9 侵略者エリス(3)
漸く政府の方針が決まった。通常の審議に比べれば、すこぶる早い決定だったが、エリスの侵入速度を考えれば、それでも遅い。政府は、各地に住民を避難させるコロニーを建設する計画にゴーサインを出した。コロニーは自活できる様に、エネルギーインフラを備え、食料自給のための農地をコロニー内に確保し、食料工場も配備する。空気、水の循環システムも導入する…
考えるだけなら容易い。既に同様のコロニー建設を先進国が始めていたから、それを参考にしてもっと良い物に仕上げれば良い。だが、実行は問題だらけだ。コロニー建設の場所は?自給自足と言っても、エネルギーも、食料も、水も、空気も、限られた狭い空間の中に、持続可能なシステムを構築した実績など未だかつてない。その上、予算は?資材は?いつまでに完成すれば間に合うのかすら明確ではない。だが、コロニーを建設する以外に良い方法を見付けられない。非公開で特定のゼネコンにコロニー設計が通達される。丸投げされた形のゼネコンの力だけでは、過不足無く生活に必要なシステムを完備するのは難しい。人間が生きるために必要な設備の洗い出しと開発について、桝渕生体化学総合研究所に協力要請が転がり込む。
1次投資で全国30か所にコロニーを建設する計画が立てられたが、1か所の建設ですら、相当の資材と工数が必要だ。建設作業にかかわる人員にしても、とても集めきれない。兎に角、首都近郊に先行してコロニーを1つ建設する方針に変更となる。政府の官僚や政治家達が、自分の身の安全を二の次にする訳がない。自分達の逃げ場の確保が最優先だ。
首都西の丘陵地でコロニーの建設が始まる。地下20mの岩盤まで掘り下げ、そこから鉄骨とコンクリートの分厚い壁を立ち上げていく。例え地下水であろうと、コロニーの中に外部から入る物は全て遮断する徹底した造りだ。
コロニーの建設予定地内に桝渕生体化学総合研究所は位置する。偶然ではない。コロニー建設計画に参画できた幸運を、最大限生かした結果だ。自己完結できるコロニーにするには、この場所で、このくらいの大きさが必要だと、研究所が予定地内に入る場所での建設を主張したのだ。着工に先立って、地権者に対し詳しい説明も同意確認も行われなかった。政府は国民救済と言う大義を振りかざして、超法規的措置と言う言葉を濫用した。但し地権者には、でき上がったコロニーへ優先的に入る権利が密かに約束された。
プロトタイプとも言える、首都西のコロニー建設には、ゼネコン傘下の中小企業を総動員してかかっても、3か月を要した。それでも規模を考えれば凄まじい速さだ。コロニーには、『オノゴロ』と言う名前が与えられた。直ぐに第2陣、全国で4か所のコロニー建設が始まる。
3か月でオノゴロを建設した事自体も奇跡だったが、その間、エリスの災厄が国内に及ばなかった事の方がもっと奇跡だった。米国では、最初に奇病が発生した町はおろか、それを含む州全体で、人も、動物も、植物も、ありとあらゆる全ての生物が、既にエリスによって分解されてしまった。エリスは風に乗って北米大陸東海岸に達した。ニューヨークでは、金持ち達がどこかへ逃げ去り、身動きが取れない貧困者達だけが、神に祈りながら、犠牲になる順番を、息を潜めて待っている。
エリスの災厄が駆け抜けた場所は、ただの廃墟に見えても、そこにはエリスが存在している。近付くのは不可能だ。人工衛星から送られてくる映像で、今の様子を確認するしかない。樹木を失った大地は昼の日射しで焼かれ、温められた空気で上昇気流が発生する。その風に乗って、エリスは更に拡散していく。欧州では、いち早く国家間の交通遮断を決定したが、コロニー建設が完了する前にエリスの侵入が始まった。既に国土の半分以上が災厄に呑み込まれた国もある。
日本中で1つだけにしろ、コロニー建設が間に合ったのは運が良かった。だが、いざオノゴロへ入植する段階になって、誰が入るかで喧々諤々の議論が巻き起こる。オノゴロは、1万人を収容できる設計だ。直径5kmの自給自足機能を備えたコロニーとして、最大限収容できる人数を確保した。それでも、首都の人口と比較すれば、無いに等しい人数に過ぎない。
SNSは収容者選出の方法を巡って沸騰した。
〈どうやって選ぶんだ?〉〈公募・抽選じゃないの?〉〈そんなの誰だって入りたい〉〈政府の役人は入る事が決まっているらしい〉〈政治家がみんな避難して、残った国民は見殺しか?〉〈国家公務員と家族もだ〉〈特権階級を優先する気か!〉〈金持ちはコロニーに入る権利を密かに金で買っているぞ!〉
デマが飛び交い、まともな議論を妨げる。抽選を行うにしても、どこまでの地域の住人を対象にするのかで大もめになり、議論が進まない。政府が決断力を発揮できない内に、実力行使に出る人間が現れる。
コロニーが完成した段階で、コロニー内側への入り口は、地面よりも深く掘り下げた位置に設けられた門1つだけになっている。門の通行は、機動隊によって警備されている。そこへ突入を試みる民衆が押し寄せる。最初は門前で機動隊と睨み合っていたが、どんどん民衆の数が増えていく。危険を感じた機動隊が、催涙弾、放水銃を使用して、強制排除に乗り出す。深夜に及ぶ、民衆と機動隊の壮絶な格闘劇は、2人の死者と多数の負傷者を出して幕を下ろした。
この騒動がきっかけになって、政府内にオノゴロを一刻も早く閉じてしまわなければならないと言う危機意識が生まれる。秘密裏にオノゴロに入る人選が行われ、政府閣僚、警察幹部、オノゴロの建設に関わった企業のトップが対象者としてまず決まり、コロニーを運用していくために、設備のエンジニア、治安関係者、医療関係者とその家族が選出された。建設に関わった主要メンバーや元々の地権者も対象者に加えた。
オノゴロへの移住準備と実行は極秘に、けれど迅速に実行される。自分達の利益に関わる事態になれば、政治家達は普段まともに使っていない脳ミソをフル活用して行動した。こうして、機動隊と民衆が衝突した事件から僅か2週間が経ったある日、移住とオノゴロ入口の閉鎖が決行される。
深夜、ぽつりぽつりと数人ずつの塊になって、オノゴロの門に向かう人影が現れる。背中にリュックを背負った子供2人と両手を繋いだ女に、大きなカバンを抱えた男。暫く後には、身軽な格好の若い男が小走りで門を駆け抜け、またその後ろからは帽子やスカーフで顔を隠す様にしてコソコソと歩く女が、周囲を気にしつつやって来る…。皆事前に渡された許可証を機動隊の検問で提示して、コロニーの中に入って行く。対象者は60歳以下に制限された。権力者や金持ちは例外だ。荷物は最低限、手で持ち込めるだけと言い渡されていたが、欲をかいて大きな台車に私財を積み込み、オノゴロの門へ続く、地面を掘り下げただけのゴツゴツとした未舗装路で窪みにはまり、身動きが取れなくなる者も出る始末だ。他の者は白い目でその男を見ながら通り過ぎ、助けようとしない。我先にと門の中へ消えていく。
午前4時きっかりに、内側から門を閉鎖する作業が開始される。分厚い鋼鉄製の門が閉じられ、周囲を溶接していく。それが済むと、門の前に鉄骨と鉄筋で作られた枠がクレーンで降ろされ、鋼鉄製の門に溶接される。更にそこにセメントが大量に流し込まれる。セメントが固まれば、元々門だった部分は、オノゴロの周囲を囲う強固な壁の一部になる。こうして、世間の殆どの人が気付かぬ内に、一夜でオノゴロは閉鎖された。設計段階では1万人収容を想定していたのに、夜逃げ同然で一部の選ばれた人間だけが入り込んで閉めてしまった。オノゴロ内の人口は最終的に2千人に過ぎない。
外に残された人間達がそれに気付いたのは、翌朝、門を守る機動隊の姿がなくなっている事に気付いた時だ。朝、毎日オノゴロの前で政府への抗議活動をしている団体が来てみれば、いつも彼等に睨みを利かせる機動隊が1人もいない。
やった!このチャンスにオノゴロの中に入り込んでしまえば、こっちのものだ!
彼等は、一斉に門へと殺到する。けれど、押せども引けども門は動かない。どういう事だ?
しまった!
群衆は、取り残されたと気付いて騒ぎ始める。昨日まで門を守っていた機動隊のメンバーも全員壁の内側だ。その状況はSNSであっという間に拡散する。政府要人と家族が全員姿を消している事、建設に関わった企業の幹部達も消えている事が洗い出されてSNSに晒される。首相は、公共電波を使って、国民全員を救うために引き続きコロニーの建設を進めると伝え、冷静に行動するよう呼び掛けたが、自分はさっさとオノゴロの中に逃げ込んでいるのでは説得力がない。外に取り残された警察官ら公務員の一部も加わって、壁を開けろ、人選をやり直せの大合唱に発展する。
そうこうするうちに、遂に悪魔が舞い降りる。既にエリスが蔓延している国から逃げ出し、日本に密入国していた女性の発症が最初だった。食事か、もしくは呼吸を介して体内に入り込んでいたエリスが増殖し、彼女は内臓から白い粉に変わってしまった。人目につかない場所に隠れていた彼女の死は、暫く発見されなかった。その間に、潜伏していた部屋の換気口を通して、粉が市中に少しずつ流れ出していく。
ほぼ同じ頃、別の場所でも事件が起きる。海外との流通が遮断され、国内は深刻な食料不足になっている。海上警備の目をかいくぐって、荒稼ぎをしようとする連中による食料の密輸が横行する。沖合で他国籍の貨物船から漁船に食料を積み替えて、国内に持ち込む。こうして持ち込まれたじゃがいもにエリスが紛れ込んでいた。密輸野菜の倉庫内が白い粉だらけに変わってしまい、隠し切れなくなって騒ぎ出した。通報を受けた検疫所からの連絡で、最終的に自衛隊の生物兵器戦対応の特殊部隊が出動、倉庫ごと燃やしたが、通報までの人の出入りによって、エリスは周囲に漏れ出してしまった。
それまでも、SNSを介してエリスに関するデマが日本国中に拡散していた。例えば、『政府は隠しているが、既に某地方都市にはエリス患者が発生している』とか、『騒ぎになる前に隔離施設に移され、死亡後、発生した粉は地中深く埋められた』とか…。或いは、『政府は認めていないが、某製薬メーカーがエリスに有効なワクチンの開発に成功している。薬事認可を下ろすには充分な臨床データが必要だが、とても間に合わない。密かに政府要人と家族だけがワクチン接種を行なっている』…
政府は、国内で発生した2件のエリスに関わる事件を公表しなかった。だが、これもSNSにリークされる。それまでに数多のデマ情報が飛び交っていたから、これもデマと疑われ、初め騒ぎにならなかったが、白い粉でいっぱいになった野菜倉庫の映像と、その倉庫に出入りしていた作業員が発症し、粉まみれになる映像が流出すると、一気に国内はパニックになった。発生場所が特定されて、できるだけ遠くへ避難しようとする人で、交通機関はマヒ状態に陥った。最早政府の呼び掛けも、警察も機能しない。自前の船を持つ者は、家族を乗せて国を捨て、実効性が疑わしいシェルターを緊急で造った者は、可能な限りの食料を持ち込んで引き籠った。
オノゴロの門をもう1度開けさせて、避難しようと言う群衆が壁の向こうに押し寄せた。彼等は必死だ。遂には、自衛隊駐屯地から大砲やロケット砲を持ち出して来て、オノゴロの壁や透明ドームに向けて砲撃する。壁が破壊されてしまったら、誰一人助からない。ズルをした奴等だけ助かるのは許せないという根性だ。オノゴロの設計時にこうした事態は想定されていたから、容易には壊れない複合素材が防壁に仕込まれている。幸か不幸か、大事には至らない。オノゴロの内側では、良識ある者が罪の意識に苛まれて目と耳を塞ぎ、欲の強い者が満足の笑みを浮かべて外の人間の悪足掻きを眺める。だが誰1人、防壁を再び開けようとは言い出さなかった。
侵入したエリスは見る間に日本をなめ尽くしていく。オノゴロ以外のコロニーの建設は途中で止まり、汚染された地域をナパーム弾で焼き尽くそうとする試みは、中途半端な結果に終わった。もう、エリスを止める術は無い。一時は、オノゴロから見る視界が全て人で埋まる程に押し寄せていた群衆は、ある日を境に急速に数を減らした。減り始めて1週間もしない内に、オノゴロの外に人の姿はなくなった。やがてオノゴロの外の街から緑が消え、遠望する山はこげ茶色の丸坊主に変わった。吹く風に乗って、土埃に混じった白い粉が舞うのが見える。オノゴロの住人達は、遂にオノゴロの外に目を向けなくなった。
壁の外との通信は途絶した。但し、他国にはオノゴロと同じ様に、エリスの蔓延を辛くもかわしたコロニーが残っている。人工衛星も健在だ。人は孤独を感じれば感じる程に仲間を求める。この絶望的な荒野に閉じ込められたのは自分達だけじゃないと、他国のコロニーと連絡を取り合う事で、辛うじて勇気を取り戻せた。




