事件3 鬼ごっこ(チェイス)②
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「舐めんじゃねぇぞ!小娘が!」
極道の世界は面子が第一である。
武威集団は舐められたら終わり。であればこそ、目の前でリーダー各の男を蹴り飛ばされても、鬼人族たちがそれに臆することはなかった。
彼らは妖怪の類と同じである。
脅かすのが仕事なのだ。
「貴様らッ!堅気の少女に、それでも任侠かッ!」
ルカの背後から追われる男の声がする。自らが圧倒的な多数から追われる身でルカを案じるその心意気やよし。
だが、ルカが案じるに値するかどうかは、また別の話ではあるが。
「いいね」
少女に対し、迷うことなく刀で切りつけてくる鬼人族達。それは正に外道の所業にふさわしい。
「私も、遠慮しなくて済む」
ルカはポーチから銀色の砂が入った小瓶を取り出すと、すばやく右腕に呪文を描いた。
「|刃よ、我は汝を拒む《スレイ・ダニヤ・ラーシュテ|》」
ガキキンという金属音を立て、なんと、鬼人族の一刀が無手のルカの腕に弾かれる。
「ば、馬鹿なッ!」
「はッ!」
驚く男を尻目に、少女は素早くその足を払う。
「え?」
突如己が宙に舞うことに驚く鬼人族の男。
その額に。
大地まで叩きつける踵の一撃が振り下ろされた。
想像を絶する嫌な音がして。
男の頭が石畳に皹を入れる。
「で―――」
ルカが静かに言葉を紡ぐ。
「―――次は、誰?」
ルカをヒト種の小娘と侮るのも無理はない。
その顔立ちは未だ幼く、体つきなど輪をかけて幼い。
しかし、この少女こそは幼少の頃、すでに黒色精霊種をすら身体能力で脅かし、そしてその黒色精霊種に十年をかけて育て上げられた埒外の少女。
それが如何に鬼人族であろうと、並みの使い手に止められるものではない。
月に狂った、霊獣種すら大きく突き放す、規格外のヒト種であるのだ。
おののく鬼どもの気配。
脅かすものが今、脅かされている。
月のない夜。
鬼達は、ヒト種の少女の前にたじろいだ。
―だが。
「いたぞ!」
「そっちか!」
「い゛!?」
ルカは思わずその愛らしい顔を歪めた。
後ろからこの袋小路に向けて、更に数十人の鬼人族達が大挙して押し寄せてきたからである。
「多勢に無勢って言ってる側から…」
ルカが非難の声を上げる間もなく、増援を受け、一斉に切りかかってくる鬼人族たち。
「|刃よ、我は汝を拒む《スレイ・ダニヤ・ラーシュテ|》!って、多いわ!」
片腕で剣戟を捌きながら、ルカは徒手空拳で鬼人族のマフィア達を打ちのめしていく。
だが、なんと言っても数が多い。
いつ刃が無防備な彼女の背を切ったり、あるいは無骨な腕が彼女を組み伏せてもおかしくはない。
「これは流石に―――」
ルカが不利を悟った瞬間。
彼女の後ろで裂ぱくが爆ぜた。
「ぬぅおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」
怒号とそして爆音。
土煙が豪快にその場にいる全ての視界を遮る。
「ちょ、何?」
ルカが状況をつかめずに困惑していると、彼女の手を取る力強い手があった。
「助太刀かたじけないが、ここは逃げるでござる」
「おじさんか。とりあえず賛成」
土煙が晴れつつある彼らの先を見ると、そこには壁ごと建物を破壊して路地の向こう側へと続く回廊のような道が出来ていた。
「うっそ。これを剣で?」
その手に引かれてさっさと逃げ出しながら、おそらくは追われる男が行った破壊に、ルカはただただ目を回したのだった。
しばらく走って後、鬼人族とヒト種の壮年と少女は、廃ビルの一角で身体を休めていた。
「はぁ、はぁ、はぁ。いや、年は取りたくないものでござる。これしきのことで息を乱すとは…」
確かに肩で荒い息をする鬼人族の男。
だが、傍らで頭の後ろに腕を組む少女の評価はそうではなかった。
「あんな連中と一晩中斬り合いしてたわけ?それじゃあ、体力がいくらあっても足りないでしょ?」
「いやいや。あの程度の不貞の輩。若い頃なら何千人いようが歯牙にもかけなかったものでござる」
「いや、それは流石に言いすぎ」
と言いながらも、この鬼人族の飛び抜けた力に感嘆を禁じえないルカも入る。
特に、ビルを丸ごと一つ貫通させて道を作った、あの力量と言ったら。
「おじさん、名のある侠客なんでしょ?何で追われてるの?」
ルカの言葉に、男は目を丸くして、そしてくしゃっと顔をゆがめて笑った。
「なんとまぁ、童はその年で、裏の事情に通じていると見える。それに先ほどの立ち回り。童こそ並の者ではあるまい?」
「いや、私は通りすがりの正義の味方でいいんだけどさ。…竜王会の前のボスがやられたって本当なの?」
ルカの言葉に、男は今度は苦痛に満ちた表情で、やはり顔を歪めたのであった。
「…その通り。童は足ばかりでなく、耳も早いな」
「噂を聞いたの。行きつけのお店でね」
銀鱈亭で聞いた噂を、ルカは話したのであった。
「クーデター、見たいなものだったって聞いてる」
「そう。正に寝耳に水であった。ボスと幹部たちが定例の食事会を終えた直後。奴らは襲って来た。圧倒的な手勢。どんな魔法を使ったのか。我々以外のほとんどすべての構成員が敵と成り果てていた。拙者たちはお互いを庇うように逃れたが、一人、一人とはぐれていった。
気が付けば、拙者も一人、夜の道を追われながら走っていたでござる」
男の独白を、ルカは冷たい床の温度をお尻に感じながら、ただ聞いているだけだ。
「誰が発起人であるか。おぼろげながら分かっている。此度の食事会でも、そ奴のことが議題とした上がった。ただ、あちらの方が手を打つのが早かったということ。極道の人生に未練はないが、あの男だけには竜王会を任せるわけには行かぬ」
「あの男?」
ルカが疑問の声を上げると、男は自嘲する様に笑った。
「取るに足らぬ男でござる。名をハインリヒと言う。奴自信は小鬼あるが、奴の後ろには―――」
そこで、男は一度言葉を切り、手に持つ刃を確かめるように握りなおした。
「―――魔女がついている」
「魔女?」
その言葉には、不吉な響きが含まれていた。
「魔女?」
「そう。噂ですが、ハインリヒというその男には、怪しい術を使う恐ろしく美しい女がついていると言います」
深夜近く。
アルフリート・ウルグルスとリリー・ダラーは、やや遅めの夕食を取っていた。
喧騒やかましい貧民街の酒場あるが、この時間にやっていて食事を出してくれる店を、アルフリートは他に知らなかったのである。
街で暴れるチンピラたちは数ばかりが多く、その収拾に思いもよらぬ時間がかかってしまった。
もっとも、何故か烈火のごとく荒れ狂う精霊種のリリーが大活躍したために、アルフリートの出番はあまりなかった。
「ふぅん。種族は?精霊種かい?」
アルフリートの当然の質問に、リリーはしかし首を横に振った。
「それが分かっていないのです。まぁ、マフィアで魔術を行う女です。ヒト種というわけではないでしょうが、なにしろハインリヒが他の誰にも見せたがらないらしくて…」
「ほぉ。まぁそれはいいが…。で、魔女は、具体的にはどういうことをするんだね?」
アルフリートが見るからに茹ですぎたパスタを巻き取りながらそう尋ねると、リリーはいい難そうにこう言った。
「預言です」
「は?」
思わずアルフリートがフォークを取り落とす。
その端正な顔が、ぽかんと口を開けて台無しである。
そんな黒色精霊種に、リリーは苦々しそうに言葉を続ける。
「預言、という話なのです。魔女は、神の言葉を語ると言います」
美しい精霊種の少女が語る言葉はしかし、あまりに不遜でそして、あまりに現実離れしていた。
「神………ねぇ?」
パスタを口に放り込みながら、アルフリートは苦々しげに呟いた。
「神!?」
「童!声が大きいでござる」
ルカの口を慌てて塞ぐ、追われる鬼人族。
ルカはその手を押し退けながら、やや声を落して言葉を続ける。
「神ったって、このご時世に?なに、竜王会って宗教団体に鞍替えしたの?」
矢継ぎ早に話すルカに、男は大きな溜息をついた。
「発端は、うだつの上がらぬ小物であったハインリヒが、妙に羽振りが良くなってきたことでござった。あれほどひぃひぃ喘いでいた奴が、カジノや酒場で小銭をちらつかせるようになった。
妙に思った仲間が問い詰めると、奴はしぶしぶこう言ったというのでござる」
俺には神がついている、と。
「勿論、始めは誰も相手にしなかった。だが、ハインリヒの言うことは妙に当たる。決定的だったのは、ほら、去年イルル川が氾濫して橋が落ちたことがあったでござろう?」
「あぁ。大騒ぎになったよね。三百年かかっていた橋が落ちたって」
「奴はそれを言い当ておった」
「!?」
「そのうちに、だんだんと奴の言う事を信じるものが多くなった。奴にはいつも侍らせている女がいる。これがどうも預言をするらしい。
奴にはいつのまにか取り巻きが増え、奴らは女を巫女様と呼んでいるでござる。
だが、我らは女を魔女と呼んだ。あまりにも不可解な点が多すぎる。
それに魔女は、今の竜王会の幹部は神の御心に反していて、刷新されるべきだとそう言っていたらしい」
「ちょっと待って!じゃあ、今回のクーデターを企んだのは……」
ルカが思わず大声を上げたのを、男は今度は止めはしなかった。
「魔女……。彼奴の差し金である可能性が大きい」
暗い部屋に大きな寝台。
角が生えた、鬼人族と見られる裸の男が、ぶるぶると震えている。
「俺は悪くない俺は悪くない俺は悪くない俺は悪くない俺は悪くない俺は悪くない」
一目で小物と分かる人相。
広い部屋に似合わぬ狭量。
自分がしでかした事の大きさにおののく小心。
だがそんなどうしようもない男の肌を後ろから抱く、世にも美しい女の姿があった。
うっとりとした仕草で、その裸の胸を撫でながら、その裸身を惜しげもなく晒す魅惑の美女は、言い聞かせるように男に言った。
「そう。あなたは悪くない。すべては神の思し召し……」
部屋の暗さが女の姿を完全には見せない。
妖艶で蟲惑的な、白い肌が闇に妙に生えるだけ。
「ディーチェ。神は、神はなんと言っている?教えてくれ!早く!頼む!」
男が振り返り、縋りつくように女の下腹に頭をうずめる。
豊かな乳房を押し付けるように男の頭を掻き抱き、ディーチェと呼ばれる巫女、あるいは魔女は、男を安心させるように言い聞かせる。
「あなたは神に選ばれたのよ。もっと自信をもちなさい。ハインリヒ」
それはうっとりするような美くしさでありながら、何故か余計に男の不安を掻き立てる、悪夢の様な声だった。
「あぁ、ディーチェ。私のディーチェ……」
男が女を組み敷く。
甘い快感に酔うそぶりを見せながら、女は不吉に哂うのだった。
「とにかく。おじさんは逃げたいのね」
休憩を終える頃。
二人が立てこもる廃ビルの周囲を、膨大な数の気配が取り囲むのを感じながら、ルカは男に確認する。
その数は、四百と少し。
下手な戦場よりもしゃれにならぬ数である。
「身も蓋もないでござるな。だがその通りと言えばその通り。たとえ竜王会滅びるとも、あの女だけは野放しに出来ぬ。さればこそ、今は下賎の刃にかかるわけにも行かぬ。西区から出れば、この身を隠す当てもある。今は恥を晒してでも生き延びねば……」
ルカは一度目を瞑り、そしてかっとその目を開いて男に言った。
「よし。これも乗りかかった船。おじさんが無事に逃げられるまで付き合うわ」
「いや、そういうわけには行かぬでござる。拙者が先に出るゆえ、童は隙をついて逃げるでござる」
「何言ってんの。ここまで来たら何しても一緒よ。要はつかまるか、逃げ切れるか、でしょ、おじさん?」
ルカが笑顔でそう言うと、ふぅと男は嘆息をついた。
「おじさん、ではどうも締まらん。アイギスと呼んでくれ。それから童。お前先ほど呪禁を使って刃を防いでいたな。あれは霊刀には効かぬ。危ないから、これを使ってくれ」
そう言うとアイギスと名乗った男は懐から一本の守り刀を取り出す。
ルカはそれを手に取ると、白刃を夜の空気に晒した。
「へぇ。いい刀ね」
「拙者が打った。銘を【艶丸】。並みの霊刀であれば相手にならぬ」
そう言って胸を張るアイギス。
ルカはくすりと笑っていった。
「ありがと。それから私のことはルカって呼んで。それでおじさん、私からいっこ提案があるんだけど」
アイギスが眉をしかめるのも気にせずに、ルカは淡々と要点を話す。
夜の鬼ごっこが始まる。