22(受け取りに来る)
わたしはひとりで家に住み続けた。叔母の遺してくれた幾つかの仕事と、贅沢さえしなければ生きて行くのに充分なお金があった。仏壇には叔母と青年の写真が並んでいる。わたしは家中をひっくり返し、叔母が若かった頃の写真をその為に探し見つけた。それは意外な発見をもたらした。背景が同じだったのだ。互いに撮り合ったのだろう。誰かに一緒いるのを撮ってもらえば良かったろうに、云い出せなかったのではないかと若かりし頃の恋人たちを思った。
写真の中の叔母の顔ときたら、隣に置かれた青年のそれとは対照的に仏頂面だが、とても「らしい」一葉だと思う。並べ見るに、似合いのふたりだと思ったのは身内贔屓の自己満足でしかないだろうけれども、これでふたりは一緒になれたと思う。額の中のふたりはどこで出会っても、また恋に落ちるなどと、いささかセンチメンタルな気分に浸った。少女趣味も大概だ。
わたし自身は鏡を見てもあまり変わったと感じない。学校を出て暫くは気にしなかったが、あるときふと気が付いた。どうひいき目に見ても小娘のようで、年相応だと思えなかった。とは云え、肌はめっきり弱くなり、日光は大敵だった。ある種のアレルギーだと思う、あっと云う間に日焼けして、真っ赤になる。昼日中、外を出歩くと疲れが酷い。脱衣所の、青白い蛍光灯の下で見る裸姿はどうにも見た目と不釣り合いで不健康そうだった。外出は夕方以降にするようにした。家は殆ど閉めっきりにした。古い家は、余計に薄暗かったが不思議と心地よかった。そんなこともあってか、いつしか我が家はお化け屋敷にされていた。とんと少なくなった近所の子供が、肝試しに来たことがある。ちょっとしたイタズラ心で歓待してやったが、余計な噂をいたずらに広めるだけだった。
寝つけぬ夜は散歩に出た。春でも夏でも秋でも冬でも、季節は関係なかった。ひとしきり歩き回って、最後は公園のベンチに座る。持参した水筒のお茶をちびちびと飲みながら、星空を眺めた。永遠に等しい世界が何処までも広がって見えた。わたしの手持ちの時間はあとどのくらいなのかと、子供じみた思いをときどき感じた。
わたしが十五だった事実は遠い過去のことだった。それでも彼女があの日あの夜、公園のベンチで「ごめん」と謝ったのは別の意味だったのではないかと、眠れぬ夜にときどき思う。革紐を交換したピューターのクロスは今もわたしの首にかかっている。江戸川が受け取りに来る日を待っている。
─了─
前日譚的なもの → n4737bw「夏のかけら」




