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事件1 かくれんぽ(ハイド・アンド・シーク)③

だいぶ間が空きました。すみません。

生物の肉体を変貌させる術というのはいくつか存在する。


外科手術に用いられるような術から、呪いと言われる呪術までさまざまで、ルカがそのすべてを知るわけではないが、しかし目の前の光景はそれでも異常の一言に尽きた。


まずバクン、と音がして。


少女の発達した胸が大きく膨らんだ。

それはまるで肺がより高い運動能力を発揮するために拡張し、肉体を押し広げたかのようだった。

次ににたりと笑った少女の唇が何と頭に頂いた獣の耳まで裂け、かつての可憐さなど微塵も見当たらぬその顔に満遍なく獣毛が生えだした。

ごきりごきりと音を鳴らして、少女の華奢な身体が見る見るうちに強引に変形していく。

肩が盛り上がり。

ひじの関節が張り出し。

重心が低く落とされ。

その手の先に鋭い爪が生え揃う。


それは完全に少女のドレスを着た怪物と化していた。

まったく、犯人が見つからないはずである。

一体誰が想像しようか。

可憐な霊獣種(リカント)の少女がかくも恐ろしい変貌を遂げるなどと!


『るおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおん!』


歪な両の腕を広げて天を仰ぎながらかつてアリサという少女だった獣が月に向かって吼える。

その大きく開いた口にはびっしりと凶悪な牙が覗いていた。


「冗談きついって!」


ルカは目の前で起きた少女の変貌に少なからず衝撃を受けながらも、頭をフル回転させてこの怪物に対する対策を練っていた。

逃げることはこの期に及んでは論外である。

将来を有望視された霊獣種(リカント)の青年が逃げ切れずに殺害されているのだ。

背中を見せた隙に食い殺されてはかなわない。


まずはよく見ることだとルカは考えていた。

ポーチから小さなナイフを取り出して、片手で握って構える。


『小さな牙ね。震えるくらい小さな』


意外にも少女の口調で、しかし地獄の底から聞こえてくるような重低音で獣はしゃべった。まさか今日、当の犯人と戦闘になるなどととは思っていなかったルカは、正真正銘この小さなナイフしか戦闘に役立ちそうな武器を持っていはいなかった。


「ちょっと大きくなったからって調子に乗らないでくれる?女の子の影に隠れてこそこそしてた子猫ちゃん」


安い挑発だ。

だが、まずは相手の出方を見ることが先決である。


『これから駆られる野鼠がッ!精々粋がりながら死んでいくのねッ!』


少女の口調であることがかえって恐ろしい。

幸いと言うべきか。

挑発は功を奏し、獣は激昂して襲い掛かってきた。


『ぐるるるるっるるるぉぉぉぉぉぉんッ!』


それは正に目にも留まらぬ速度で。

ルカからある程度の距離を置いていてはずの獣は、瞬間後にはその数歩先で膝を折り身体を大きく沈め、魔獣のバネでルカに飛び掛ってきた。


「早っ」


巨大な口に居並ぶ牙の一撃を、ルカは寸でのところで身をよじってかわす。


「くっ」


すれ違いざまにその獣毛に覆われた腕の辺りに刃をひらめかすルカ。

しかし。


「いぃッ!?」


獣の肌を切り裂くはずの刃は、しかし根元からぐにゃりとひん曲がっていた。

 

「ちょっと、冗談でしょ」


 『死にな!鼠が!』


 思い切り振りかぶって獣が豪快な一撃を繰り出す。

 その場を転がって難をのがれるルカ。

 身の軽さならば霊獣種(リカント)をも凌ぐのではないか。

空振りした一撃は屋敷を取り囲む石塀にぶち当たり、難なくそれを粉砕した。


「まるっきり闇の一族(モンストロ)ね。あれじゃ」


 冷や汗を掻きながら、土煙の中からまっすぐにこちらを見る獣から目を離せずにいるルカ。


 「仕方ない。真向勝負ガチンコで行きますか」


 言うが早いか。

 悠然とこちらを見る獣に向かって、言葉通り真っ向から走りよった。


 『気が触れたか!』

 「そりゃあんたでしょ、月狂病(ルナティック)!」


ルカはその小さな身体のバネを思い切り利かせて、あっという間に獣に肉薄する。


『ぐるうぅうぅッ!』

「当たるかッ」


獣がすかさず爪を振り下ろすが、やはり身を捩って難なくその一撃をかわすルカ。


「るぁあああッ!」


そのまま。

身体の回転を利用した拳の一撃が、鉄の刃をも弾く獣の腹の辺りに炸裂する。

しかし少女の渾身の一撃と言えど、どれほどのことがあろうか。

そう、獣は侮っていた。


『ぐ、ぐおぉぉぉぉぉ……』


めり。

ルカの拳は彼女の手首ほどまで獣の腹筋にめり込んでいた。

内臓を破壊されたのか。

その口から鮮血を吐血する獣。


「腕っ節には、ちょっと自信があるのよ、私」

『き、貴様ッ!』


獣が半ば反射的に振り上げた腕をルカは片腕を使ってガードする。

圧倒的な一撃で彼女は弾き飛ばされ、反対側の石塀に激突してそれを破壊した。

並の人間なら最初の一撃で即死。

精霊種(エルフ)

霊獣種(リカント)でも壁に激突した時点で致命傷だろう。


『どうだ!』


腹を押さえて石塀を見遣る獣。

しかし、そこには砂ほこりの中、悠然と立ってぱんぱんと埃をはらうルカの姿があった。


「あいたたた。ちょっと、この服高かったんだけど?」

『あなた、本当に人間!?』

「失礼ね。よく言われるけど…」


ルカは憤慨する様にささやかな胸を張って頬を膨らませる。


「ちょっとばっかり、頑丈に出来てるだけよ」


その何気ない仕草に気おされるように後ずさる少女であった獣。


『聞いたことがある。黒色精霊種(ダークエルフ)が飼いならす少女の姿をした魔獣の話。てっきり、黒色精霊種(ダークエルフ)の性癖を隠す為のデマだと思ってたけど』


「言っときますけど、私は人間だし、アルと私はそんなんじゃないからね?」

『ふふふふふ。丁度いい。その辺の男どもでは満足出来なくなってきていた所だ。あなたを殺して、今日はぐっすり眠れそうだわ」


狂気を宿した獣の瞳を見ながら、ルカは小さくため息をつき、人差し指を突きつけた。 


『何の真似だ?』


「あと一個だけ言っとく。このままじゃなんか、釈然としないから。あんたの恋人だった霊獣種(リカント)。多分、彼を殺せたのはあんたの実力のお陰じゃないよ?」

『何を言うかと思えば。ケントは私に手も足も出なかったのよ?』

「手も足も、出さなかったんだよ。あんたと戦ってみて分かった。確かに一般人だったら人間だろうと精霊種(エルフ)だろうと霊獣種(リカント)だろうと、あんたと出会ったら致命的だわ。でも、ケントは軍人候補だった。それも飛び切りの血統書付きのね。さっきからずっとそれが引っかかってたの。ケントには、あんたに一矢報いることくらい出来たはずだわ」

『…何が言いたい?』


獣の低い声に、ルカは初めて言いよどんでから、そして諦めるように言った。


「ケントはあんたが目の前で変わってしまうのを見ていた。あんたが発症したのはあの日が始めてだったんでしょ?どんなに姿が変わっても。心が変わっても。恋人のあんたに手出しするわけにはいかなったのよ!」

『うるさいッ!それがどうした!食い殺してやったんだ!私は、食い殺してやったんだよ!腕をへし折った!腸を抉った!喉笛を噛み千切った!私は、食い殺してやったんだ!』


激昂して。

獣はルカに飛び掛る。

いつの間にか、ルカの頬は涙で濡れていた。


 「あんた、もういいよ。哀しすぎるよ……」

 『ぐるるるっるるるるるるるっるるるるるうぉぉぉぉぉぉぉぉぉんッ!』

 「あああああああああああああああああああああああああああああッ!」


 大きく振り下ろされた爪を掻い潜り、蹴りだされた脚をすり抜け、打ち合わされた牙を辛くもかわし、ルカの回し蹴りが獣の脳天を打ち据える。


 「あああああああああああああああああああああああああああああッ!」


 ルカの攻撃は止まらない。

 怯んだ獣の左わき腹に拳を叩き込み、体勢を低くしてその脚をしたたかに払うと、元の少女の倍はありそうな、獣の巨体がぐらりと平衡を失って倒れる。


 「これでッ!終わりだッ!」


 立ち上がるその力を利用して、ルカが拳を握りこむ。


 その圧倒的な攻撃に翻弄される獣は天から自分を見下す月を見て、それから思い出したかのようにルカの姿をその目に収めた。


 「ありがとう。ルカさん」

 「ああああああああああああああああああああああああああああああッ!」


 たまさか見せた少女の笑顔は幻で。

 ルカの拳が獣の顎を叩き上げた。






◆◇◆◇◆◇◆

 




 アルフリート・ウルグルスは今日もまどろみから目を覚ました。

 慌てて寝煙草の始末をすると、台所からよい香りが漂ってくるのに気付く。

 昨日は大分憔悴していたようだが、今朝はもう台所に立っているらしい。

 とんとんとんと、リズミルな音も聞こえてくる。


 昨夜。

 遅まきながらも真相を見破ったアルフリートが駆けつけたときには、ルカはすでに血まみれの少女の隣で膝をついていた。

 アルフリートはすぐに少女に駆け寄り息があることを確かめると、その治療を施そうとして己が養い子に止められた。


「お願い。死なせてあげて」


 ルカの言葉に面食らいながらも、アルフリートは何とか彼女を説得し、アリサの命を止める事に成功した。

だがルカの危惧ももっともではあった。

いかに記憶がなかったとはいえ、いかに病のせいとはいえ。

いずれ万が一にも真相を知れば、少女は正気ではおられまい。

ここで生きるのが少女の為かどうか。

残念ながらそんなことを決められるほど、アルフリートという黒色精霊種(ダークエルフ)

は傲慢ではない。


少女は深い昏睡に陥り、まだ目を覚ましていない。

それが少女が選んだ結末なのだとしたら、しずかに死んでいくのもまた仕方がないのかもしれない。


 

『…月狂病(ルナティック)とは月の病である。月と共に霊獣の姿は闇の一族

(モンストロ)のように変貌し血肉を 求める。だが、彼にその覚えはない』


本当にそうであればどんなにいいか。

アリサは薄々は感づいていたに違いない。

毎朝寝る前とは別の服を着ている自分。

夜寝る前の記憶を失っている自分。

おぼろげな自我の中で、彼女もまた誰かに止めて欲しかったのかもしれない。


「はい。ご飯よ」


物思いに耽っていると、ルカが食卓に朝食を並べだした。

焼きたてのパンを切り分けてアルフリートに差し出してくれる。

その姿はすっかりいつもの彼女のようだったが、その頬はまだ濡れていた。


「ルカ……」

「なんでもないよ。なんでもない。アル、何も言わなくていいから。何かいったら殴るから…」

 「うん…。今日のスープは、なんだ?」

 「…春キャベツと、白茄子…」

 「そうか…」


 アルフリートはそっとスープを口元に運んだ。

 よく煮込まれたスープは今日も美味しかったが、どこか涙の味がするような気がした。




かくれんぼ(ハイド・アンド・シーク) 了



事件ケース2 とりかえっこ(チェンジリング)に続く


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