7 発見(1)
「ああ、やっと来たか。」
呆気にとられ、ドアの前で固まる隼人を見ても、川崎は驚きもしない。
「なんで、お前がここに…。」
辛うじて隼人の口から言葉が出る。
「そりゃ、ここに住んでいるから。」
日頃無表情だった川崎が口角を上げる。眼鏡越しに意地悪そうな視線を投げ掛けて来る。
「嘘だ。通路は埃だらけだったぞ。」
「え?…ああ、お前が言っているのは、地下フロアの話だな。あそこにはもう随分前から立ち入っていない。」
そう言われて隼人は、自分の立っている最上階の通路の床を見回す。埃など見当たらないくらい綺麗だ。
「嘘じゃないさ。」川崎は床を指差す。「4階に俺のエネルギーベースが置いてある。」
「4階…」
研究室の4階はなんだったろう、憶えていない。
「元々備品置き場だったフロアだ。使わなくなった古い実験機器なんかが押し込められていた。そこが俺のねぐらになっている。」
「なんで、お前がそんな事を…」
「それより野付崎こそ、何しにここに来た。用事があったから、所長室まで上がって来たんだろ?」
そうだ。思いがけず川崎に出くわしてしまったから気が動転しているが、俺はここに確かめに来た。
隼人は、視線を川崎が座る所長の机より手前に置かれた応接セットに移す。経年劣化しているが、思った通り応接セットは佳純の動画に映っていたのと同じ物だ。
「俺に構わず、好きに動いてくれて良いぞ。」
川崎は革張りの椅子の上で足を組み、椅子を小さく左右に回転させている。
そう言われたら、却って警戒する。
「お前の目的は何だ!」
安心させておいて、何かするつもりかも知れない。どこかに川崎の仲間が隠れていて、急に飛び出して来るかも知れない。隼人は、いつでも逃げられる様に身構える。
「目的だって?」川崎は鼻で笑う。「俺がロボットだって分かっているなら、タスクは何だって訊いたらどうだ?ムサシ達と変わらない。お前をサポートするのが役割だ。」
「笑わせるな。それなら、何でこんな所でのんびりしている。俺は、オノゴロ中を飛び回ったんだぞ。」
「本当か!」川崎は驚いた顔を見せる。「何でそんな事をしたんだ。」
「質問しているのは、こっちだ!ちゃんと答えろ!」
「だから、こんなに時間がかかったのか…」川崎は、フッとまた鼻で笑う。「お前をサポートするって言うのは本当だ。ずっと、職場でお前を支えて来たじゃないか。ほんとにずっと、嫌になるくらい…。」
川崎は、話の途中で口をつぐむ。無表情に隼人を見つめているが、その目は隼人を責めている。
「ま、いいさ。」急に明るい声で再び話し始める。「お前は、この研究所を見付けた。だから、オノゴロ中を飛び回ったし、今はここに来たんだろ?俺は、お前がこの研究所を見付けたと分かったから、それ以降ずっとここで、お前が来るのを待っていたのさ。」
いよいよ怪しい。川崎は何でそんなに知っているんだ。
「誰の命令で動いている。」
隼人はゆっくりと所長室の中に入り込む。
「命令なんかされていない。自分の意思で動いている。」
「出口はどこにある。」
「何の出口だ?」
川崎は、何を言っているんだと言う顔になる。
「オノゴロからの出口だ。」
所長のデスクの前まで進み、川崎を睨み付ける。
「お前…、そんな物を探していたのか。」
「言え!知っているんだろ!」
「何故、出口を探している。」
「出口はここから出るためのものだ。」
「…出口は、無い。」
「嘘をつけ!」
隼人は両手で強く机を叩く。初めて川崎が身構える。体を机の上に投げ出して、両腕を川崎に向けて伸ばす。すんでの所で伸ばした腕をかわし、川崎は椅子を離れて横に逃げる。川崎の背後は壁、大きな机が邪魔して、逃げ道は机の両脇の狭い通路状になっている所だけだ。素早く机の上から降りた隼人は、川崎が逃げた方の机の脇に移動し逃げ道を塞ぐ。反転して反対側に逃げようとする川崎に飛び付くと、背後から羽交い絞めにする。
「…嘘じゃない。オノゴロに出口は無い。」
「そんな馬鹿な事があるか!俺達は…、ここに居た人間は、どうやって中に入った?え?」
「本当だ。出入口は潰されてしまった、もう無い。」
川崎を後ろから羽交い絞めにしたまま、2人は動きを止める。
「知っている事を全部話せ。」
「こんな格好で脅迫するのか。そんな事しなくても、全部教えてやる。」
「逃げないな?」
「お前が暴力を振るわなければな。…オノゴロの中じゃ、逃げようもない。」
川崎が抵抗しないのを確認して、隼人は彼を解放する。
「これが野付崎の本性か…。俺が1から話すより、先にお前の探している物で調べる方が手っ取り早いぞ。」
川崎は、顎で所長室の入り口を指す。隼人が視線をドア脇の壁に移す。そこにはフックに掛けられた青い紐のパスケースが見える。
隼人は、川崎を放り出して駆け寄る。樹脂製の透明ケースは経年劣化して曇っているが、中に入っている研究員証は何とか判別できる。
『小笠原 佳純 Kasumi Ogasawara』
佳純の研究員証だ。
いろんな感情が一気に押し寄せてくる。研究員証を見つめている内に、心の中は全て1つの感情に塗り潰される。
佳純に会いたい。こんな死んだ街なんか滅茶苦茶に破壊して、佳純の居る世界に戻りたい。
佳純の社員証を持つ手に、自然と力が籠る。
「俺もついて行く。」いつの間にか傍に来た川崎が呟く。「お前のやりたい事を、俺が手伝ってやる。」
隼人は目を閉じた。
パスケースの紐をしっかりと握り締めて、階段へと向かう。
「そっちより、エレベーターの方が早い。」
後ろから川崎が声を掛ける。隼人は立ち止まり、振り返る。
「大丈夫なのか?故障したりしないだろうな。」
「平気だ。俺は毎日利用している。」
川崎を完全に信用した訳じゃない。先に川崎がエレベーターに乗り込んだ後、妙な動きをしないか注意しながら、慎重に乗り込む。
「お前、どこからこの研究所に出入りしているんだ?」
エレベーターの中で、隼人は川崎に疑惑の目を向ける。初めて隼人が研究所に繋がる地下通路に入った時、そこに溜まった埃の上には誰の足跡も付いていなかった。
「変な質問だな。」川崎は至って落ち着いている。「普通、建物には玄関があるだろ。そこから出入りするのは何か変か?」
「オノゴロ中を捜索しまくった時、この辺りも捜索したが、研究所の玄関なんか見付からなかった。」
「ああ、この建物は四方をビルに囲まれていて、外から建物本体が見えない様になっている。入り方にはちょっとコツがあるのさ。お前は、地下から入って来たんだろ?」
川崎はやけに詳しい。やっぱり、サポートのタスクを設定された、ただのロボットだとは思えない。
「何故、この研究所に住んでいる。何故、ムサシ達と行動を共にしない。」
「聞かなかったか?あいつ等は、お前と一緒に食事するのがタスクだ。おれは、仕事場に居て、それ以外の時間をサポートする。」
「それじゃあ、今日俺がここにやって来るのを待っていられたのは何故だ。」
川崎は、エレベーターの階表示を見上げたまま鼻で笑う。
「俺は、ムサシ達とは違う。同じロボットに見えるかも知れないが、決定的に違っている。別格だ。…そう、俺とお前は別格だ。」
ベルの音と共に、エレベーターのドアが開く。埃が溜まった地下2階フロアの通路が目の前に広がっている。
「どういう事だ。」
隼人の語気が強まる。川崎は通路の先を指差す。
「追い追い説明する。まずはやるべき事をやろう。」
2人は、203実験室のドアの前に立つ。
電子ロックを解錠するには、佳純の研究員証に合った暗証番号が必要だ。だが、佳純が設定しそうな番号ならば、いくつか思いつく。それを順に試してみれば良い。
研究員証を電子ロックにかざす。それに反応して、隣の小さな画面に『暗証番号?』の文字が浮かぶ。画面下のテンキーで、隼人の誕生月日を入力する。
カチャリと小さな金属音がドアの内部から聞こえて、自動でドアが開く。ドアの向こうには、広々とした実験室が広がる。埃1つ積もっていない。HEPAフィルターのついた空調が、埃の無い空気を室内に勢いよく循環させているおかげだ。
部屋の中央にAIロボット用のエネルギーベースが据えられ、その上に女性型のロボットが横たわっている。その脇には、ロボットにデータを転送するための制御装置、インストーラーが置かれ、パソコンに繋がっているのが見える。
隼人の記憶にある実験室には、AIロボットのエネルギーベースやインストーラーなんか無かった。研究していたのは、人間の脳だから当然だ。同じ実験室である確信が持てず、壁に沿って実験室の中を歩く。壁に残る棚が取り付けられていた跡も、床に残る傷も、見覚えがある。間違いない。佳純と研究をしていたのは、この部屋だ。記憶にある実験室には、被験者の脳内ニューロンとシナプスの配置を読み取るため、大型の極微細MRI装置が部屋の中央に据えられていた。極微細MRIの性能は高く、1秒間に4万個のニューロン位置を読み取る能力があったけど、1人の被験者の脳内マップを完成させるのに100日以上必要だった。それが、まるで違う装置に置き換わっている。ロボットに関係するこれらの装置は、佳純が持ち込んだのだろうか。
隼人は、インストーラーの操作パネルを覗き込む。実際に操作した事は無いが、タスク入力ソフトのバージョンアップを担当しているから、どうやって操作すれば良いかは大体想像がつく。インストーラーに繋がっている脇のデスクに置かれたパソコンに目を移す。このパソコンには見覚えがある。自分達の研究成果をこの中に格納していた。人間1人の脳内データだけでも膨大なデータ量だ。処理能力の高いCPUでないと、演算に時間がかかって仕方なかったっけ。きっとこの中に、今の自分が置かれた状況を説明できる手掛かりが入っているに違いない。
結局ここは、佳純と俺が研究をしていた本当の研究所なのか?何故それが、こんなドームで閉ざされた空間に存在しているんだ。佳純はどこに行ってしまったんだ。
隼人は、川崎の存在をすっかり忘れて夢中になる。川崎は実験室の入り口に立ったまま、隼人の様子を面白そうに見守っている。
実験室にありがちな簡素な椅子に腰掛け、隼人はパソコンのスイッチを入れる。自動でソフトが立ち上がり、画面に表示が出る。
『隼人へ』
タイトルにそう書かれたフォルダが画面上に表示されている。つまり佳純は、隼人がこのパソコンをいずれ開くと想像していたのだろう。フォルダの中には2つのファイルがある。
〇オノゴロの歴史
〇隼人再生プロジェクト
隼人再生?何故、俺を再生する必要があるのだ?オノゴロの歴史も気になるが、自分の名前が入った題名の方がはるかに気になる。まずはそのフォルダを開く。それは、佳純が行なったであろう実験記録だ。序章は次の文で始まっている。
『私と隼人は、共に人格の移植についての研究を進めてきた。脳に蓄積されている人格と記憶をデータとして具現化し、抽出する事には成功したが、別の生体の脳に複製し、人格と記憶を再現させる実験は実現できていない。それは正しく人体実験であり、理論的には可能であっても、犯してはいけない禁忌だ。だが、実験対象がAIロボットなら?近年、AIロボットの技術は目覚ましい発展を遂げ、見た目は完全な人間であり、人類と同じ行動を自律的に行なえるレベルに達している。脳内データを電子データに変換できて、ロボットの制御装置に組み込めれば、元の人物と寸分違わないロボットが生み出せるのではないか。このプロジェクトはこれを検証する事を目的とする。
そして、極めて個人的な事情になるが、私には、このプロジェクトをどうしても成功させたい理由がある。私の恋人だった人物は事故で亡くなってしまった。どんなに愛おしくても、最早その姿を、声を、温もりを取り戻せない。しかし、彼の脳内データは今も私の手元に保管されている。なんとしても、このデータを元にAIロボットで彼を再生させたい。私はもう1度、自分のこの腕の中に、実体としての恋人を抱きしめたいと切に願っている。』
隼人は序章を読み終わった所で、それ以上読む気持ちをなくした。
『私の恋人』とは、隼人の事だろう。俺以外にそういう存在は居なかった筈だ。亡くなった?俺が?今ここに居るのに?それじゃあ、俺は何だ?…まさか、そのAIロボットだと言うのか?
自分の胸に手を当ててみる。心臓の鼓動は分からない。袖を捲り上げて、自分の腕を良く見てみる。本物の皮膚に見える。だが、ムサシ達も同じ様に人間と区別できないくらい精巧な皮膚をしている。腕をもう一方の手で叩いてみる。痛い。感覚はある。いやいや、ロボットだって感覚センサーは持っている。立ち上がって、キョロキョロと周囲を見回す。どうしたら良いんだ。もしかしたら、俺はロボットかも知れない。いや、もしかしたらなんてレベルじゃない。俺が…、俺はロボットなのか?
隼人は、入り口に立つ川崎を振り返る。隼人の顔は、恐怖に引きつっている。その顔に気付いても、川崎は無表情のまま突っ立っている。
「おい、これ…」
そこまで言葉を絞り出したが、恐ろしくてそれ以上、口に出せない。川崎の目が冷たい。隼人は走り出す。川崎を突き飛ばして通路に飛び出す。川崎は突き飛ばされても抵抗せずに、必死で走る隼人の後ろ姿を見送る。隼人は目一杯足を動かして逃げる。階段を上り、地下鉄連絡通路に転げる様に抜け出して、自宅を目指してひたすら走る。
疲れも感じずにこんなに走れるのは変じゃないか?少しも息苦しくならない。心臓の鼓動が激しくなりもしない。もしかして、そうなのか?やっぱり、そうなのか?どうなっている?一体どうなってんだ!
自宅に駆け込む。浴室に直行し、慌てて服を脱ぐ。ロボットなら背中の首の付け根あたりにIDナンバーが刻まれている筈だ。自分で直接見る事はできない。鏡1枚でも無理だ。携帯情報端末のカメラを背中に向けてシャッターを押す。カメラアングルが確認できないままシャッターを切るから、1回ではうまく映らない。何度も試して、自分の首の後ろを画像に収める。
皮膚に文字列が浮き出ている。タトゥーの様に、表面は滑らかな皮膚の下に染料が入っているのだろう。英数字の列がはっきりと読める。
隼人は画像を見たまま、凍り付いた。




