1 野付崎隼人の日常(1)
7時5分前に目が醒める。いつもと同じ時間。携帯情報端末の目覚まし機能をセットしている時間の5分前だ。野付崎隼人は、ベッドの上で軽く伸びをしてから上体を起こす。今日も快調な目覚めだ。カーテンの向こうから差し込む日射しが今日も快晴なのを知らしめている。隼人は、キッチンの棚から食パンを2枚取り出し、トースターに入れると、洗面台へ移動する。歯を磨き、顔を洗い終わる頃には、トーストが焼き上がっている。毎日、マーガリンをたっぷり塗ったトーストの朝食では、体に良くないと思いながらも、習慣は簡単に変えられない。フライパンで目玉焼きとベーコンに焼き目をつけたら、1人テーブルに座り、朝日を背中に浴びながら食事する。急ぐ必要は無い。余裕を持った時間に起きている。ゆっくりベーコンの塩加減と、トーストに沁み込んだ溶けたマーガリンを味わう。神経質で潔癖な隼人は、朝食を食べ終わった後、食器を洗って食器乾燥機にぶち込んだ後で、もう1度軽く歯を磨いてから、シャツに着替える。髪を整えて全体の身だしなみをチェックする。壁に取り付けられた姿見には、20代後半の若者の姿が映っている。太っている訳でなく、かと言って痩せているとは言い難い。背が高い訳でなく、でも取り立てて低いと言うのとも違う。特徴のない黒髪の男。隼人は、鏡に向かって苦笑いを返して部屋を出る。
朝起きてから、マンションの一室を出るまでに1時間半の時間がかかっている。5階建てのマンションの3階の一室が野付崎隼人の自宅だ。部屋を出てエレベーターの前に行けば、いつもの様に、昨日隼人が帰りに乗って上がって来たエレベーターが、そのまま停まっている。ボタンを押せば、どうぞとばかりに扉が開く。地下鉄駅までは歩いて5分。広い表通りに人の姿は殆どない。見えるのは、清掃係がカートに掃除道具を入れて、街路の隅を掃除して歩く姿だけだ。彼等はAIロボットだ。揃いの緑色の制服を着ているからそれと判別できるが、見た目も言動も普通の人間と区別できない程に精巧だ。車道を通る車も無い。わざわざ狭い歩道を歩く必要も無いくらいだが、身にしみついた習慣だ。歩道を歩いていないと落ち着かない。
地下鉄駅への階段を降りると、改札口に繋がる長い通路に出る。人ひとりいないLED照明だけがまばゆい通路を通り、改札口で電子パスをかざす。駅員の姿も無い。全て自動で管理されているのだろう。更に地下に降りるエスカレーターは、人を検知して動く仕組みだ。隼人が近付けば、直ぐにモーターが起動して動き出す。何の支障も無いが、隼人が利用するまでに、一体どれだけ停まったまま人を待ち続けていたのだろう。
エスカレーターが終点に近付くにつれ、徐々に地下鉄のホームが見えてくる。利用者は居ない。長いホームに出ても、隼人の姿しかない。数分もすれば、目的地方面の電車がやって来る。自動運転の電車には運転手は勿論、車掌も居ない。自動ドアが開いて乗り込んだ車内も隼人だけだ。目に留まった座席に座って、携帯情報端末を開く。
カズからのメッセージが入っている。
〈今日はどこで昼飯にする?〉
毎日、最初にメッセージを入れて来るのは大抵カズだ。まだ、出勤時間だと言うのに、もう昼飯の心配か。気が早過ぎるだろ。他にする事無いのかよ。
隼人は画面の文字を見つめて苦笑いを浮かべる。
〈今日は、イタリアンでどうだ?〉
ノリオがカズの問い掛けに、すぐ返信している。
〈男ばかり4人で洒落た店でランチねぇ〉
ムサシは、少し間が空いてから返信している。それでも、返信していない隼人よりもマシだ。すっかり遅れをとってしまったが、これもいつもの事だ。大抵、隼人の返信が一番最後になる。
〈たまには場所を変えてみるのも良いな〉〈イタリアンでお勧めの店、誰か知っているか?〉
自分もちゃんと会話に参加しているよ~と言う意味も込めて、隼人はコメントを送る。
〈C-1地区、10号通りに、『カプリッツォ』って店がある〉
直ぐにノリオから返信が来る。
〈旨いのか?〉
ムサシも直ぐに反応する。隼人が返信する前の、ムサシの最後のコメントから30分は間が空いているのに、こいつらの反応スピードは異常だ。ずっと携帯端末の画面とにらめっこしていて、何か着信があったら、すかさず入力しているのじゃないだろうか。
〈魚介類のパスタが売りらしい〉
魚介類かぁ…。ノリオの返信に、アサリやエビの入ったパスタを想像してみる。これは旨そうだって程には思えないが、かと言って、気乗りしない訳でもない。
〈量はどの位だ?〉
ムサシはやけに拘る。
〈知らんが、特段多過ぎるとか、少な過ぎる事も無いだろう〉
〈良いぞ、俺は、イタリアンの店に1票だ〉
ムサシの拘りを無視する形で、隼人はノリオの提案に賛成する。
〈それじゃ、僕もイタリアンに1票入れる〉
カズが直ぐに賛同してくれる。
〈なら、予約を入れておく〉〈12時で良いな?〉
〈ムサシ、良いのか?〉
隼人は、無視された形になってしまったムサシを気遣う。
〈構わない、嫌な訳じゃない〉
ムサシらしい物言いに、自然と笑みがこぼれる。
〈それじゃ、後で〉
隼人は勝手にチャットを打ち切って、携帯端末をポケットに捻じ込む。通勤先のオフィスは2駅先だ。隼人の乗った地下鉄は、もう目的の駅に向けて減速を始めている。改札を抜けて地上に出れば、オフィスは目の前に見えるビルの中だ。エレベーターに乗り、4階で降りると、目の前に『(有)極光ソフトエンジニアリング』と印刷されたパネルがガラスに貼られたドアがある。隼人は毎日ここまで通勤してソフトウェアの仕事をしている。
オフィスに入れば、同僚の川崎が出勤していて、モニターに向かって仕事を始めている。川崎は隼人が入って来ても目もくれず、パタパタとタッチパネル式のキーボードの上で指を動かす。川崎は、痩せた長身を窮屈そうに屈めて椅子に座っている。日本人離れした彫りの深い、縦長の顔立ち、細いフレームの丸眼鏡を掛けた高い鼻。短髪をオールバックに固めているのは、容姿への自信の表れだろう。彼が笑う所も、怒る所も見た事が無い。いつでも無表情で平坦な物言いが、人を寄せ付けないオーラになって周囲に放たれる。
隼人も彼の邪魔をしない様、挨拶もせずに、斜向かいの自分のデスクの前に腰を下ろして、端末の電源を入れる。隼人の担当は、AIロボットのタスク入力ソフトのバージョンアップだ。機密上の理由なのか、オフィスの端末からしか開発プラットフォームにアクセスできない。これが自宅の端末からアクセスできれば、短い時間とは言え、通勤時間を節約する事ができる。自分のモニター画面の前に座って、パソコンを立ち上げながら考える。
何とか出来ないものか…。
「どうだ?そっちは順調か?」
隼人が出社して来た事など、意識に無いかの様にしていた川崎が、指先の動きすら止めずに口にする。
「ん?…ああ、タスクを入力するインターフェイスのルーチンは大体整理できたと思うんだが」隼人も自分のモニター画面を見たまま、言葉だけで返事する。「なんか、こんなので良いのかな。」
「何が?」
「AIロボットには、タスク用の領域以外にパーソナリティ設定領域も確保されてる。ユーザーがどんな人達なのか知らないけど、タスクに合わせて、パーソナリティも微妙に調整したいんじゃないかな。」
「別に…、タスクをこなすのに、キャラクターは影響しないだろ。」
「ロボットのパフォーマンスは、効率的にタスクをこなすだけじゃないだろ。ユーザーの満足度ってのも大事な要素じゃないか。ほら、イメージってあるだろ。例えば、執事なら、老練な、痩せて背の高い、白髪交じりの寡黙な紳士とか、メイドなら、ボディラインのメリハリが利いた、少しぽっちゃりした色気を感じさせる女の子とか。」
「そりゃ、お前の勝手なイメージだろ。第一、お前の言った事は、殆ど見た目の話じゃないか。パーソナリティ設定じゃ、ロボットの容姿は変えられないぞ。」
「例えばだよ、例えば」隼人は何だか自分が否定されている様な気がして、ついムキになる。手を止めて立ち上がると、川崎に向けて力説する。「言い方がまずかっただけだ。それじゃ、メイドなら、落ち着いた、優しい性格って言うなら良いだろ。兎に角、そう言う風に、人に依ってこういう仕事をこなすなら、こんな人にやってもらいたいって気持ちがあるんじゃないか?その方が、きっと満足度が向上する筈だ。」
「ふーん。」
モニターを見つめたまま、川崎が出した声には、『別にどうだって良い』と言う空気が乗っている。隼人はちょっと肩透かしを食った気持ちになり、ゆるゆると椅子に座り直しながらも話し続ける。
「折角、ロボットにパーソナリティ設定領域が設けられていて、結構、細かい設定が可能なのに、デフォルト設定のままじゃ、紋切り型で面白くないだろ。」
「それじゃ、タスク入力の中身に合わせて、パーソナリティ設定を自動変更させるのか?」
「いや、お前の言う通り、俺の持っているイメージは、俺のイメージでしかない。人に依って求めるイメージは違う筈だ。」
「なら、タスク入力の後で、パーソナリティ設定のサブルーチンにジャンプさせれば。」
「いや…、パーソナリティ設定も結構手間がかかる。毎回設定するのは、煩わしいと感じる人だって居るだろ。」
「パーソナリティ設定に飛ぶか選択式にするか?」
「ロボットのタスクを修正する度に、選択画面が出てくるのすら煩わしくないか?」
川崎は、眼鏡を掛けた縦長の顔を少し右に傾げる。
「頻繁にタスクを変えるユーザーは少ないだろ。」
「うん、それはそうだろうな。…ま、もうちょっと考える。」
「そうか。」
2人の会話はそこで途切れた。2人がキーボードを操作する音と、パソコンの冷却ファンの音だけがオフィスの狭い空間に反響している。
ふいに、隼人が手を止める。
何だろう。何だかモヤモヤする。何か頭の片隅にひっかかっている様な…。理由がはっきりしない。このままでは気になってしょうがない。
川崎を見れば、さっきまでと変わらず、モニター画面とにらめっこをしながら、頻りにキーボードの上で指を動かしている。もう、すっかり自分の仕事に集中しているのだろう。
「…なあ。」
隼人はおずおずと話し掛ける。
「何だ?」
「…こんな会話、前にもしなかったか?」
「『こんな会話』って?」
「今の、タスク設定だとか、パーソナリティ設定がどうだとか…。」
「いや。…あ~、デジャビュって奴だな。よくある事だ。」
「良くある事か…」
「こんな仕事していれば、同じ様な場面に何度もぶち当たる。デジャビュを感じても当然だろ。」
「成る程…、そうか、そうだな。」
これ以上、邪魔しちゃ悪い。
隼人は、無理に自分の中のモヤモヤを振り払って、モニター画面に集中した。




