9(どう思ってる?)
それはバレーボールの形をしており、わたしの手の中の本の上でバウンドし、鼻先をかすめ飛んでいった。指から本が離れ、開いたページを飲み込んだ。
突然、わたしの周りに昼休みの喧騒が押し寄せた。女子の嬌声。男子の馬鹿騒ぎ。かすかに混じる食べ物とチョークのにおい。
「悪ぃ」ひとりの男子がにやけながら近づいてきた。その向こうで、一緒になってボール遊びをしてた仲間がやっぱりにやけながら小突き合っていた。駆け寄って来ようとした江戸川は、腰を机にぶつけてよろめき、転びかけた。
口だけ謝罪の男子がわたしの側を通り抜け、床の上を転がるボールを拾うのに身体を折り曲げ──わたしはその肩をぐいと強く押していた。
相手はよろめくでもなく、「なんだよ」へらへら笑いながらボールを手にして、仲間の元へと戻って行った。去りざまに呟いた。「横領女」
それはしっかとわたしの耳に届いた。江戸川が男子たちを強い剣幕で注意していた。前に座っていた男子は消えていた。挟みそこねたしおりが机の上から落ちていた。
*
母からケータイに電話があった。いつもは家の電話にかけてくるが、先日から叔母が線を抜いていた。在宅で仕事をしている叔母は締め切り間近になると「神経に障る」その機械を黙らせる嫌いがある。
母は学校のこと、勉強のこと、生活のことと、他愛のないことを訊ねてきた。わたしはひとつひとつそつなく答えた。それから進学のことに話が及び、「ねぇ」わたしは母の言葉を遮った。「お父さんのことだけど、お母さん、どう思っているの?」
母は応えた。「決めるのは法律よ」
ケータイ越しに、母と娘の息遣いだけがやりとりされる。わたしが知りたいのはそんなことじゃないんんだ。お母さん。
お母さんはどう思っているの。
お父さんをどう思っているの。
だけど、「そう」わたしはケータイを切ってテーブルの上に置いた。
「終わったー」
大きく伸びをして叔母が居間に入ってきた。よれよれのシャツにぼさぼさの髪。メガネはどうにか引っかかっているといった案配で、全身にくたくたを滲ませながらも、表情は晴れやかだった。
「お茶にしよう」にこっと笑った。わたしもたぶんうまく微笑み返した。叔母の視線がテーブルの上を一瞬、滑った。「お母さんから」訊かれる前に答えていた。
「そう」叔母は肩の揉みほぐしながら踵を返して台所に向かった。「元気そうだった?」
「たぶん」わたしも立ち上がって、キャビネットの上にある「非常食」のフダが貼り着けられたお菓子カゴの中身の物色した。「ねぇ、叔母さん」
「ん?」
「お父さんのこと、どう思ってる?」