第十一話 化学のレポートとハゲ
作曲作業は、正直言って難航していた。
沙紀から聞くのは曲のイメージくらいで、他のリクエストは一切ない。僕も沙紀も作曲に関する音楽的知識は皆無と言っていいので、これは難しい作業だった。
それでもオリジナルを作る上でこれは避けて通れないところで、何としてもやらなければならないのだった。
作曲には『コード』と『メロディー』が大切、らしい。それは最近調べてみて分かった。コード進行を決めてからメロディーを付ける方法と、その逆の方法があるらしいのだが、どちらがいいのかは分からないしどちらが自分に向いているかも分からない。
その上もっと深入りしようとすると、意味の分からない用語が連発される難解な『音楽理論』が目の前に立ちふさがってくるのである。
「てな訳でさ、難しいんだよこれが」
僕は沙紀にそう打ち明けた。
「う〜ん、やっぱりそうか……」
少し残念そうな、困ったような声で沙紀は言った。
「素人にはやっぱり難しいのかなあ」
沙紀は茣蓙の上にごろんと寝転がった。場所は『アコースティックギター同好会』部室。練習場所確保の為に僕らはとりあえずこの同好会に入ることにした。運の良いことにこの同好会は会員もほとんどいないし、その会員もこの部室を荷物置き場に使っているだけなので、放課後はほとんど僕らの練習に使えるのである。
「あ!!」
と、沙紀は大きな声を出して突然起き上がった。
「どうした?」
「化学のレポート、出すの忘れてた!!」
そう言って沙紀は鞄の中を探り始めた。
「あれ〜、もしかして家に忘れたかな〜?」
「提出、今日までだよな」
僕はそんなものはとっくに出していたので、焦る沙紀の姿を悠々と眺める。
なかなか見つからないらしく、沙紀はついに鞄をひっくり返した。中の物が一気に落ちてくる。
「あ、あった!!!」
「よかったな」
目当てのレポートをようやく見つけて沙紀は立ち上がった。
「これ出してくるから、ちょっと待ってて」
そう言って沙紀は部室を飛び出していった。
「元気いいよな……」
僕とは対照的にいつでも元気な沙紀を見て僕はそうぼやいた。
床には彼女がぶちまけた教科書やノートが散らばっていた。
―――数学、現代社会、古典、世界史。中間テストが近いせいか、沙紀の鞄にはいつもより多くの物が詰まっていたらしい。普段は全部置き勉しているので沙紀の鞄は軽い。
「あいつもちゃんと勉強するんだ……」
まあ、この高校は進学校なのである程度は勉強しなくちゃいけないんだけど。
その本の山を見つめていて、僕は一冊だけ他と種類の違うものを見つけた。
『ヴォーカルの基礎 トレーニングブック』
「聞いてよ誠一〜、化学の海野の野郎、提出は五時半までです、なんつって受け取ってくんなかったんだよ!! あのハゲ、最低だよね!!」
沙紀は部室に戻ってくるなりそう言って怒りを僕にぶつけてきた。
「なあ沙紀……」
そんなことにはお構いなしで僕は沙紀に話しかけた。
「ん? 何よ!?」
沙紀はまだあの頭髪の薄い化学教師に怒りが収まらないらしく、口調は荒かった。
「俺さ……もうちょっと頑張ってみるよ、作曲」
沙紀はちゃんと頑張っているのに僕だけサボっている訳にはいかないのだ。
「本当!?」
「ああ、もちろん」
僕は笑って、そう答えた。