1(十五の春)
たいていクラスにはひとりやふたり変わったヤツってのがいる。十五の春、それはわたしだった。もともと土地の人間でなく、いわゆる家庭の事情で二年の二学期、転校した。内向的な性格もあったろうが、是正しようと思う程に行動的でもなかった。というか、そもそも是正の可否を検討することに思い当らなかったというのが正しい。そんな有様だから浮いたまま最終学年に進級し、江戸川絹子と出会った。
江戸川は有り体にいえば鈍くさい娘だった。進級初日にクラス委員に他薦され、なにかいいたげに口を半開きにしたまま、しかし役員に決まった。クラス移動の途中、なにもない廊下で躓いたり、体育の授業は腕より頭か背中でボールを受ける。給食は残さず食べるがいかんせん遅い。当番の男子があからさまに嫌な顔をしていた。或る日の帰りに自転車置き場で見かけたときは、助走をつけて乗ろうとしながら、いつまでも赤い通学自転車と並走していた。意地を張らずに停まって乗ればいいものを。すいと横を通り抜けようとしたら、がしゃんともつれ倒れたので、自転車を停めて引き返し、助けてやった。
「ありがとう」頬を赤くし、息切れしながら江戸川はいった。
「危ないからやめたら?」
江戸川は首を横に振って、「がんばる」
そうか。がんばれ。努力する人は嫌いでない。軽く手を振り先に帰った。
そんなことがあって江戸川に興味を持つようになった。朝の出欠確認以外に殆ど声を出さずに一日を過ごすようなわたしにとって、椿事以外なにものでもないと思う。
よくよく観察していれば、江戸川は確かに鈍くさいのだが、特にいじめられているだとか嫌われているだとかといった感じでなかった。それどころか嫌味がなくて、男女問わず、誰との会話もすっと入り、すっと抜け出る。笑うべきところをきちんとわきまえ、他方で授業が始まっても喋っている生徒を注意したりと真面目な委員長役もそつなくこなす。
鈍くさいところが確かに他人を苛つかせることはある。しかしそれが後に引くようなことがない。どうも別所でうまく帳尻合わせしているようだ。ノートを貸したり、宿題を手伝ったりしているのを何度か見た。情けは人の為ならず、とはいうが。存外抜け目ないのではと疑ったりする。とはいえ休み時間、トイレからの帰りがけで前を歩く江戸川がきゃ、とかいいながら転びかけるのを目撃すると自分の観察眼に些か疑念を憶えたりもした。
そんな江戸川と距離が縮まったきっかけは四月下旬の連休前の放課後だった。相変わらず友だち作りもせず、休み時間は叔母の部屋から持ち出した古い文庫本を読みふけり、部活代わりに図書室で復習と予習をして帰宅する。端から見ればかなり奇異な女子中学生だったと思う。しかし、それがわたしの普通だった。