第六話 二人
去年の文化祭、あの日生まれて初めて見た『演劇』は、凄かった。小学生の時に学芸会でやるような『お遊戯』とは確かな違いがあったのだ。
だから僕はそれに憧れて、それをやりたくて、この学校に来た。
「よし、じゃあ今日の練習は終わりっ」
先輩のその一言で、僕の演劇部初練習は終わった。
「ハア……ハア……、お疲れ様でした」
練習は結構、辛かった。最初に走りこみをしてそれから腹筋や背筋や腕立て伏せなどの筋トレ(多分これが一番辛かったと思う)。それからは腹式呼吸の仕方や発声・滑舌練習などなど……。というわけで演技らしい演技のの練習は、一切していないのである。
こんなんじゃ運動部と変わんないよな、なんて思ったけど先輩曰く
「何だって基礎が一番大事なんだから手を抜いちゃダメだよ」
……らしいので、素直に、自分で言うのも何だけど一生懸命やった。
そりゃあ苦しかったけど、ひとみ先輩が楽々とやっているのに僕が音を上げるのはとてつもなく格好悪い気がして、それでとにかく我慢した。
「辛かった?」
ぐったりと座り込む僕に、先輩はニコニコ笑いながら僕に言った。
こんなの全然余裕ですよ、なんてこちらもにこやかに返してやりたかったけれど
「ええ、そりゃあもう。死ぬかと思いましたよ」
嘘をつけるほど元気じゃなかった。
「お疲れ様」
そう笑いながら、いつの間に買ってきたのか先輩は僕に缶ジュースをくれた。スポーツドリンクの類だったようだが、一気に飲んでしまったので味は分からなかった。
「ぷは〜」
それから勢いよく地面に仰向けになる。
「おお、いい飲みっぷりだね〜」
どうでもいいところで感心された。相変わらずひとみ先輩は余裕綽綽の笑顔である。
―――凄い人だと、思う。
ただ美人なだけじゃなくて、体力もあるし、教え方も上手かったし。
「はぁ………」
タオルで軽く汗をぬぐう先輩を見て、僕はため息をついた。
別に誰だってする大した仕草じゃないのに、それだけで絵になる。
風が吹いて、先輩の綺麗な黒髪が揺れた。
「……綺麗だなあ」
ヤバイ、思わず口に出してしまった。
「へ、何が?」
先輩はキョトンと首を傾げる。
「え!? いやっ、その」
どうごまかすのが一番いいんだろうか? 僕の脳みそが今までにないくらいのスピードで回転する。
「そ、その……空ですよ!!」
とっさに僕の天才的頭脳は解を割り出した。
「空?」
苦しい言い訳だったかもしれないけど、もうこうなったら開き直るしかないだろう。いくらでも出任せを吐いてやる。
「ほら見てくださいよ! 夕焼けが綺麗で……」
―――嘘じゃ、なかった。
この日の夕焼けはうっとりするくらい綺麗だった。青い空にオレンジ色の光がじんわりと差し込んでいて思わず目を奪われた。
「わあ、本当。キレイだね」
先輩もそう言って目を細める。
「ええ、綺麗ですね……」
赤い夕陽に照らされた先輩も綺麗だった。
「あの……、ところで先輩」
「ん、何?」
部室に戻ってから僕は、先輩に一つ気になっていたことを尋ねることにした。
『先輩って彼氏とかいるんですか?』
とかそういうのも気になるけど、とりあえず今は違うことを聞く。
「今日って他の部員さんはどうしたんすか?」
「え゛」
僕が先輩にそれを聞いた途端、先輩の動きが止まった。
「いや、今日の練習俺と先輩だけしかいなかったし……」
何かまずいことでも聞いてしまったのだろうか。
「え、え〜とその何ていうか……」
そんなことを言いながら先輩は頭をかく。
「どうしたんですか?」
なかなか答えてくれない。
「よし!!」
先輩はしばらく思い悩んだ後、意を決したように僕の目の前にビシッと二本指を突き出してきた。
「ハイ、チーズ」
「ピースじゃないって……」
先輩は僕の馬鹿みたいなボケにつっこんでから、
「人数よ」
と申し訳なさそうに言った。
先輩の目の前で立っている指、その数二本。つまり二人。
「……何の人数ですか?」
嫌な予感がしてきた。
「この部活の部員、つまり……」
先輩は自分を指差し
「あたしと」
そして次に、その指を僕のほうへ向け、
「キミ」
そう言い終わった後先輩は、これでもかという位の笑顔を僕にぶつけてきた。