事件2 とりかえっこ(チェンジリング)②
ルカは一人の婦人を見ていた。
上品な白いドレスに身を包んだ精霊種の貴婦人は、その種族と身分とに見合った高貴な雰囲気を醸し出している。
紅茶を口元に運びながら、客人たるルカと警察のリリーと談笑する貴婦人。
ヒト種のルカに対して嫌な顔一つせずに応対する様から、彼女が人格者であることが窺い知れる。
まったく非の打ち所がない素晴らしい女性である。
時折、傍らに座る物言わぬ蛙に向かって、微笑みながら離しかけることを除けばであるが。
「終始、あのような調子なのだ」
屋敷の主人たる精霊種の紳士は苦い顔をしながら、別室に通されたルカとリリーにそう言った。
「リヒャエル―息子だが―が浚われたことを説明しても納得しない。『あなた何を言ってるの?リヒャエルならここにいるじゃない』などと言って、蛙を抱きしめる始末でな。
無理に引き離そうとすると怒り出すし、まったく手に負えんよ。こうしている間も本当の我が子がどこでどんな目に遭ったいるかと思うと、息が止まりそうだ。―まぁ、妻がそんな懊悩を抱えずに済んでいるのだから、一概に悪いとは言えないのだが――」
紳士はそこまで行って、ふぅと溜息をついた。
「正直言って気持ちが悪いのだよ。考えてみたまえ?あんな、子どもの大きさをした蛙に妻が話し掛けたり、あまつさえお休みの接吻をしたりしているのだよ?私には耐えられない」
そう言って精霊種の端正な顔を歪ませる紳士。
リリーが「お察しします」とだけ短く言うと、紳士は気分を害したらしくやや声を荒げて言い募った。
「そんなことはしなくていいから、早くリヒャエルを見つけてくれ給え。私たちが日ごろ税を納めているのは、こういう時の為なのだからな」
紳士はリリーをきつく睨み、リリーは―――
「早急に解決いたします」と深く頭を下げたのだった。
「あの狸親父め。貴様が税を納めているのは中央への義理立てとへつらいだろうが。大体警察官だって税は収めているというのに」
屋敷を出てしばらく歩くと、リリーは途端に顔を歪ませてそんなことをぶつくさ言い始めた。
言いつけで一言も口を聞かなかったルカは、そこでぎょっとしてリリーの端正な顔を見る。
「――どうした?」
「あんた、二重人格って言われない?」
「なんのことだ?まぁ、メリハリが効いた性格とはよく言われるが…」
「ははは…」
物はいい様である。
ルカが思い出していたのは、彼女の家を出るときのリリーの変貌振りであった。
アルフリートに二人で事件を解決するように言われ、ルカはしぶしぶながらもそれを承諾した。
リリーはいけ好かない女であるが警察に貸しを作るのは悪いことではないし、「子どもが魔法生物と取り替えられる」という事件自体にも興味が出始めていたのである。
「では仲良くな。ルカ、リリーに迷惑を掛けるなよ。リリー、ルカをよろしくな。自慢の弟子だ。きっと君の役に立つ」
「はい!ありがとうございます」
ぱぁっと花が咲いたような鮮やかな笑顔でアルフリートの声に答えるリリー。
張り出した大きな乳房の前で両の手を組んで感謝の意を示しているが、腕が胸を押し上げ、剥き出しの谷間をアルフリートに強調するような形になる。
「ごほん。事件の早期解決を祈っているよ」
「必ずご期待にお応えします。アルフリート様!」
「いってきま~す」
びしっと敬礼し―その動作でまた胸が揺れるのがルカには本当に憎らしいが―探偵社を出るリリー。
その後に続いたルカは、まぁ頑張るか、そう思って扉を閉めて、「じゃあ、よろしくね」と、リリーに向けて一応にこりと微笑んだ。
が、そのルカに向かって、リリーはきっつい視線を送りながら言ったのだった。
「うるさい。私に話しかけるな、ヒト種!アルフリート様があぁおっしゃるから一緒に来させてやるが、貴様なんぞに借りる力はかけらもない。この事件は私が解決する!いいな!お前は何も言わず、黙ってそこにいるだけでいい!」
「はぁ?」
「貴様なんぞ役に立つはずがないだろ?私は精霊種で貴様はヒト種だ。そのくらいのことも分からんのか?」
と、言う具合の最悪の出だしを切って、二人の冒険は幕を開けたのだった。
◆◇◆◇◆◇◆
「先生。いつまでこの街にいるんですか?私すっかり飽きちゃったんですけど」
日の差し込まぬ暗い部屋で。
一人の少女が、椅子に深く座りうたたねとも瞑想ともつかぬ瞑目の中にいる男に声を掛ける。
男はゆっくりと目を開き、静かな声で少女に答えた。
「アナスタシア。君は料理も上手いし可愛いしよく気が利くが、飽きっぽいのがよくない。何事も、余裕を持って振舞わなければ優雅とは言えないよ」
そう言われた少女は「はいはい」と言って耳の後ろあたりを掻いた。
その何気ない仕草が妙に様になっている。
少女、と言ったが、その肉体は成熟した女性と少しも変わるものではない。
黒地に白いフリルのついたドレスに覆われた肉体は、豊満と言って差し支えないものであったが、その表情はまだあどけない少女のものである。
大きな瞳に整った顔立ち。
青い髪をした美少女。
少女は二房に分けて頭の上から垂らした独特の髪を指で梳くと、男に向かって重ねていった。
「お説教はいいですから。次行く所が決まってないならそう言ってください」
「厳しいな、アニー。訂正。厳しい所もよくないね」
「まったく…。大体先生は道楽が過ぎますよ。あんなことして、何か先生の得になるんですか」
少女の指摘に、男は目を細め、そして楽しそうに口を開いた。
「『たとえ老いさらばえて 私の姿が変わっても 燃える恋の火は変わりはしないわ
時は私から 何も奪ってはいないもの』」
「何ですか?それ」
「古い謡だよ。なかなかいい詩だろ?」
「まぁ先生の音痴で台無しですが」
「うるさいな。私たちの心は移ろいやすい。それはどの種でも変わらない。私のようなものでも、君のようなヒト種でもね」
そう言った男の顔が数瞬光に晒される。
長くとがった耳は精霊種の特徴である。
その美貌もまた。
だが、その褐色の肌は?
男は満足そうに笑うだけだ。
それから4件、ルカとリリーは同じ事件の被害者の家を回った。
それは霊獣種だったり精霊種だったり地霊種だったりヒト種だったりしたわけであるが、どの家も基本的には同じ被害にあっており、ご婦人方は蛙を抱きしめているばかりである。
ルカは考える。
これは非常に手の込んだ事件だ。
①子どもを浚い、それを魔法生物と入れ替え、
②母親にそれが子どもだと思い込ませる
かなり高度な手法だが、目的は愉快犯だろう。
近年、目立った戦争もなくなった共和国の時代。
それまで高い魔導技術や戦闘技能をで名を馳せた天才達の才能の行き場がないことが大きな問題になりつつある。
彼らの中には、都市を丸ごと破壊できるくらいの技術で、恐ろしく手の込んだつまらないいたずらをするものもいて、被害自体はたいしたことがないのに警察がどうにも解決できないと言う迷惑極まりない犯罪で、暇を潰すものがいる。
「才能の無駄遣い(ネバー・ユースフル)」と呼ばれるそれらの犯罪者は決まって社会的地位の高い者や、伝説級の人物であることがままあり、警察の悩みの種となっている。
だからルカには、リリーがアルフリートを頼ってきた気持ちが分からないでもない。
アルフリートもはっきり言って「才能の無駄遣い(ネバー・ユースフル)」と変わらない。
高い技術と才能を持ちながら、それを活かすようなことは何一つしていない。
ヒト種が身を寄せ合うように住まう貧民街で、一人のヒト種の少女を育てながら、探偵などと言う益のない生業をしているだけだ。
それすらほとんとはルカが動き、アルフリートは何もしてないに等しい。
アルフリートが何を目的にしているのか。
そんなものがあるのかどうかすら、ルカには検討もつかなかった。
さて、栄えある中央の警察官、それも警部を名乗る女性であるところの精霊種であるリリー・ダラーは、相変わらず進展を見せない事態に苦い顔をしていた。
そもそもにっちもさっちも行かなくなったからアルフリートの噂を頼りに貧民街にまで足を運んだのである。
それなのに。
リリーは自分のとなりであくびをかみ殺す少女を射殺すように視線を送る。
こいつさえいなければ・・・。
大体、こんな女がアルフリートと一緒に暮らしているというだけで我慢がならないのだ。
なぜ黒色精霊種ともあろうものが、ヒト種の女などと一緒に暮らしている。
「まさかアルフリート様は幼児嗜好者なのか…?」
「あんたぶっ殺されるよ」
つい漏らしてしまった言葉におほん、咳払いしてごまかしていると、リリーの胸の谷間がぽわっと光った。
リリーはごそごそと胸の服の中に手を入れて、美しく縁取られた輝く宝石を取り出す。
「なんつーとこに仕舞ってるのよ」
「うるさい。肌身離さず、が基本なんだ。警察官の身体情報も拾っているからな」
精霊石である。
魔導的にさまざまな特性を付与できるが、これは警察用に調整された特注品である。
リリーが宝石に向かって短く呪言を呟くと、宝石から男の声が聞こえた。
遠くにいるものと声をかわすことが出来る「遠信」の術を簡易的に行うことが出来るのだろう。
ルカは、へぇと感心したような声を出す。
「そうか…わかった。うむ。いや、いい。私が行こう。相手が相手だ。あぁ、そうしてくれ。頼んだ」
話が終わると、リリーは精霊石を再び胸の中にしまう。
「どうしたの?」
ルカが訊ねると、リリーは誇らしげに笑いながら言った。
「警察の捜査力が、事件の直前に街に現れた魔導士風の奇怪な人物を洗い出した。貧民街の一角に住み着き、若い女に買出しなどさせているらしい。十中八九今回の犯人と見て間違いあるまい」
「ふぅん」
「見たか。貴様の力など必要ない。私は今からその魔導士を制圧してくる。おそらくかなりの使い手だろうが、まぁ私にかかればどうということはあるまい。貴様は帰って私の吉報を待っているのだな」
そう言ってリリーは腰に差した長剣の柄を握る。特殊な呪力が込められているらしく、リリーの気合に反応するように淡く光った。
そんなリリーを見ながら、ルカはヒトの悪い笑みを浮かべてから言葉を返した。
「私も行く」
「は?」
「だって、アルには私を連れて行くように言われてるでしょ?」
「そ、それはどうだが…」
「行くわよ、そんなの。こんなとこで放り出されても面白くないじゃない。さ、行きましょ。貧民街なら私に知らないところはないわ」
さぁ、どこなの?と詰め寄ってくるルカに、リリーは反論しようとするが、アルフリートがそう言ったことには間違いがない。
「言っとくけど、ここで放り出されたらそのままアルに言うからね?アルの面子つぶす気?」
アルフリートの名前を出されたらリリーにはどうしようもない。
「き、貴様」
「ほら、どこなのよ?」
リリーは怒りにぷるぷると震えながら、その場所を口にするのだった。
「ん?」
暗い室内で、男は疑問の声を発した。
「どうしました?」
青い髪を揺らしながらアナスタシアがそう訊ねると、男は「ふむ」と細い顎に手を掛ける。
「お客様だ。ここの入り口まで来てるよ。なるほど。警察と言うのもあながち馬鹿ではないらしい」
まるで見えているかのように喋る男に、しかしアナスタシアは驚くでもなく呆れた声で言った。
「だからそろそろ街を出ようって言ったじゃないですか」
「起こったことをとやかく言っても仕方あるまい?ガルムを放っておいてくれ。私は出発する準備をしておくから」
「ガルムって。警察のひと食べられちゃうんじゃないですか?」
少女の声に、男はそれがどうした?とばかりに言葉を続けた。
「警察なんだ。そのくらい、覚悟してるだろ?」
そして支度を始める男には、すでに誰かの命のことなど意識にないようであった。
「開けるぞ」
「どうぞ」
ぎぎぎぎと古びた扉を開き、リリーとルカは黴臭い建物の中に侵入した。
「留守だったらどうするの?」
「男は部屋を一歩も出ないらしい。余程目立つ外見でもしてるんだろう。見ればすぐに分かる」
二人が慎重に室内に入って行くと、突然、部屋の奥から低いうなり声が聞こえだした。
「…なるほど。留守じゃないみたいね」
「なんだ?」
リリーは腰からかちゃり、と長剣を抜き放つ。
ルカもまた腰のポーチからナイフを取り出した。
ぐるるるるるるるるるるるるるるるるるる
部屋の奥からのそりと、大きな身体をした何かが歩いてくる。
「ちょ、これって……『地獄の番犬』じゃん!?」
「闇の一族だと!?」
現れたのは、身の丈が天井に届くほどの三つ首の巨大な犬だった。
凶悪な頭ひとつでルカやリリー一人分は裕にある巨体である。
「やっと面白くなってきたじゃない」
ルカはそう言うとぺろりと唇を舐め、ナイフを構えなおしたのだった。