事件4 人形あそび(パペット・ショー)①
何故こんなことになった?
共和国代議士であるヴィンセント・テイラーは、その高価な布地で出来ているのであろうスーツをぐしゃぐしゃにして走りながら、一心にそれだけを考えていた。
これが悪い夢の類である証拠を必死に探そうとしていたのかもしれない。
大商人であり共和国にとってなくてはならない存在である卸商、ヒュッケンバリエ家の催した晩餐会に参加した帰りである。
ヒュッケンバリエの15歳になる息子の披露を兼ねたその社交のステージは、参加した多くの有力者達に、澄ました顔の裏で鼻息を荒くさせた。
ヴィンセント自身も己の娘を嫁がせようと裏で画策しているのだ。
晩餐会が終り、随伴した妻と共に馬車に乗り込んだ所までは覚えている。
ほろ酔い気味であったヴィンセントはそのままとろとろと寝入ってしまったのだ。
それからどれくらいを馬車に揺られたのか。
だからヴィンセントには分からない。
ガタン、と大きく馬車揺れてヴィンセントは目を覚ました。
その拍子に、窓にしたたかに顔を打ち付けたヴィンセントは反射的に御者に文句を言った。
「おい!なんという運転をしている!」
御者は確かヒト種だったはずだ。
精霊種であるヴィンセントからすると低俗すぎる種族である。
まったく、満足に馬も扱えないのか。
ヴィンセントはそう思うと腹立たしかったが、一向に御者台からは返事が聞こえてこない。
馬車も走り出す気配がない。
よもや居眠りをしているのではないだろうな。
ヴィンセントはそう考えて御者台に続く扉を開けようとして、ふと隣に座る妻を見た。
別に何を感じたわけでもない。
本当にふと、隣に視線がいったのだ。
その瞬間。
共和国代議士ヴィンセント・テイラーは、まるで生娘の様な悲鳴を上げることとなる。
「ひぃっ!!!!!」
妻には首がなかった。
いや、正確には首があるべき場所になかったと言うべきか。
首なしの妻は、膝の上に、大事そうに、空ろな視線で虚空を見つめる己の首を抱えていたのだから。
「うわぁっ!」
ヴィンセントは慌てて馬車から転げ落ちるように飛び出した。
そこは腐っても精霊種である。
尻餅をつくような無様はしなかったが、その顔は恐怖で歪んでいる。
御者台の上を確認すると、ヒト種の御者が座っているのが見えた。
「おい!ば、ばばばばば、馬車の中で……」
「馬車のなかデ…?」
御者は奇妙なアクセントで返事をした。
だが、混乱のきわみにあるヴィンセントはそれに気が付かない。
「そ、そうだ!つ、妻が、あぁ、なんでこんなことに…。いいから、は、早く見てくれ!」
必死なヴィンセントと比して、御者は馬鹿にのんびりとした口調でそれに答えた。
「それは、無理っテもんでしゅネー」
「な、何を言っている!早くしろ!」
ヴィンセントが怒りに任せてそう叫ぶと、御者の首がゆっくりとヴィンセントの方を向いた。
その顔を見て、ヴィンセントは我知らず絶叫していた。
御者の顔、その眼球があるべき場所は、まっくらな空洞になっていた。
だらだらと血の涙を流しながら、何が楽しいのかうすら笑っている。
「だっテ、目がないんでしゅカラ」
そう言って、御者はにんまりと気持ちの悪い笑顔を作った。
「な、なななななな、なんなんだ!」
その時、馬車の扉からすっと白い手が伸び上がるのを、ヴィンセントはいやいやをするように首を振りながら見ていた。
「アナタ、ねぇ、私ったラ、どこにおいたのかしラ。アナタ知ってなイ?」
馬車の中から、己の首を持ったまま首のない妻が出てきた。
完全に絶命しているはずである。
精霊種と言っても、首を斬られて生きていける道理はないのだ。
妻はとっくに事切れているはずの唇から言葉を発している。
常とは違う高さから発される言葉はいっそう不気味だ。
「私のカラだ、知らなイ?」
「ひぎぃっ!」
ヴィンセントは闇の中、一目散に逃げ出した。
そのヴィンセントの後ろを、確かに追いかけてくる足音が聞こえる。
「だんなサマぁぁぁあぁぁぁ。馬車をおいテ、どこにイカレルぅぅぅぅ」
「あなたぁぁぁあぁ、カラだ、しってるんデショぉぉぉぉぉ」
「うわぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁあっ!」
必死に逃げる逃げる。
夢なら覚めてくれ!
罰なら弁解をさせてくれ!
冗談なら種を明かしてくれ!
タイも剥ぎ取り、肥満気味の体を持て余しながら、懸命に走るヴィンセント。
彼の周りでどこからか、くすくすくすと子ども声の様なものが聞こえるのがまた、不気味でならない。
自分がどこを走っているのかもしれずにどれだけ走ったのかもしれずに。
ヴィンセントが一心不乱に走ると、やがて前方に一人の騎士服の男がいるのが見えた。
「た、助けてくれぇぇぇ!」
ヴィンセントが縋りつくように騎士服の男にしがみつく。
「ど、どうしました?」
男は困惑した表情でヴィンセントを見る。
ヴィンセントは助かるかもしれない安堵感と心底からの恐怖で千々に乱れる心を何とか落ちつかせて泣きながら男に訴える。
「お、追ってくるんだ!信じられんだろうが、追ってくるんだよ!」
「落ち着いてください。何がです?」
何が、と言われてヴィンセントは言葉を詰まらせた。
「か、怪物だ。首がなかったり、目玉がなかったりする!と、とにかく何とかしてくれ」
「なんとかと言われても…」
男は困惑したように眉を寄せる。
いきなりこんなことを言われれば無理もない。
無理もないが、今の頼りはこの男しかいない。
そう思ったヴィンセントは、尚も言い募ろうとして、はっとそれに気付いた。
そして、その顔を心底恐怖に歪ませてひっと息を呑む。
「無理ですヨ。腕がナイんですカラ」
そう言った男のひじから先は鋭利な刃物で切断されたように傷口が見えていて、だらだらと滝のように血を流していた。
「た、たすけてくれたすけてくれたすけてくれたすけてくれ…」
もう何も考えられず。
恐怖にかられてただそれだけを唱えるヴィンセント。
その背後に。
何かの気配を感じてヴィンセントは喉を詰まらせながら泣き始める。
「アナタ、ねぇ、どこナノ、私のカラダ。ナンだったらアナタのをくれてもいいノヨぉ?」
「ダンナサマぁ、サァ、なにを見ればいいんでしゅ?見るから、ちょいと目玉貸してくれましゅぅ?」
くすくすくす。
やはり、子どもの声が聞こえる。
よく見れば、何十と言う小さな膝の高さくらいの身長の子どもが、ヴィンセントを見てくすくすくすと笑っているではないか。
それが、ヴィンセントの精神が耐え切れる限界だった。
「ひぎゃあああああああああ!」
暖かい感触が下半身を濡らすのを感じて。
ヴィンセント・テイラーは意識を失った。
「―――それが三日前の話なのでございます」
「怖っ」
赤い髪の少女は一連の怪談染みた話を聞いて、思わずソファにしがみついていた。勝気そうな顔はひきつり、剥き出しの二の腕やふとももに、鳥肌が立っている。
対面に座るのはびしっとした身なりをしたヒト種の老人だった。
老人は貧民街に似つかわしくない二頭立ての馬車で探偵社を訪れ、テイラー家の執事と名乗ったのである。
「そ、それで、ヴィンセントさんも殺されちゃったの?」
「ルカ。殺されてたら、一体誰からこの話を聞いたんだ?」
そう言ったのは、安楽椅子に腰掛ける褐色の肌をした精霊種の男だった。
探偵社の主でもあるアルフリート・ウルグルスは呆れたように己の養い子を見る。
その言葉にルカははっとなって黒色精霊種を見る。
「ま、まさか死んだヴィンセントさんが!?」
「いい加減にしなさい」
アルフリートははぁっと溜息をついた。
「翌日、路上で気絶している所を発見された旦那様が恐ろしげに話されるのを書きとめ、なんとか繋ぎ合わせるとこのような話のようなのです」
それを聞いて、ルカが少しだけほっと薄い胸を撫で下ろした。
「奥様と御者の遺体も一所に発見されております。旦那様は今も床に伏せっております。暗がりを怖がり、一日中灯りを灯させ、常に誰かを側に置きたがるのです。旦那様がそのような状態ですので、奥様の葬儀も行えません」
「ふむ。それで?」
アルフリートは老人に話の続きを促した。
それで、何を頼みにきたんだ?
アルフリートの声はそう言っていた。
「実は、今朝のことでございます。旦那様も二日も立つと幾分気持ちを落ち着かせられまして、朝一人で用を足しに行かれました。その時、旦那様がトイレの扉を開けると――。あるいは唯のいたずらかもしれないのですが。トイレには大きな鏡が設えられております。その鏡にびっしりと、血のようなものでこう書いてあったのでございます」
【今晩迎えに行く】
「ひぃっ」
「ルカ、うるさい」
「丁度そんな風に。屋敷中に旦那様の悲鳴が響きました。高名なる黒色精霊種たるお方。警察は優秀な人間を寄越すと言っておりますが、旦那様はとてもそれでは不安だとおっしゃいます。確かに幽鬼の類であれば警察の力の及ばぬのも道理。どうか。この夜だけで良いのです。当家にいらしてはいただけませんでしょうか?」
そう言って頭を下げる老人。
アルフリートはぽりぽりと頬を掻き、次いでルカを見る。
「だ、そうだ。どうする?」
ルカはそんな養い親を見て、次に頭を下げる老人を見て―――。
珍しく情けない顔で乾いた笑みを浮かべた。