9 侵略者エリス(4)
桝渕生体化学総合研究所では、毎日研究員が5階の食堂に集まっていた。
研究所の所員とその家族は、皆無事にオノゴロの中に避難していた。と言うのも、オノゴロ建設が始まった当初は、全員オノゴロ予定地内から退去させられていたが、完成前に、彼等はひっそりと研究所に戻って来ていたからだ。オノゴロ建設計画への協力依頼が研究所に舞い込んだのも、こうして研究員が勝手にオノゴロ内に戻れたのも、研究所と政府与党、所轄官庁との太いパイプのおかげだ。長年多額の献金をし、天下りを受け入れてきた成果がこういう形で実を結んだ。
研究所が特別扱いされていると注目されない様、オノゴロ建設では慎重に対策が施された。建設前は、首都に近いが畑が残るのどかな丘陵地に建つ地上5階、地下2階の特徴のないビルに過ぎなかった研究所は、周囲にビルが無く、むしろ目立つ存在だった。ところがコロニー建設が始まると、研究所を取り囲む様に画一的な居住用マンションが建設される。研究所よりも背の高いそれらの建物に完全に囲まれて、研究所は外部から見えなくなった。それは何も知らない一般人から、建設計画に関わっている研究所が、オノゴロ予定地内に存在するのを隠すためだ。研究所の入り口は、マンションの一室を通らないと辿り着けない様になり、更に何かあった場合の脱出口として、オノゴロ内の移動用に新たに建設される地下鉄の通路に、地味な非常口を設けた。
人は、物事を自分に都合良く考えられる生き物だ。こうやって、研究所の配慮で避難できた研究員達の多くは、自分達だけ避難してしまった事に良心の呵責を感じ、せめてエリス対策に何かできないかと思い始めていた。それは厳しい言い方をすれば、自分は絶対安全な高い場所に逃げておきながら、遠くてとても届かない救いの手を、溺れる人に向けて伸ばして見せるスタンドプレーに他ならなかった。
その日は、食堂の中央に何処からか持ち出した木箱を置き、その上に箱崎が立ち、アジ演説をぶちかましていた。小太り丸顔だった箱崎だが、食料不足で好きな間食ができず、体がスリムになり、顔の輪郭もこころなしかすっきりしている。
「僕達は専門家だ!バイオリスクレベル4の研究設備だってある!動き回る事もできないエリスに対して、しっぽを巻いて逃げ出すだけで良いのか!」
「だったらどうするんだ!」「お前の意見を早く言え!」
箱崎を囲んで椅子に座る研究員達の間からヤジが飛ぶ。
「エリスをオノゴロ外部から採取するのは危険を伴う。そんなリスキーな事はできない。だったら、合成すれば良い。この研究所には、有機合成の専門家もいる。」
研究員達が騒めく。エリスを合成しても、リスクは同じじゃないか?少しでも漏れれば、オノゴロはお終いだ。
「勿論、勿論、リスクは承知している。だからこそ、しっかりと計画を立ててだな…」
「そんな事している暇ないぞ!」「外はエリスの猛威が今まさに吹き荒れてるんだぞ!」
どうも旗色が悪い。安直な提案では賛同が得られそうにない。
小笠原佳純と辻綾音も、食堂の後ろの方で、集会に参加している。
「箱崎君、頑張ってるんじゃない?」
綾音が隣に座る佳純に囁く。
「うん。でも、空回りに終わりそうね。」
佳純は、汗だくで声を張る箱崎を見て呟く。
「しょうがないわよ。みんなこうやって、議論する事で、不安を吹き飛ばしたいだけ。何かしていないと居られないのは、自分達の無力を認めたくないからよ。…行きましょ。」
綾音は、佳純に退席を促す。最後まで聴いているつもりのない佳純は、言われるままに席を立つ。
「…世界中に分散して残るコロニーをネットワークで繋いでだな…」
箱崎の熱弁は続いている。
「ネットワークなんか維持できるのか!」「電源は?電源はどうする!」
野次を無視して必死で話す箱崎を横目で見ながら、佳純と綾音は食堂を後にエレベーターに乗って、地下2階の203実験室に向かった。
佳純は、こんな状況になっても研究に没頭していた。綾音は、すっかり自分の研究は棚に上げてブラブラと過ごし、毎日必ず佳純の所に顔を出しては佳純の研究を邪魔している。佳純は綾音に嫌な顔をする事も、綾音を避ける事もしなかった。
「今日は何するの?」
203実験室に入ると、綾音はいつもの様に佳純に問い掛ける。
「一応変換ソフトが完成したから、AIロボットにインストールしてみる。」
オノゴロの内側には、生活する人間をサポートするため、2千体のロボットが用意されている。人選のゴタゴタで、オノゴロで生活する人数が、計画の5分の1になってしまったから、用意したロボットを全て稼働させる必要は無い。稼働していないロボットの躯体が余っているのに目を付けた佳純は、ロボットを統括している部署に掛け合って、余剰のロボットを1体、研究所の予算で賄うと言う口約束で譲り受けていた。
エネルギーベースの台の上には、その男性型ロボットが横たわっている。佳純はインストーラーに向かって椅子に座ると、早速真剣な顔でキー操作を始める。綾音は佳純の傍らに近付いて、インストーラーのスイッチ類を押してしまわない様に気を付けながら、佳純が睨み付けている画面を脇から覗き込む。
「どうなってるの?」
生理学者には馴染みのない、無意味な文字の羅列にしか見えないコマンド文が画面を埋めている。
「これで、人間1人分の脳内データの特徴を、ロボットのパーソナリティ設定に変換できる筈。今日、初めてやってみるから、きっとバグだらけでしょうけど。」
佳純はクスリと笑う。
「あんたが研究に情熱を傾けているのに、冷や水を浴びせる様で悪いけど、この研究、続けてどうするの?オノゴロの外で生き残れている日本人はきっともう居ない。世界中が同じ様な状況よ。一体誰が、あんたの研究を素晴らしいと言ってくれるの?」
「別に、誰かに認めて欲しい訳じゃないわ。」
佳純は操作の手を止めない。
「嘘。ほんとは褒めて欲しい人が居るんでしょ?」
佳純の手が止まる。
「何言ってるの。」佳純は綾音を見上げて笑顔を作る。「オノゴロの外に生きている人間が居ないって、綾音が今言ったばかりじゃない。」
「居るわよ。」綾音は、人差し指で佳純の胸を指差す。「ここにね。」
「何?何の話?」
佳純の顔には、固まった笑顔が貼り付いている。
「私が気付いていないと思ってたの?あんた、研究を続けているのは、結局、野付崎君のためよね?」
「死んだ人なんかのためじゃないわよ。」佳純は視線をインストーラーの画面に戻す。「これはあくまで自分のため。」
「嘘が下手ねぇ。この研究の元になった脳内の可視化研究は、野付崎君と一緒にやっていた研究でしょ?あんたは、その研究を埋もれさせたくない。世間に認めさせて、野付崎君の遺志を果たしたい。だからこうやって、時代の流れに合わせて切り口を変えて、何とか日の目を見させようとしている。でも、世の中がこうなっちゃったら、もうお終い。やるならエリスの研究じゃなきゃ、誰も注目してくれないわ。と言って、エリスは危険過ぎる。噂じゃ、ミクロン単位の大きさの粒子でも、呼吸と一緒に吸い込めば発症するって言うし。一体どこまで注意すれば安全なのか分からない状態じゃ、手の出しようが無い…」
「ほんとよ。この研究は隼人のためじゃない。」佳純はモニター画面を見つめたまま呟く。「…この研究は自分のため。」
綾音は佳純の横顔を見て溜息をつく。
「ほんとにそうなら良いけど。」
佳純は綾音の言葉に応えず、キーボード操作を再開する。綾音は両眉を上げて、佳純の反応を一瞥すると、操作盤を離れてエネルギーベースに近付く。
若い男の躯体が横たわっている。痩せている訳でなく、太っている訳でもない。この顔、どこかで見た事がある様な…
綾音ははっとして、勢いよく佳純を振り返る。
「あんた、もしかして復活させる気?」
佳純の冷めた視線が、綾音の顔で焦点を結ぶ。
「今、言ったでしょ。これは私のための研究なの。」
綾音は、もう1度溜息をつく。
「佳純…、やめた方が良くない?こんな事したって虚しいだけだよ。」
佳純は、エンターキーを勢いよく押して立ち上がる。刺す様な視線が綾音を捉えている。
「今、転送を開始した。どんな性格のロボットになるか楽しみ。」
自分の前に立ちふさがる者は、何人でも倒して行かんばかりの佳純の迫力を感じて、綾音はその場で身をすくめる。佳純はゆっくりと操作盤の前を離れて、エネルギーベースに近付き、綾音と向かい合う。
「ね、虚しいって何?私は、元データの人間そっくりなロボットが誕生してくれれば、きっと跳び上がりたくなるくらいに喜ぶわ。」口元に冷たい笑みが浮かぶ。「綾音が薦めるエリスの研究をすれば、虚しくないのかしら?」
「私は別に…」
「綾音は今、何の研究をしているの?」
綾音の言い訳を遮り、佳純は語気を強めて問い掛ける。
「…研究なんて、もうやめた。」
フッと笑みを漏らして、佳純は目を伏せる。綾音に背を向けて、横たわるロボットの欠点ひとつ無い若々しい顔を見下ろす。
「綾音は今、いくつ?私はもう数年で50になる。あなた、私より2つ上だったわよね。…私達、生きられて後30年余りってところかしら。…そのくらいの間なら、オノゴロはきっともってくれるわよね。」
「変な事言わないで。私達、外に出られる様になる筈よ。」
「それじゃ、そうだとして、その日が来るまで、何もせずにじっと待っているつもりなの?」
「じっとなんてしてない」綾音は半ば叫んでいる。「生き残るのに精一杯じゃない!」
「精一杯なのは私も同じ!」
再び攻撃的な佳純の視線が綾音を襲う。2人は睨み合ったまま、動きを止める。最初に視線を逸らしたのは、綾音だった。
「…御免なさい。一生懸命やっている研究をけなす様な事を言ってしまって。」
その言葉に、佳純の体からも力が抜ける。佳純はまたロボットを振り返る。
「私ね、決めたの。残りの人生は、この人と一緒に過ごそうって。」
エネルギーベースの上に横たわるロボットにそっと手を添える。綾音はもう何も言わず、子供を見守る様な佳純の穏やかな横顔を見つめていた。




