ここは化け物達が暮らすだけのアパート、なのに今考えると、僕の知っていること、知らない事で満ち溢れていた」
「このアパートは一体……なんなんだろうね」
そう言われた私は再び黙って俯き、今までの出来事を思い返した。
名乗ってもいないのに知られている名前。
言ってもないのに知られている過去。
私が知らないことまで映し出される映像。
なぜか存在するもう一人の私。
今まで異常な事ばかり起きていた為、疑問に思うことはなかった。
しかし冷静に考えると、それはとても不思議なことだった。
「僕がこのアパートに来る前からずっと存在していた彼ら」
「彼らが何者なのか。それが長い年月をかけて求めている答えの鍵になると僕は思った」
「僕は長い時間をかけて考え、ある仮説を立てた」
「このアパートの住人は、僕の人生、そして心を映しだしているんじゃないのかな」
「人生と……心……」
私は人形の言葉を繰り返す形で呟いた。
「そう。僕なら僕の人生。今日子なら今日子の人生を映しだしている」
「笑ってくる玉は歪んだ感情を」
「小さな悪魔は自分で自分を責める心を」
「緑の化け物は欲望を」
「白い化け物は周りからの重圧を」
「映画は求めているものを」
「自分自身を」
「自分の破壊衝動を」
「きっと、ここの住人達は、僕を映し出す存在なんだ」
人形の話を聞いた私は、外れた歯車が噛みあった気分になった。
笑いとは本来は喜びの感情である。しかし私にとっては、私を責める存在になっていた。
自分の気持ちに気付いた今ならわかる。小悪魔の言葉は、私が思っていた言葉だった。
緑の化け物は、私の食べる欲望と、人を求める欲望を表していた。
白い化け物は、虐めで使われていた言葉を喋った。そして、私に大きな重圧を与えた、お父さんの言葉を喋った。
映画では、求めていた私の名前の意味を知ることが出来た。
そして、自分自身に会って、自分を知ることが出来た。
彼の言っていたことが、当てはまった。
「そして……9番目の部屋の住居人は、私の暗い心!」
私は思わず叫んだ。
「暗い……心?」
人形が私に問いかける。
「うん。もう一人の私が言ってたの」
私は笑顔でそう答えた。
「暗い心……もう一人の自分から……」
人形は私から視線を外し、無表情でそう呟いた。
そして人形は再び私を見つめた。
「どうやら今日子は、僕やあの魔女とは違うことをこのアパートの住居人から感じ取ったみたいだ」
翡翠の瞳がより一層、私の瞳を掴んで離さない。
「よし。今日子に最後の試練を与えよう。この試練を超えたら、最後の扉を開けよう」
「試練……」
私は呟いた。
「いいわ。かかってきなさい」
そしてすぐに笑顔になった。
「僕の問いに答えてくれ。しかし嘘偽りなく、今日子の思うことを答えてくれ」
「では一つ目の問いだ」
「今日子はこのアパートの住居人になりたいかい?」
私は考えるまでもなく答えた。
「いいえ。私は元の世界に戻りたいわ」
人形は黙り、しばらくたってから口を開いた。
「じゃあ何故、今日子はここに来たんだい?」
「私、最初は元の世界が嫌いだった。だから違う世界を求めてこのアパートに来たの」
「そうか。じゃあ何故、元の世界に戻りたいんだい?」
「私は元の世界が嫌いだった理由が分かったの。そして、私は気付いたから。私のやりたいことに。やらなくてはいけないことに。だから私は元の世界に戻るの」
私は今までに何度も思ったことを答えた。
「その理由ってどうしてわかったんだい?」
「このアパートの住人の映写機さんともう一人の私、そして愛ちゃんのおかげよ」
「愛ちゃん?」
「あぁそっか! 愛ちゃんって言うのはね、あなたがいう魔女に私がつけた名前なのよ!」
私はまるで愛ちゃんのように胸を張って答えた。
人形は再び黙り、しばらくたってから口を開いた。
「今日子は、映写機で何を見たんだい?」
「私のお父さんとお母さんの物語。そして私の名前の意味」
真っ暗な空間に映し出された、大切な映像を思い出す。
「今日子はもう一人の自分と話したのかい?」
「えぇ。私は私自身を大切にしていなかった。私は私自身の気持ちをだましていた。だからこれからは私を大切にするという話をしたわ」
もう一人の私の安らぎの声を思い出す。
人形はとても長い時間黙った。
他に音を発する物はなく、とても静かな時間が流れる。
しばらくして、人形は口を開いた。
「もう一度この質問をしよう」
「今日子はこのアパートの事をどう思う?」
今度は私が俯き、黙った。
再びとても静かな時間が流れる。
しばらくして、私は顔をあげた。
「私にとってこのアパートは、大切な事に気づくことが出来た、とても大切な場所よ」
「大切な……事……」
人形の瞳が一瞬揺らぐ。
「それは元の世界がどれだけ大切だったかということ」
「それは私自身がどれだけ大切だったかということ」
「最初はすっごく怖かった。意味も分からず襲われるし、罵倒されるし。でも今思うとそれも私の気づくべきことだったのよ。私の歪みと、心の声と、欲望を知らなくてはいけなかったから」
「愛ちゃんが言ってたわ。自分に自信を持つためには自分自身を知らなくちゃいけないって」
「そう。一番大切な事は、私自身の本当の気持ちなのよ」
「自分自身の……気持ち……」
人形の体が大きく揺れる。
「私からも一つ質問をするわ」
私の瞳は、翡翠の瞳を掴んで離さなかった。
「あなたは、本当に人間じゃないの?」
人形の体が激しく揺れ、視線があちこちに泳ぐ。
「ぼ、ぼくは……あ、あ、あいつらとは、ち、ちがう……」
人形は歯をガチガチ鳴らしながら答えた。
まるで怯えた子供のように震える人形の頬に私は優しく手を添えた。
そして今にも崩れそうな人形の頭を優しく抱きかかえた。
人形は、ぼくは……ぼくは……と何度も呟きながら震える。
そして、少しずつ震えが収まった。
「僕は……元の世界に戻れなくて……寂しかったのか」
「うん」
私は人形の髪を優しく撫でながら答える。
「僕は……人間なのか」
「うん」
「僕は……人間の姿をやめてしまって……悲しんでいるのか」
「うん」
「僕は……取り返しのつかないことをしてしまったのか……」
私は人形の肩に手を置き、人形と向き合った。
彼は涙を流していた。
「僕は……大切な事を……自ら手放してしまっていたのか……」
「僕は……どうすればいいんだ……」
「こんな気持ちになるのなら……本当の気持ちに気づかなければ良かった……」
彼は嗚咽を漏らしながら、大粒の涙を零していた。
私は指で彼の涙をふき取った。
「いいえ。本当の気持ちに気づいて涙を流すあなたの姿は、さっきまでのような無表情の人形じゃないわ」
「人間よ」
私は優しく微笑んだ。
「それにその気持ちが大切な事なのよ。あなたは手放してなんかいないわ」
「あなたは人間だし、大切な事を持っているのよ」
私は再び彼を抱いた。
彼はとても大きな声で泣いた。
今まで流れなかった分の涙を、彼は流した。
………
……
…
とても長い時間をかけて泣き終えた彼は、もう大丈夫と呟いた。
私は彼の頭に回していた腕をほどいた。
「ありがとう。今日子に会えて本当に良かった」
彼は微笑んだ。
彼の微笑みは、とても人間臭かった
「あはは。ありがとう」
私も微笑んだ。
「あなたが不安にならないように魔法をかけてあげるわ」
私はそう言って不思議そうに私を眺める彼を見つめた。
「私の、友達になってください」
彼は一瞬体を硬直させた。
そしてゆっくり口を開いた。
「よろこんで」
彼はとても綺麗な笑顔を浮かべていた。
*
私は最後の扉の前に立っていた。
彼も不自由な体で扉の前まで私を送ってくれた。
「もう一度言おう。本当にありがとう」
彼は深々と頭を下げた。
「今日子は言ってくれたね。僕は大切なことをまだ持っていると」
「でも多くの大切な事を手放してしまったことは事実だ」
彼は私の瞳を真っ直ぐに見つめながら言った。
彼の翡翠の瞳がギラギラと輝く。
「そうね、あなたは確かに多くの大切な事を手放したわ」
「でもね……」
私は笑顔を浮かべ、自信満々に答えた。
「大切な事はたくさんあるのよ。それに、新しい大切な事を作ればいいのよ」
私は片方しかない人形の手を握った。
「大切な約束をしましょう。『またいつの日か、必ず会いましょう』って」
私は、私の小指と彼の小指を絡ませた。
「でも……」
「大丈夫」
彼が不安な眼差しをこちらに向けながら言おうとした言葉を私は遮った。
「私たちはまた会えるわ」
「だって私たち。一生の友達になったんだもの」
彼はポカンと口を開け、そしてクツクツと笑い出した。
「そうだった。大切な事を忘れていたよ」
「あはは! 今度は忘れちゃダメよ!」
私も大きな声で笑った。
そして私は最後の扉のドアノブに手をかけた。
「愛ちゃんもね。私の一生の友達なのよ。あなたも愛ちゃんに会って、魔法をかけてやりなさい」
そう言って私は扉を開けた。
「わかった。今度は僕が大切な事を作る番だ」
彼は胸に手を当て、そう言った。
「ありがとう! そして最後の大切なものをあなたにあげるわ」
扉が少しずつ閉まる。
「あなたの名前は『大』よ! 『大切』の『大』!」
「『大』……僕の名前……」
「また必ず会いましょう! 大くん!!」
「また会おう! 今日子!!」
最後の扉が閉まった。




