銀の剣
「薬を……買ってくれるの?」
ミロが隣を歩きながら、アルテアを見上げる。
「うん。君にこの街の案内をお願いしたいんだ。それもあってのことだよ。それに君のお姉ちゃんを助けるなら、このお金もいい使い道だよ」
彼女は金の袋を軽く振って笑った。
路地の市場で薬草売りの婆さんから薬を買い、ミロに案内されるまま隠れ家へ。薄暗い小屋の中、ボロボロの毛布にくるまった少女——ミロのお姉ちゃんが横たわっていた。汗で濡れた額、かすれた息。
「飲ませてあげて」
ミロが急いで姉に薬を飲ませると、彼女の呼吸が少しずつ落ち着いてきた。
アルテアは水を絞った布を姉の額にのせた。
ミロが少女の腕にしがみつく。
「ありがとう……本当に……」
アルテアは男の子の明るい茶色の頭を軽く撫で、「よしよし」と笑った。
その時、小屋の外からドタドタと複数の足音が迫ってきた。
続いて、聞き覚えのある怒鳴り声が響く。
「おい! あのガキがここにいるはずだ!」
アルテアは即座に立ち上がり、扉を押して外に出た。
ミロが慌ててそのあとを追う。
土埃を巻き上げながら、痩せた男を先頭に数人の男たちが姿を現す。
さっきの三人に、新たな顔ぶれが加わっていた。
アルテアは彼らを見やると、どこか楽しげな笑みを口元に浮かべた。
「あら、また会ったね。……ちょうどいいこと、思いついちゃった」
「げぇ……、お前まだいたのか!」
痩せた男がたじろぐ。
「お前ら女なんかにやられたのか!」
新たに加わった男たちが笑った。
男たちが目を吊り上げる中、彼女はミロにウィンクした。
「この人たちからお金もらっちゃおう! ねえ、貴方たちのアジトまで案内してよ!」
「お前、ふざけてんのか!」
男の一人が怒鳴り、ナイフを振り上げる。アルテアは一瞬で間合いを詰め、剣の鞘で男の手首を打ち据えた。ナイフが飛び、男が悲鳴を上げた。
「ふざけてなんかないよ。お金は大事だからね!」
残りの男たちが襲いかかった。彼女は素早く右に跳び、拳をかわして肘を腹に叩き込む。一人が棍棒を振り回すが、棍棒を鞘で受けていなす。男の体勢が崩れた瞬間、横膝に一撃。鈍い音と共に、男はうめき声を上げて倒れた。
「ほら、案内はまだ?」
男たちは慌てて逃げ出した。
◇
逃げた男たちをアルテアとミロは追いかけた。
やがて市場裏の広い廃屋に男たちが入っていった。廃屋には煤けた旗が風にはためき、酒と汗の臭いが漂う。
アルテアは「ここがアジトか。雰囲気あるね」と呑気な声を出すと、やっと追いついたミロに服を引っ張られた。
「ねえ! ここ、やばいとこなんだ!
アイツが出てきたら殺されちゃう!」
アルテアはきょとんとした顔を見せたが、その後ニヤリと笑ってアジトの中に入った。ミロも諦めたように後を追う。
男たちが「助けてくれ!」と喚きながら奥の部屋に転がり込むと、沈黙が一瞬走った。
その静寂を破るように、足音が響く。
奥から、巨漢の影が姿を現した。腰に大剣を下げ、眼光はナイフのように鋭い。彼が歩くたびに、周囲の空気がじわりと重くなるのを感じる。
「ガーウェンの旦那! あの女をやっちまってくれ!」
ガーウェンと呼ばれた剣士を見て、男の子は青ざめてガタガタと震え出した。
——ガーウェンはこの貧民街では右に出る者がいないほどの怪力の剣士だった。かつては傭兵として名を馳せたが、裏切りに遭い、その後流れ着いたこの街で強盗団を率いるようになった。貪欲な彼は、手下に手段を選ばず金を集めさせ、自身は酒と賭けに溺れながら、力で全てをねじ伏せてきた。貧民街の住人にとって、ガーウェンの名は恐怖と服従の象徴だった。
◇
「……お前か。なるほど。ただもんじゃないらしい。こいつらじゃ相手にならんのも納得だ」
ガーウェンがアルテアを眺めて低い声で言うと、彼女は首を振った。
「あら、さっきの人たちよりは話がわかりそう。じゃあ、お小遣い……くれるよね?」
アルテアがからかうように軽口を叩いた。
「いいとも。払うのは鋼と血の通貨だがな」
ガーウェンは鼻を鳴らし、大剣を構えた。
アルテアもスラリと剣を抜く。
その刃は完璧な均整を保ち、まるで月光を凝縮したかのような銀色に輝いていた。
銀の刃がわずかに揺れ、空気が張りつめる。それは見る者の息を奪うほどに、美しかった。
銀色に輝く剣を見たガーウェンの目が欲に爛々と光り、アルテアの頭上へ雷鳴のような一撃を繰り出した。だが、彼女は風のように一歩滑り、刃をかわす。ガーウェンの瞳に驚愕が走った。
咄嗟に体勢を立て直し、間髪入れず次の一撃を繰り出す。
二人の剣が激しくぶつかり合った。金属の悲鳴が響き、刃が交錯するたび光が爆ぜる。剣士の膂力は圧倒的で、アルテアは後退を強いられる。だが、彼女の唇には微笑が浮かんだ。まるでこの剣戟を愉しむように。
「へえ、結構強いね。力じゃ敵わないかな」
アルテアの声は軽やかだ。剣士が唸る。
「少しはやるようだな。動きに迷いがない。だが……軽い」
ガーウェンは、どこか懐かしむように目を細めた。
「惜しいな。戦場で出会っていれば、部下に引き抜いてたかもしれん。
だが今は——その剣だ。売れば小さな城ひとつくらいなら買えそうだ。手放すなら、命は見逃してやるぞ?」
「ふふ。欲に目が眩んでるね。貴方には渡せないな」
その言葉を受けて、ガーウェンの目が一瞬、獲物を狙うように鋭く光った。
アルテアの剣を欲するあまり、その怒りがさらに燃え上がる。だが、その気持ちを隠しながら、彼は振りかぶった。
ガーウェンが振り下ろした一撃は、まるで山を割る勢いだった。
だがアルテアは剣を構え、絶妙な瞬間に刃を傾けて受け流す。まるで水面を滑る光のように刃が空を切り、ガーウェンの巨体が一瞬よろめいた。その刹那、彼女の動きが加速した。
アルテアは剣を翻し、ガーウェンの腹に叩き込んだ。鈍い衝撃音が響き、ガーウェンが呻いて膝をつく。大剣が地面に落ち、乾いた音を立てた。
ミロは息を呑み、アルテアを見つめた。彼の瞳に、彼女と銀の剣が確かに映っていた——まるで、一瞬の光を刻むように。
「平打ちだよ。安心して」
アルテアは軽く微笑んだ。その笑みは、まるでいたずらを成功させた子どものように無邪気だった。
「さて、お金はどこ?」
アルテアが剣を剣士の首に突きつけると、ガーウェンは悔しそうに歯噛みしつつ、奥の部屋を顎で指した。
彼女は周りで腰を抜かしている男たちに笑顔を向けて言った。
「持ってきてくれる?」
震えながら金の入った箱を持ってきた男から、アルテアは箱を受け取ると説教じみた口調で言った。
「これで奪われる悔しさがわかったでしょう? もう強盗なんてやめておきなよ。次は斬るから」
男たちは首を縦に振ると一目散に逃げ出した。
アルテアは箱の中の銀貨や銅貨を袋に入れてミロに渡した。
「これは追加報酬だよ。思ったより入ってなかったけど、これでしばらくは大丈夫だね。君も、スリなんてしちゃだめだよ」
ミロは袋をぎゅっと握り、目を輝かせてアルテアを見上げる。
「ありがとう……」
彼女はフードを被り直し、ニッコリ笑って答えた。
「ところでさ、お腹すいちゃった。どこか安くて美味しいお店知らない?」
ミロは少し驚いた顔をした後、ぱっと笑顔になって手を引いた。
「美味しいお店なら市場の端にある『マムの飯屋』が最高だよ!
姉ちゃんもそこ好きだったんだ。行こうよ!」
アルテアはミロの頭を撫でた。
「じゃあ、マムの飯屋で決まりだ!」
アルテアはミロに引っ張られるままに、アジトを出て市場へ向かった。夕陽が街をオレンジに染め、喧騒が少しずつ落ち着き始めていた。