4 プレゼント(1)
途中、誰にもつけられていないのを何度も確認しながら、隼人は自宅に帰った。自宅に帰っても、窓から外の様子を盗み見て、怪しい動きをする人影が無いか入念にチェックを入れる。迷った末に、帰って来た時に点けた部屋の明かりを消す。パソコンモニターの光を頼りに封筒を開封する。中から、小さな携帯メモリカードが転がり出る。念のため、ネットワークとの接続を切ったパソコンで、メモリカードの中身をチェックする。
中身は動画ファイル1つだけだ。
今度はモニターに厚手の毛布を被せ、隼人も毛布の中に潜って、周囲に画面の光が漏れない様にしてから、動画ファイルを再生する。画面には、ソファに腰掛けた1人の女性が映し出される。
佳純だ。
すぐ、それと判る。間違える訳がない。自分の愛した女性だ。ただ、自分の記憶している佳純の姿とは違う。頬は緩み、額にも首筋にも深いしわが刻まれている。少し疲れた様な表情。こめかみのあたりの髪の毛には、白い物が混じっている。自分の知っている佳純は、20代後半の溌溂とした才媛だった。化粧っ気のない、凡そファッションとは縁のない女性だったが、広い額でも、張りのある頬でも、肌が輝いていた。実年齢を言わなければ、10代で通りそうな童顔と小さくて華奢な体。画面の向こうの女性も歳は取っているが、幼い顔つきの名残がある。背中が少し丸まっている様に見えるのは、歳のせいだろうか。
胸が締め付けられる。涙が出そうな気分だが、涙は出てこない。
佳純、佳純。
胸の中で何度も彼女の名前を呼ぶ。間違いない。ちゃんと居る。俺の佳純は実在するじゃないか。
2人で進めた研究だって、共同研究者が佳純だったから、個人の脳内の神経細胞の繋がりをデータとして可視化する成果を達成できた。脳内に存在する1千億個を超える神経細胞『ニューロン』と、ニューロン同士の連接点であるシナプスが、その人の記憶や考え方だけでなく性格も決めている。それを実証するために、脳の何処に何個のニューロンが存在し、どのようにシナプスで結びついているかをデータとして可視化する。それが2人の研究成果だ。もしも、データと同じ内容を他者の脳内で再現できれば、同じ性格、記憶、能力を持った人間をコピーできる。個人のニューロンとシナプスの分布をデータに落とす手段は構築できたが、他人に移植するのは、人体実験に相当してしまう。科学者の倫理の壁に阻まれて、結局2人は、研究の実証実験を実現できなかった。もし実証できていれば、きっと世界にインパクトを与える偉大な成果になった筈だ。実証実験への道が閉ざされた時、佳純と隼人は、自分達の脳の中身を夫々データ化し、いずれ時が来たら、他者の脳内データと比較できる可能性として残し、行き場の無い悔しさを紛らわそうって話し合ったっけ。
痩せて小柄な佳純の何処にそんなパワーが秘められているのだろうと驚かされる程、彼女は1度こうと決めたら意志が固く、徹夜の作業も厭わなかった。年頃の女性なら、美容に悪いとか、夜食は太っちゃうからとか言いそうなものなのに…。
隼人が思い出に浸っている内に、画面の中の年老いた様子の佳純が徐に口を開く。
「その…、えーっと。こんなお婆さんが突然画面の中から話し掛けたら変よね。…今、どんな暮らししているのかしら。楽しい?私には想像できない様な悩みを抱えてたりする?」
佳純はちょっとはにかんだ様な笑顔を見せる。
「そうかもね。私の勝手な我儘だから…。」
一瞬目を伏せた後、今度は真剣な顔でカメラを見据える。
「どうぞ、今の世界を楽しんで下さい。そこは…、その世界は、隼人さん、あなたのために用意したの。だから周りに遠慮は要らない。自分の思う様に自由に振舞って、永く、永く…、いつまでも生きて下さい。」
佳純は再び目を伏せる。片手でもう一方の手の指を弄っている。
「…こんなお婆さんに言われても迷惑なだけでしょうけど、そこはね、…そこは私からあなたへの贈り物。私には、あなたが全てだったから。だからあなたに残したの。これは、あなたへの永遠の愛の証。…どうぞ、お幸せに。」
言い終わった佳純は、微かに笑みを湛えて、悲しそうな視線をカメラに向ける。暫くそうしてカメラを見つめる姿が映っていたが、ぷっつりと画面が暗くなって、動画はそこで終わった。
最後に映った彼女の目には、涙が溜まっている様に見えた。今は、話の中身なんかどうでも良い。佳純の姿を目にし、その声を耳にしてしまったら、ただただ佳純が恋しい。走馬灯の様に頭の中で佳純と過ごした幸せな日々が思い出される。
やっぱり、佳純は実在した。俺の佳純は生きている。会いたい、今すぐ会いたい。
やるせない思いで体中がいっぱいになった隼人は、身を丸めてベッドの中で眠りに就いた。




