3.みゆの出産
ご主人様たちは来たる”長いお休み”に向けて何だかわくわくしていた。
そういう雰囲気ってあたいにもちゃあんと伝わるのよね。
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大連休を直前に控えた土曜日。(ご主人様たちがそういっていたの)
その朝のごはんタイムが終わって日差しにリビングがほのぼのと照らされたそんな時間。
あたいの事件は起こった。
『ねぇおとうちゃん。おかあちゃん。・・・ちょっとこっちきてよぉ!』 あたいはご主人様たちの顔をのぞきこみ、なごなごと訴えていた。
どうやらお腹の赤ちゃんがとんでもないことになっているらしい。と、あたいの本能がアラートを鳴らし始めたからだ。
産まれようとしていることは本能的に理解できたのだが、どうしたらいいのか困っていたのだ。
『ここでもないわ。・・・ここもだめ』
あたいは不安に駆られて部屋中をぐるぐると歩き回った。
「お母ちゃん。みゆが何か変だよ?」 おとうちゃんがたばこをくわえたまま、ぽかんとした表情でそうつぶやいた。
あたいは思った。なんとしてでも彼らに理解してもらわなくちゃいけないわ、と。
あたいはおとうちゃんに向けて何ども”困った顔”を振り向けたわ。
ふりむいては辛そうにお腹を舐め、”んんん”と踏ん張ってはおしりを見せた。
次第におとうちゃんとおかあちゃんがあたいの後をくっついて歩いて来たわ。(少しいい気分ね)
やがてあたいは”こたつ”の中に潜り込み、”んんが・・・んがんが”と訴えたの。
「お母ちゃん!みゆがおしっこ・・・? あれ?妊娠してるの?破水なの?!」
おとうちゃんはここでようやく真実を理解し始めたようね。
やがておかあちゃんとおとうちゃんがあたいの身体をすみずみまで触っては「まさか」とか「ほんとに妊娠だったのかも」とか議論していた。
「とにかく診せてくる!」おかあちゃんはあたいをキャリーに抱えて家を飛び出した。
そして10分後、あたいは近所の獣医に診察をされていた。
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「妊娠だって!しかもすぐにでも産まれるだろうって!」
家に戻ったおかあちゃんがおとうちゃんに叫んではあたいの顔を何ども撫でてくれた。
「胎ろすこともできるって言われたけど・・・どうしよう」
どうしようといいながら、おかあちゃんは祈るような表情をおとうちゃんに向けていた。
(今思うに、この時あたいは自分の運命を彼らに託そうと決めていたわ)
「ばかだねぇ、お母ちゃんの顔に答えが書いてあるじゃないか」
そう言われたおかあちゃんははっとした表情になって俯いた。
「このまま産ませてみればいいじゃない」 おとうちゃんがそう言うと、おかあちゃんは何ども頷いていた。
「今日まで気がつかなかったのも、みゆが家で産もうとしたのも、ちょうど連休が始まるのも・・・運命なんだねぇ」
彼らはなんどもそんなことを言っては、あたいの産み場所を即席で整え始めたのだ。
物置部屋の片隅にあたいの”産み場所”があつらえられたのは、それから間もなくだった。
もともと犬用ゲージの床だったものを敷いて、新聞を敷き詰め、その上に載った座布団があたいの居場所となった。
(あたいがその座布団からどかなかったのが決め手となったのよ)
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最初の破水をこたつの中でした頃から、あたいの身体には度々鈍い陣痛が襲うようになっていた。
ようやく寝場所に横たわり、断続的な陣痛が来るたびにあたいは彼らに小さな声で訴えたわ。
おとうちゃんとおかあちゃんが交代であたいの身体をなでてくれた。
『いたいのよ~。こわいのよ~』と鳴くたびに、彼らは頭をなでたり手を握ったりして励ましてくれたわ。
(これはとても安心したものだったわね)
そうして横たわってから1時間くらい(とご主人様たちは言っていた)経った頃。
・・・あたいの身体から赤ちゃんが顔を覗かせた!
それはまるで赤ちゃんのようには見えなくて、ご主人様たちは唖然としていたわ。
あたいの股のあいだから顔を覗かせた物体は羊膜につつまれた血の塊にしか見えなかったのよ。
「これって生きてるのかな?」心配そうに見つめるおとうちゃんにかまわず、あたいは何どもいきんだわ。
やがて羊膜に包まれた物体を外に産みだしたあたいは、本能のまま羊膜を食い破った。
(おかあちゃんはその間、へその緒をはさみで切ってくれたわ)
羊膜から出てきた赤ちゃんをあたいは丁寧に隅々まで舐めて汚れをとっていった。
赤ちゃんの顔を舐めると小さな命が呼吸し始めた。(あたいはそれを見てようやく少し自信をつけたわ)
「すごいよみゆ!」「えらいよ!がんばれ!」 ご主人様たちも腹ばいになって(泣きながら)興奮していたわ。
赤ちゃんを産んだ後、血の塊のようなレバーのようなものが出てきた。
「これは母ネコに食べさせなきゃいけないわ」
ネットで調べたという情報をおかあちゃんは説明していた。(鼻水をすすりながら)
母ネコはこれを食べることで出産とその後の不眠不休の子育てに立ち向かう栄養を補うらしいわ。
(もちろん、あたいは本能的にそれを食べたわ)
一匹の出産がようやく終わった直後、再び出産が始まった。
「ま、まだ産むの?」 ご主人様たちは目を丸くして驚いていた。
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三匹の出産が終わり、あたいは気絶するように眠ったらしい。
それを見た彼らは慌ててその日の買い物に出かけていった。
(子育てに必要な買い物もしたかったようだわ)
そして一時間ばかり後で、彼らはばたばたと買い物を終えて帰ってきた。
「ただいま~」 そぅっと覗きに来た彼らはあたいが三匹を抱きかかえたまま横たわった姿を見て一安心する。
・・・だが、実はその横にもう一匹産み落としたまま羊膜に包まれたものを見て大騒ぎになった。
彼らは慌ててそれをあたいの顔の前にそっと置いてささやいた。
「赤ちゃんもう一匹いたよ。間に合うかもしれないよ。ほら」
あたいは使い果たした気力を拾い集めてもう一度がんばったのだ。
これはおそらく奇跡なのね。
手遅れかと思っていた四匹目の赤ちゃんは無事だったのよ!
ご主人様たちの励ましも後押ししたのかしら。あたいは四匹全てを産み落としたの。
あたいのおっぱいに吸い付いて離れない小さな命。
ちうちうと音を立てて吸い続ける赤ちゃんたちはあたいの母性を呼び覚ましたわ。
あたいはその日から一歩も寝床を離れず子育てを続けたのよ。
あたいは”みゆ”。母親なのよ。