事件4 人形あそび(パペット・ショー)②
「黒色精霊種の賢人、アルフリート・ウルグルス様をお連れしました」
大きく、そして豪奢な扉だった。
金の縁があしらわれた獅子の顔を設えた扉は、狼藉者が見れば震え上がりそうなほどに凝った意匠である。
強力な、魔除けの力が込められているに違いなかった。
それも、震え上がるこの部屋の主には、少しも心休まる要素ではないのであろうが。
ヒト種の執事に紹介を受けた、黒色精霊種たるアルフリートは苦笑した。
賢人とは、随分高く買われたものだと。
「……は、入って頂け」
部屋の中から消え入るような声がして、執事は「失礼します」と言ってゆっくりと扉を開けた。
扉が開くと、アルフリートは一瞬顔を顰める。
もう、日が翳ろうと言う時刻であるのに、部屋の中では煌々といくつものランプが光を灯し、昼間以上の明るさを作っていたのである。
「暗闇が、恐ろしいと申されまして……」
執事が耳打ちするようにアルフリートに言った。
室内にいたのは哀れになるほど悲壮な顔をしたヴィンセント・テイラーその人である。やっとと言った風情で椅子に座り、がたがたと震えている。
二人の侍従が側に控えていて、常に誰かがいるようにしているらしかった。
始終この調子では寿命が縮まる思いであろう。
事実、頬は痩せこけ、目の下には隈ができ、艶やかであったろう精霊種の髪はぼさぼさと見るかげもない。
男はそれでも立ち上がると、アルフリートに向かって危なげに礼をした。
「ヴィンセント・テイラーと申します。あ、アルフリート様にはご機嫌も麗しく…」
「アルフリート・ウルグルスだ。卿は悲惨の様子だな。この度は、災難だった」
黒色精霊種が何かに傅く事はない。彼らはもっとも希少で高貴な種族と考えられている。
神を失ったこの世界では、人々の尊崇の対象ですらある。
共和国代議士たる野心家のヴィンセントならば、常なら目上の者に借りなど作りたくはないだろう。
今回アルフリートを呼び出したことは、彼のよほどの困窮具合が見て取れる。
「わ、わざわざのお越し、申し訳なく存じ上げます。ですが、何卒、何卒お頼み申し上げます。あ、あれから、わたくしめをお守りください。お願い申し上げます」
「『あれ』?」
アルフリートはその言い様に奇妙なものを感じた。あれとは一体なんのことであろうか。妻と御者の死体が再び起き上がり、彼に襲い掛かるとでも思っているのだろうか。
だが聞き返そうにもヴィンセントは「お願いします」とただ念仏のように繰り返すだけだ。アルフリートは嘆息して、「出来るだけのことはしよう」と短く言った。
「で、何で貴様がここにいるんだ?」
「こっちの台詞よ」
テイラー家のホール。
そこでは二人の女性が、互いを睨みつけるように見据えながら言葉を激突させていた。
一人は赤毛の少女である。
タンクトップにショートパンツと言う軽装を好む彼女であるが、今日ばかりは流石に令嬢のようなフリルのついたブラウスを纏い、タイを垂らしている。
穿き慣れぬ、踝まで長いスカートがどうにも窮屈そうであるが、その衣装は普段は奔放な彼女の魅力を、淑女たる涼やかな魅力に変えている。
胸や尻に肉が足りないのがなんとも残念な少女だった。
もっとも、大股で腰に手を当てなどしていれば、どんな格好をしていようと台無しではあるが。
もう一方の女性は、緑地の制服を身に着けた精霊種の美女である。ただし、大きすぎる胸が布地を押しのけ、ボタンをとめることが出来ないために、ふくよかな胸の谷間が丸見えである。
何かを口にする度にぷるぷると震えるその様が憎らしいのか、残念な少女は親の敵のように白い谷間を睨みつける。
邸内にはすでに数十人もの精霊種の警官がひしめき合っており、あらゆる場所に目を光らせていた。
ヒト種のルカと警察官たるリリー・ダラーは、テイラー邸でまさかの邂逅を果たしていた。
「ふん。あんた達が頼りないから私たちが呼ばれたのよ」
「何だと、ヒト種。霊だか死人だか知らないが、我が剣に斬れぬものはないわ。……待て、私たちとは――――」
「これは珍しいところで会うな。リリー」
「あ、アル―――」
「アルフリート様!」
執事を伴ってホールに現れ、二人を目に留めたアルフリートに、ルカを押しのけるようにして近寄るリリー。
すかさずその腕を取り、豊満な乳房を押し付けるのも忘れない。
「り、リリー。まさか君がこの件を担当しているとはね」
「私も!まさかこのようなところでアルフリート様にお会いできるなんて!もう、これは運命ですわ!」
「いや、たまたま依頼主が同じだけだが」
たじたじのアルフリートに変わり、ルカがリリーを引き剥がす。
「何やってんのよ!勤務中でしょ?」
「私は公人たる私と私人たる私を分けないようにしている」
「堂々と公私混同するな!」
ふぅふぅ言いながら取っ組み合いでも始めそうな二人の女性に、「仲いいなぁ」とか言いながら、アルフリートは遠慮がちに声を掛ける。
「時に、リリー」
「はい!なんですか?あ、今日つけてる香水ですか。あぁ、まさかアルフリート様にお会いできるとは思ってなかったので、あまりいいものはつけてはいませんけど。シャングリアの12番です。私、甘い香りはどうも苦手なんですけど、この香水だけは―――」
「いや、そうではなくてね。ちょっと聞きたいんだ。いいかな、リリー警部?」
「…はぁ」
役職を呼ばれ、きょとんとするリリー。ルカもまた不思議そうに小首を傾げる。
「今回の容疑者は、もう大体分かって来ているのだろう?」
単刀直入なアルフリートの言葉に、流石のリリーもうぐ、と息を詰める。
「これはとても手の込んだ事件であり、どんな方法を用いても莫大な労力と魔法知識、あるいはそれらを依頼する資金が必要だ。これだけのことをして、誰かを害する必要はあまりない。今日殺すなら、三日前に殺しても、目的が殺害なら同じことだからね。ヴィンセント卿は、誰ぞにかなりの恨みを買っているようだね」
そう言ってアルフリートがにこりと笑う。リリーは微苦笑しながらその笑顔に答えた。
「やはり全てを見通してらっしゃるのですね。おっしゃるとおりです。警察も怨恨の線を疑っています。ただ殺すだけでは飽き足らない。恐怖のどん底に落とし込んでやろうと言う深い怨恨の線を」
そう言ってリリーは胸の谷間に手を入れると、そこから手帳を取り出した。
ルカの顔が不快げに歪むが、ここは悪態を吐くのは控えたようだ。
今回の事件を、悪霊とか霊魂などというものと無関係に魔法的に考えれば、犯人は何らかの形で死体を操ったか、余程鮮明な幻覚を見せたかと考えるのが適当だ。
精霊種の要人が乗っている以上、走行する馬車には魔力除けの結界が張られていただろうから、テイラーを起こすことなくこの馬車を止めて被害者の殺害に及ぶだけでも相当の魔術知識が要求される。
それほどの使い手で、かつ犯罪に手を染めるものとなると、その数はそう多くはないだろう。そしてそう言う者を裏で使うためにはコネと、相応の資力が必要となる。
「容疑者は3人まで絞られています。いずれもヴィンセント・テイラーに深い恨みを持つ者たち。一人目はミヒャエル・ダグラス。テイラーと同じ代議士で、彼とは以前から衝突が絶えません。一方が法律案を提出すればもう一方が必ず反対すると言う有名なライバルで、プライベートでもいがみ合っています。先日、ヒュッケンバリエの晩餐会で後継者のお披露目パーティーがあり、テイラーはその帰りに襲われていますが、ダグラスもその会には参加しています。テイラーもダグラスも、ヒュッケンバリエの息子に自分の娘を嫁がせようと画策しているようです」
「でも、それだと動機が殺しても飽き足らないってほどじゃないよね」
政敵を殺害するだけならまだしも、こんなに手の込んだ手段を使う必要がなさそうである。
ルカがそう口を挟むと、リリーはきっとそれを睨みつける。
「そんなことはわかっている!あくまで可能性の話だ。」
「それで、あとの二人は?」
「あ、はい。次はガンダル・ハイント。テイラーと同じ選挙区で戦い、敗れた為に中央を追われた人物です。虎視眈々と議会への復活をもくろんでいるのですが、その度にテイラーに執拗に潰されているらしく、心中の怒りはかなりのものかと。正直に言って、我々が一番の嫌疑をかけているのはこの男です」
「ふむ……」
アルフリートはそう言うと、顎に手を当てて何事かを考える。
「最後は?」
「はい。ええっと、最後はまぁ怨恨の線なのですが、まぁあまり確証のある情報でもなく…」
急に歯切れが悪くなったリリーに、アルフリートはおや、と眉を上げる。
「どうした?何でもいい。教えておくれ、リリー」
「はぁ。テイラーは士官学校の出身なのですが、そこでレイン・ヒューバーと言う男と友人関係にありました。ヒューバーは由緒ある騎士の家系で、二人は勉学や武芸を競わせていたようです。ですが、後にヒューバーは違法取引で摘発され、家名と騎士株が剥奪され、第二刑に処された後、セブルス地方に追放されています」
「それが、テイラーさんと何の関係があるの?」
首を傾げるルカに、それを今から話すんだ、とやはり忌々しげに言うリリー。
「もう五十年も前の事件で詳細は分からないのですが、当時ヒューバーは、その違法取引は本来テイラーが主犯であったと主張したそうです。テイラーはこれを否定し、ヒューバーが処断されたわけですが、その後のテイラーの躍進振りから、ヒューバーは利用されただけだったのではないかと言う者もいます。まぁ噂の域を出ませんが」
「……セブルス?」
「えぇ、ご存知ですか。辺境の地です」
「あぁ、古い知り合いがいてね・・・」
「そうですか。まぁ、ヒューバーには高度な魔法の技術も、資力もありませんし、実は生死も不明なのです。彼が関わっている可能性は低いかと。他にも怪しい人者はいるにはいるのですが、いずれも犯行が不可能だと言う点で容疑者には届きません」
代議士などやっていると、どうにも敵が多いらしい。
「どうしたの、アル?」
何かを考え込むアルフリートにルカが尋ねる。
「いや、そうか、しかし、何故……?執事さん、少し、見せて貰いたいものあるのだが、いいかね?」
急に話を振られて、傍らにいたテイラー家の執事たるヒト種はビクリと身を震わす。
「え、えぇ。旦那様には出来るだけの便宜を図るように言われておりますので…。それで、その、何をお見せしましょう?」
やや慄きながらそう言う執事に、アルフリートは女性なら卒倒しそうな極上の笑みを浮かべて言った。
「奥方の遺体を」
「え?」
「は?」
「えぇッ!?」
三者三様の驚きの声を導き出しながら、黒色精霊種は微笑を湛え続けた。
広大な屋敷である。
その分、多くの使用人が働き、人の気配に溢れている、そんな屋敷である。
更に今は多くの警官が詰めていることもあり、大変な数が物音を立てている。
部屋数は50を下ることはないだろうし、働いている使用人の数も20を下回ることはないだろう。
だが、その一角、静謐に保たれたある一室だけが、しんと水を打ったような静けさを湛えていた。
ヒト種の老人の案内で、アルフリート・ウルグルスと彼の養い子たる赤毛の少女は、地下室に下りてきていた。
老人が重たい鉄の扉を開き、カンテラに火を入れる。
淡い光が彼らの前方を照らした。
「少し歩きますが、この先になります」
執事の先導を受け、アルフリートとルカは歩みを進める。
歩きながら、ルカはアルフリートに向かって小声で尋ねた。
「どうして、死体なんか見たいの?」
うん、とアルフリートはやはり低い声で答える。
「確かめたいことがある。遺体を見るのが一番手っ取り早いのだ」
「確かめたいこと?」
「リリーの話を覚えているかい?セブルスという地名が出てきただろう」
「うん」
「セブルスとは古くから人形使いたちが住む土地なのだ。ヒューバー氏がこの地を訪ねたのは正しいよ」
「どうして?落ちぶれた貴族がどうして人形と関係あるの?」
「落ちぶれたとはひどいな。さっき、リリーは第二刑に処されたと言っただろう?それが何か分かるかい?」
「さぁ?」
「精霊種の言う極刑は勿論死罪だが、第二刑とは両腕の切断と追放だ。死に次ぐ思い罰というわけさ。腕のいい人形師の中には義手の名手もいる。だから、ヒューバー氏の選択は正しいのさ」
「両腕?……それって!?」
思わず大きな声で聞き返した養い子の唇に、すっと人差し指をあてながら、アルフリートはしっと言った。
「両腕のない騎士服の男の死体は見つかっていない。そして、どうやらテイラーはそれが誰だかわかっているようだ。でなければ『あれ』などと言わない」
暗い道を歩きながら、アルフリートは前方の闇を見据えながら言った。
「テイラーは、私に何かを隠している」
「こちらでございます」
そうこうしている間に一同はその部屋にたどり着いた。
やはり、重たい鉄の扉が開かれると、中央の石の台の上に、婦人が一人寝かされている。
それは本当に眠っているように見えた。
だが首の辺りには白い布がかけられ、切断部が見えないようにしている。
これが、テイラー婦人の遺体なのだとルカは思った。
「どれ、失礼」
アルフリートは執事が「あ」と言うのも聞かずに死体に近づくと、ぺたぺたとあちこちを触ったり覗いたりし始める。
「あ、アルフリート様!そ、そのような不敬な…」
「だいじょうぶ」
何が大丈夫なのか。
黒色精霊種は少しも気にした風もなく死者を冒涜するようにその肉体を検分した。
「死体愛好家…。アルにそんな趣味があったなんて…」
「ないない。ないわ、そんなもの。ちょっと調べただけだ。概ね分かった」
養い子を小突きながら、アルフリートはようやく死体から離れる。
「な、何がお分かりなのでしょう?」
執事が心配そうに呟くと、アルフリートはやはりにっこりと笑って言った。
「事件は思ったより根が深いようです。まぁ、夜を待ちましょう」
「や、やはり、その来るのですか?何かが旦那様を襲いに?それとも、その、奥方の遺体が…」
起き上がるのですか、と言う言葉を執事は飲み込む。
その問いに、黒色精霊種はミステリアスに微笑んだ。