5 生きとし生けるもの(2)
それでも7時5分前に目が醒める。気分は最悪だ。何かしようと言う気が起きない。ベッドの上からは抜け出したものの、椅子に崩れる様に座って、朝日の中で煌めく埃をボンヤリと眺めていた。
呼び鈴が鳴る。訪問者だ。初めての経験。今まで、誰かがこの家を訪ねて来る事などけっしてなかった。だから最初に呼び鈴が鳴った時、それが呼び鈴の音だと理解できなかった。もう1度呼び鈴が鳴って、初めてそれと気付く。
「はい!」
一気に正気に返った隼人が急いで玄関に出ると、ドアの向こうにはノリオが1人立っている。
昨日の今日だ。気分がすっかり重くなりながらも、ドアを広く開ける。
「今、お邪魔しても良いか。」
こんな朝早くに訪ねて来るのだから、きっと昨日の出来事についての話だろう。このまま放っておいては良くない事くらい、隼人も理解している。渋々部屋に入れる。相手はロボットだ。別に飲み物とか気を遣う必要は無い。2人は、ダイニングテーブルを挟んで対座した。
「俺の家、良く分かったな。」
そう言ってしまってから、隼人は思い至る。ノリオ達が隼人のサポート役としてのタスクを持っているなら、知っていて当然だ。
「最初から知っている。俺だけじゃない。ムサシもカズも知っている。」
「何で今まで黙っていた。」
「済まない、隠していたつもりは無い。話す機会が無かっただけだ。」
隼人は自分の気持ちを抑える様に、1つ大きく息を吐く。
「それで、昨日の話で来たんだろ。済まない、俺も言い過ぎた。」隼人は小さく頭を下げる。「悪かったと反省していた所だ。」
その言葉に嘘はない。例え相手がロボットだったとしても、言って良い事と悪い事があるだろう。
「昨日の話の続きで来たのは、その通りなんだが」ノリオはいつもの落ち着いた喋り口で滑らかに話し始める。「記憶を取り戻したと聞いて安心した。ハヤトが記憶を取り戻す場合があると設定されていたから、いつそうなるのだろうとずっと気にしていたんだ。それで、遂にハヤトが記憶を取り戻したとなれば、俺達は、ハヤトの望みをサポートするのがタスクだ。今のハヤトは、何をどうしたいんだ?」
隼人は、ノリオの表情を見つめる。ノリオも、隼人から目を離さずに、彼が話し始めるのを待っている。
「…俺は、このドームに閉ざされた街から外に出て、元の街に戻りたい。」
「元の街と言うのを、ハヤトは記憶しているのか?」
「ああそうだ。」
「そこは、ここと何が違うんだ?」
「全てだ!…いや、そうじゃない。見た目は同じだ。だけど、なんだろう…、もっと活気があって、人で溢れてて…」
頭の中で記憶にある街を思い出してみる。人が大勢いて、活気があったのは確かだが、それ以外の何が違うのか、上手く言葉にできない。
「そうか。俺にはその光景が想像できないが、ハヤトはそこに戻りたいんだな。…ハヤトの望みを叶えるために協力する前に、もう1つ、教えてくれないか。何故、ここじゃ駄目なんだ?」
「ここは、俺の居る場所じゃない。…生きている人間は、お互い何かしら干渉しながら生きているんだ。それが時にはストレスにもなるが、1人きりでは生きていけない。中には部屋に引き籠ってしまう奴が居たり、山奥で独り暮らしをする人が居たりするが、そんな人達だって、よく考えれば、必ず誰かと関わっている。部屋に籠って食べるインスタント食品は、誰かが工場で生産した物だ。山奥で自給自足していても、病気になれば山を降りなければならない。人間はどうしたって人間の中でしか生きられない生き物なんだ。」
ノリオが腕組みをする。
「成る程な。でも、まだ理解できない。ここにだって、ハヤトの周りには俺達、個性を持った仲間が居るじゃないか。確かに人数は少ないかも知れないが、その分、個人のプライベート空間が維持されている筈だ。オノゴロの中の何が不満だ?」
「…無理だよ。外の世界を知らないお前達には理解できない。」
隼人はテーブルに両肘をついて、両手で顔を覆う。
「外の世界を知っていると、出たくなるのか?俺にも外の世界の記憶があれば、ハヤトの気持ちが理解できるのか?」
「どうかな」ずっと冷静なままでいるノリオのおかげで、隼人も少しは冷静に考えられる様になってくる。「分からない。ただ、俺の本来の居場所はここじゃないと感じる。ごちゃごちゃして、犯罪に手を染める最低の人間も居たが、いろいろな人で溢れていた、あの世界が俺の居場所なんだ。」
「それはノスタルジアか?」
「いや、そうじゃない。」
隼人は感覚で即答したが、よく考えれば何だか怪しい。ノスタルジアではないにしても、結局、佳純に会いたいだけなのかも知れない。佳純にどんな思いがあって、こんな所に隼人を閉じ込めたのか分からないが、望んでもいないこんな場所に突然押し込められて、愛する人から、あなたのために用意したと言われたって、素直に喜んで受け入れられる訳が無い。
「お前達は、誰か他の人間と連絡を取ったりしていないのか?」
ノリオ達が佳純の用意したロボットならば、どこかに居る佳純と繋がっている可能性がある。むしろ、その方が自然だ。
「いや。人間の存在を知らない。」
「人間じゃなくても、外の世界とは繋がっていないのか?このドームの中で人間を見掛けた事すらないのか?人間じゃなくても、情報交換したりしないのか?」
ノリオは首を横に振る。
「そうだ、川崎、川崎って男を知らないか?俺の勤めている会社に居る奴だ。」
「ああ、知っている。」
「あいつは?人間じゃないのか?」
問い掛けていながら、答えが判っていると感じる。
「彼もロボットだ。」
そうか、川崎もロボットなのか。あいつなら、俺がここに居る理由を知っているかも知れない。会って確かめる必要がある。
「これは、俺の勝手な推測だが」眉間にしわを寄せて考え込む隼人の様子を見て、ノリオが言葉を足す。「カワサキも俺達と同じ様に、ハヤトのサポートをタスクにしていると思う。俺達は、精神健康面のケアが主体だが、彼は会社でハヤトの日常生活をサポートするのが役目なんだろう。」
「ああ。」
隼人の答えは上の空だ。
「なあ、話を戻しても良いか?」
「なんだ。」
つい、隼人の返事は刺々しくなる。
「さっきも言ったが、ハヤトが記憶を取り戻した今、ハヤトの望みを叶える手助けをするのが俺達のタスクだ。ハヤトは、オノゴロの外に出たいんだな?俺達に手伝える事は何だ?教えてくれ。」
そう言われて、隼人も思い出す。俺は昨日、ノリオ達に悪態をついてしまったと反省していたんだ。同じ轍を踏んでいるじゃないか。
隼人は、椅子の上で居住いを正す。
「済まない。ノリオにまた、嫌な思いをさせてしまっていた。ノリオ達が悪い訳じゃないんだ。このところ、いろんな事が次々に起こって、気持ちに余裕が無いって言うか、いっぱい、いっぱいなんだ。」
「ま、良いさ。それで、何か手伝えないか?」
急にそう言われても、直ぐに考えは浮かばない。
「そうだな、…ちょっと待ってくれ」隼人は片方の掌を開いて、前のめりになっているノリオに向かって突き出す。「そんな急に要求されても困る。俺自身、これからどうしようか考えなければ動けないんだ。」
ノリオは上体を起こす。
「そうか…。」
「なら、一緒に考えてくれ。ノリオの知恵を貸してくれないか。」
「ああ、良いとも。」
初めてノリオの顔に笑みが浮かぶ。
「俺は、このドーム、オノゴロって言ったっけ?」
隼人の問い掛けに、ノリオは黙って頷く。
「このオノゴロから外に出たい。街中を徘徊する清掃ロボットやお前達、それに俺。オノゴロの中にみんなを入れるには、必ず出入り口が必要だ。どこかにそれがある筈だ。知らないか?」
「いや。今までオノゴロの外との行き来など考えた事が無かった。出入り口の存在は知らない。俺達の持っている地図にも載っていない。」
隼人は色めき立つ。
「地図を持っているのか?」
「ああ、データとして体内に格納されている。」
「それ、俺が見れる様にできるか?」
「後で携帯情報端末に転送する。それで、ちゃんと見れるか確認してみてくれ。」
「その地図にオノゴロの外の様子は書かれていないか?」
ノリオは残念そうに微笑む。
「載っていない。オノゴロの内側だけの地図だ。俺達はそれしか見ていないから、外の世界を意識した事など無かった。」
「地図に載っていないからって、出入り口が存在しないとは限らないだろ。敢えて意識的に地図に記載しなかった事だって考えられる。」
「何の為に?必要ないからか?」
「いや、そうとは限らない。勝手に外に出られては困るからって可能性もあるだろう。」 隼人の頭の中には佳純の顔が浮かんでいる。「あらゆる場所を虱潰しに探してみるしかないと思う。」
「俺達も手分けして探そう。ブロック毎に担当を決めて探すのはどうだ?」
「うん、有難い提案なんだが…、出入り口が擬装をされているかも知れない。例えば、表面を覆って看板になっているとか。結局、自分の目で確かめないと納得できない気がするんだ。」
「そうか。ハヤトが納得できなければ、意味が無いからな。」
「移動手段が地下鉄と徒歩しかないから、時間がかかりそうだが、地道にやるさ。」
「自転車なら手に入るぞ。」
「自転車か…無いよりましだ。欲しい。何とかなるか?」
「分かった。確保しよう。他には何か無いか。」
「オノゴロに人間はいないと言っていたな、本当か?」
「生きている人間を見た事が無いと言ったんだ。俺の行動範囲内での話で、オノゴロ全体を把握している訳ではない。」
「そうか、まだ人間が居る可能性は残っているんだな。」
「何故、そんなに人間に拘る?さっきの話に関係するのか?」
「それもあるが、オノゴロの中に人間が居るならば、きっとその人間は、何か情報を持っている。例えば、オノゴロができた経緯や、出入り口の場所を知っている可能性がある。」
「成る程な。」
「人間がいる可能性がゼロでないなら、人も探しながら、出入り口も探して回るさ。」
「それなら、俺達も協力できそうだ。他のロボットにも尋ねて、人間に関する情報を集めてみよう。」
「ああ、それは助かる。是非情報を集めてくれ。」
漸く隼人の顔が笑顔になる。
「よし、そう言う事なら、直ぐに動く。」ノリオは立ち上がる。「自転車は確保して、今日中に持って来る。」
「済まないが、暫く食事会には出られない。今日から行動を開始する。それ以外で、お前達の助けが必要になったら、グループチャットに書き込めば良いか?」
「ああ、それで良い。いつでも構わない。」
ノリオは、挨拶もそこそこに玄関から出て行った。
ノリオが帰ると、隼人は出社する支度を始める。いつもなら、もう会社に着いている時間だ。その上、オノゴロの中を調べ回ると決めたのだから、その準備に時間を割くべきだろう。それでも会社に出ようとするのは、川崎に会うためだ。
ノリオの話で川崎もロボットだと判った。様子がおかしい奴だと思っていたが、ロボットだと聞かされると、何だか納得する。そのロボットと、1つのオフィスの中でずっと仕事をしていたのだ。あいつには、自分が記憶を取り戻した事をまだ伝えていない。俺があいつにそう言ったら、あいつはどんな顔をするだろう。いつも無表情にパソコンに向かっているあいつは、素知らぬ顔をしていながら、きっと何か知っているに違いない。まずは、あいつを問い詰めなければ気が済まない。
支度ができると直ぐに、隼人は家を飛び出して地下鉄駅に向かう。電車が来るのをイライラしながら待って、2つ先の駅に着いたら、駅からオフィスまでは走って向かう。そこまでの勢いのままにオフィスのドアを開ける。果たして、オフィスの中はもぬけの殻だ。部屋の入り口に立ったまま、空の川崎の椅子を見つめて隼人は途方に暮れる。
「くそ!」
こんな時間に川崎が居ないなんて1度も無かった。つまり、何かを察して逃亡したんだろう。あいつはやっぱり何かを知っている。
悔しさに歯ぎしりする。ロボットとしての川崎が電力補充に戻る場所も、他に行きそうな場所も、隼人は知らない。これでは探しようが無い。
どうせオノゴロ中、人間と出口を求めて探し回るんだ。いずれ川崎とも出会うだろう。その時こそ逃がしはしない。
隼人はオフィスの戸締りもせずに自宅へ戻った。




