晩餐
レオヴァンの指示でアルテアは屋敷の一室に案内された。そこには、使用人が用意した町娘風の服が置かれていた。薄手の麻布のドレスに、焦げ茶のコルセット、アルテアは服を手に取り、ニヤリと笑う。
「へえ、私にこれ着て娘のフリしろってわけか」
彼女はフード付きの旅装を脱ぎ、慣れた手つきで服を着替えた。長い金髪をひとまとめにし、後ろで結い上げた。鏡の前でくるりと一回転。
「うん、悪くない。ちょっと可愛いかも?」
自分で呟いて笑いながら、彼女は部屋を出て夕飯の席へと向かった。
屋敷の食堂は、長い木のテーブルに白い布が敷かれ、燭台の灯りが暖かく揺れていた。料理は豪華で、焼きたての鴨肉にベリーのソースがかけられ、茹でた根菜や小麦のパン、新鮮な果物が並ぶ。アルテアが席に着くと、レオヴァンが緊張した笑顔で彼女を迎えた。
「どうですかな、その服。お似合いですよ」
「ありがとう。結構気に入ったよ。それより、この鴨肉美味しそう!」
アルテアが目を輝かせてナイフとフォークを手に取ると、部屋の奥から控えめな足音が近づいてきた。
「お父様、この方は……?」
声の主は、レオヴァンの娘——エリシアだった。アルテアが振り返ると、そこには少女が立っていた。背丈も髪色もそっくりで、金髪が柔らかく肩に落ち、アルテアとは違う緑の瞳が好奇心に輝いている。ただ、エリシアの肌は屋敷暮らしらしく白く滑らかで、ドレスの裾が優雅に揺れていた。
エリシアはアルテアを見つめ、両手で口を押さえた。
「わ……、なんて美しい人……!」
アルテアは椅子から立ってお辞儀し、それから小さく笑って手を振った。
「ありがとう。貴女も可愛らしい人だね」
エリシアは頬を赤らめ、慌てて席に着いた。
アルテアはエリシアを見て、胸の奥がわずかに疼いた。誰かに似ている気がしたが、それが誰かは思い出せなかった。
レオヴァンが咳払いをして場を取り繕う。
「エリシア、この方はアルテア様。我が家を助けてくださる旅の方だ」
彼は、今はまだ襲撃のことを伏せておくつもりらしい。
「そうなのですね……。よろしくお願いします」
エリシアが恥ずかしそうに微笑むと、アルテアはウィンクした。
「うん、任せて。私、こういうの得意だから」
◇
夕食の席は穏やかに進んだ。
エリシアはアルテアの旅の話に目を輝かせ、レオヴァンは不安を胸に隠しながらも、終始穏やかな笑みを絶やさなかった。
「それで、アルテア様はどんな街を巡ったんですか?」
エリシアが期待に満ちた瞳で尋ねると、アルテアは少し思い出すように笑った。
「いろいろ行ったけど、オルディアが特に印象深かったな。ずっと南にある港町で、潮の匂いが町中に漂っていて、通りには色とりどりの魚が並んでたよ。あの活気は忘れられない」
「お魚ですか?」
エリシアの声が弾む。
「私もお魚が好きなんです。あちらではどんなお魚を?」
「ゼルフィスっていう白身魚を、丸ごと野菜と一緒に種油で焼いたんだ。香ばしくて、ふっくらしててね。ほんとに美味しかったよ」
アルテアは鴨肉を頬張りながら答えた。
「わあ、それは美味しそうですね!」
エリシアはぱっと笑顔を浮かべたあと、ちらりと父の様子を確かめるように視線を横に流した。
「……今度、お父様にお願いしてみようかしら」
レオヴァンはすぐに笑顔で応えた。
「エリシアのためなら、世界の果てからでも魚を取り寄せるとも」
「まぁ、お父様ったら」
エリシアは小さく笑い、アルテアもそれにつられて頷いた。
「エリシアも、旅に出てみたいと思う?」
その問いかけに、エリシアは少し笑ってから視線を落とした。
「昔は、お父様に連れられていろんな場所に行ったんです。でも、ある時から……許しが出なくなってしまって」
そう言って、ちらりとレオヴァンの方を見た。彼はちょうどグラスを口に運んでおり、娘の視線に気づいた素振りはなかった。ただ、グラスの中のワインが全く減っていないことをエリシアも気付いているようだった。
「お父さん、心配してるんだよ。それだけ大切にされてるってことだね」
アルテアは、ほんの少しだけ羨ましそうな表情を浮かべた。
「また、旅に出られるといいね」
その言葉にエリシアは何かを言いかけて、けれど微笑みに変えてうなずいた。
晩餐は明るい笑いに包まれた。
だが、アルテアは窓の外の闇が徐々に濃くなるのを感じていた。