13(果肉)
自分の身体を抱きしめるようにな格好のまま、やっと言葉が白い息に乗った。「どうして?」
「お散歩」
「そう」
彼女の家とは多分に遠いと思ったけれども、驚きと嬉しさ、安堵が勝った。
江戸川がいった。「寒くない?」
「うん」
わたしは素直に頷いた。江戸川に手を引かれ、公園の隅にあるベンチに座った。
江戸川はコートを脱ぐと肩に羽織り、少し考え、くっつくようにして座った。それでわたしも察した。
江戸川は包み込むように抱きしめてくれた。
背に廻された江戸川の腕の感触。柔らかな胸から感じる江戸川の体温。ふいに泣きたくなった。洟をすすって身体を離そうとした。涙と鼻水で江戸川の服を汚したくなかった。しかし江戸川は、まるでわたしを逃さないように強く抱きしめてきた。それが余計に気持ちを揺さぶり、わたしは江戸川に抱かれてぐずぐずと泣いた。子供みたいでみっともなくて、恥ずかしく思いながらも、やめられなかった。
暫くして江戸川が片手をほどき、静かに取り出したハンカチを握らせてくれた。目尻を拭い、鼻を拭くと甘い香りがした。「香水、つけてるんだ」かすれた声で訊いた。
「ううん」江戸川は否定した。「どんな匂い?」
それは甘くて、瑞々しくて、ぷっくりとした果肉を連想させた。「桃みたい」
「へぇ」他人事のようにくすくすと江戸川は笑った。「知らなかった」再びぎゅっと抱きしめてきた。
江戸川の呼気に合わせ、濃厚で充分に熟れたその果実を想起させる芳醇な香りがわたしを包み込む。頭の芯がじわっと痺れて、ふわふわとした。
わたしは江戸川の匂いにすっかり酔っていたのだと思う。江戸川の肩に頭を預け、江戸川の匂いを愉しみ、江戸川の体温に蕩けていた。
「冬って好き」胸を僅かに動かしながら江戸川は囁いた。「日暮れが早くて、夜明けが遅いから」
その言葉は江戸川の首から肩を繋ぐ骨を伝って、わたしの頬に震わせ、耳に届いた。
甘く暖かな江戸川の身体は毒だ。だから江戸川がわたしのうなじにかかる髪を指先でそっとよけ、唇を押し当てても、ちっとも気にならなかった。小さく開けた口で甘く噛まれても気にならなかった。不思議な心地よさに、わたしはすっかりうっとりしていた。
どれくらいそうしていたか、ふと、江戸川が身体を離した。「ごめんなさい」
わたしは前触れもなく突き放されたようで困惑した。もっと匂いを、体温を、江戸川を感じていたかった。けれども江戸川はそれを赦してくれなかった。「もう遅いよ」
口を開きかけたわたしを制して、江戸川はいった。「帰ろう。このままじゃ駄目」
「でも、」
「だいじょうぶ」江戸川はもう一度わたしを引き寄せ、きゅっと抱きしめた。それから立ち上がるとわたしの手を取り、立たせた。「途中まで送って行くから。ね?」
わたしたちは一着のコートを身を寄せ羽織り、腕と指を絡めて歩いた。
家までの最後の角で江戸川と別れた。涙と洟でべとべとになったハンカチを取り上げられた。「気にしないで」
ふわっと江戸川の姿は夜の闇に溶け消えた。「また明日。学校で」




