8 隼人と佳純(2)
電話は夜中にかかって来た。枕元に置いた携帯電話が鳴る。眠りから現実世界に呼び戻された佳純は時計を確認する。午前1時20分。携帯の画面に表示された相手は箱崎だ。いくら徹夜で実験する事がある研究所だとしても、悪ふざけが過ぎる。佳純は眉間に皴を寄せながら、携帯電話に出る。
「はい、もしもし。」
「おい、知らせ聞いたか?」
携帯電話の向こうの声は、切羽詰まっている。
寝ているのを叩き起こしておいて、訳の分からない質問をするな。
「何の話?」
不機嫌が声に乗っている。
「飛行機事故だ。ネットニュースに出てる。経由地の空港で着陸に失敗したみたいだ。」
飛行機と言われれば分かる。それは、フランスに向かった隼人以外にあり得ない。携帯をもつ手に力が入る。
「それ、ホントなの?」
「間違いないと思う。フライトの便名が野付崎の言っていたのと同じだから。あいつ、それに乗ったんだよな?」
「たぶん…。」
乗った筈だ。空港まで見送ったが、乗り込む姿までは確認していない。
「小笠原もニュース見てみろ。」
「どんな状況なの?」
「詳しい情報はまだ出てない。ただ、着陸に失敗して墜落したって書いてある。」
「分かった。電話切るね。」
「ああ、何か分かったら、また知らせる。明日には研究所も情報収集に動く筈だ。」
「うん。」
頭の中でいろんな事がぐるぐるしている。ネットニュースで事故の情報を検索する。他国の空港で起きた事故だからだろうか、それとも、事故が起きてからまだ時間が経っていないからだろうか、記事はほんの10行程度しか書かれていない。乗客の安否について情報がないか、短い記事を2度3度読み返す。何も書かれていない。他に最新のニュースがアップされていないか、ネットを漁る。
どうしよう。こんな時、どうすれば良い?
佳純は携帯を握り締めて、ただオロオロとしていた。
朝になり、その日の内には詳細な情報が入って来る。墜落した機体の様子も、画像がアップされる。尾翼や胴体の一部は元の形が判るが、それ以外はグシャグシャになり燃えて真っ黒だ。映像を見ながら佳純は考えない様にしていた。それでも、現実は勝手に向こうから佳純に迫って来る。
『乗客乗員は全員絶望的。搭乗者名簿にある邦人の名前は…』
佳純は現地に向かわなかった。損傷が酷いのか、隼人の遺体が特定されたと言う知らせがなかなか来ない。長い長い日々を積み重ねて、擦り減らす精神も無くなった頃になって、彼の体は佳純の元に戻って来た。佳純は気丈だった。隼人の棺桶が彼女の目の前に現れた時は、流石に声を立てて泣いたが、それ以上取り乱さなかった。佳純は、隼人が荼毘に付された日から研究を再開した。
辻綾音は事故のニュースを知ってから、佳純の様子を気に掛けていた。ずっと傍に付き添って居てくれる辻綾音に向かって、葬儀が済んだ後、佳純が頼み込む。
「今日から研究を再開したいの。隼人のためにどうしても完成させたい。手伝ってくれる?」
綾音は2つ返事でOKする。綾音だけでは、手が足りない。綾音は男手となり得る箱崎を巻き込む。箱崎はむしろ、声を掛けられて嬉しそうだ。
「あんたも、野付崎君にお世話になったでしょ?ちょっと手伝いなさい。」
気の良い箱崎は、何だかんだ言いながらも、女性2人に付いて来る。佳純は2人を早速203実験室に連れて行った。
「さて、何をすれば良い?」箱崎は呑気な口調で部屋の中を見回しながら呟く。「とは言っても、力仕事を期待されても応えられるか保証できないよ。」
「佳純、大丈夫?何も今日、こんな時間から始めなくても、もう少し時間をおいてからにしても良いんじゃない?」
綾音は、気が張り詰めた状態の佳純が心配だ。佳純は強く首を横に振る。
「今の私を残さなけりゃならないの。そのためには時間を無駄にしていられない。」
「佳純を残すってどういう事?」
佳純は、脳内データを残そうとした隼人との経緯を説明する。
「分かった。」綾音は、佳純の固い決意の目を見て覚悟を決める。「とことん付き合う。」
佳純の表情が一瞬緩む。
「御免ね。」
「極微細MRIかぁ。」2人の女性の会話も聞かず、実験室内を歩き回り、最後に部屋の中央に据わった巨大な装置に近付きながら、箱崎が声を上げる。「これ、どうやって使うんだ?」
「あんた、他人の研究には、ほんと無関心ね。」
綾音の言葉に、箱崎がへへっと笑う。
「私が被験者でこの装置の中に入る。」佳純はMRIの検査台の脇に進んで2人を振り返る。「私の脳神経の位置情報を取り込むために、この装置を操作してもらいたいの。」
箱崎がMRIの操作盤の前に立つ。
「操作方法って?」
「やり方は簡単。マニュアルがそこに置いてある。まず最初に、ダミー人形で練習しましょ。脳全体のデータを取るには相当時間が必要だから、夫々の研究の合間で、どちらかの手が空いた時間を使って進めさせて。だから、2人ともこの装置を使える様になって欲しい。」
「ほぇ~。」
箱崎は、マニュアルが入っているタブレットを手にして中身を覗いている。
「途中まで隼人が進めていたデータが、隣のパソコンの中にある。続きからお願いします。データ取りが終わっているのは、全体の30パーセントくらい。まだまだ時間がかかる。」
「途中からって…そうか。あいつの遺志か。」
箱崎の面持ちが真剣になる。
「あんた、デリカシーってもんが足りないんじゃない?」
綾音が箱崎に冷たい視線を浴びせる。
「良かったら、直ぐに操作の練習から始めましょ。どうしても、今の私の脳内データを残したいの。」佳純は、自分の頭を人差し指でトントンと叩く。「これを不滅の形にしなきゃ。」
「分かった。それじゃ、準備しましょう。」
綾音が佳純に微笑みかける。
「ありがと。恩に着るわ。」
「小笠原にしちゃ、随分神妙じゃないか。」箱崎は照れ隠しに片耳を掻く。「これは、野付崎のためにやるんだ。礼は要らない。」
佳純が哀しい笑みを零す。
「そうね。それなら、遠慮しない。」
佳純はダミー人形を取りにその場を離れる。
「まずは準備作業から。」代わりに綾音が箱崎に指示を出す。「マニュアルを良く読んで、その通りにやってみて。」
「はいよ。」
箱崎は両手をすり合わせて、操作盤に手を伸ばした。
結局、佳純の脳内にあるニューロンとシナプスのデータ取りは、隼人の死から3か月後に完了した。これで、隼人と佳純、2人分の脳内データが揃った。その後も佳純は1人で研究を続けたが、脳内データの可視化が学界で注目される日は来なかった。




