すべてを懸けた一撃
アルテアは剣を振るうたびに、レオドリックを包む瘴気がわずかに揺らぐのを感じていた。
斬撃が重なるたび、闇の濃さがほんの少しずつ削れていく。まるで銀の剣の輝きが、騎士の闇を削ぎ落としていくかのように——。
レオドリックの太刀筋にも、微かな違和感があった。
依然として重く、正確無比だったが——それが、ほんの一瞬、読み取れた気がした。
打ち合いの中で、剣の軌道がわずかに「見える」。アルテアは見えた軌道に剣を置き、弾く。そして斬撃。
刃が火花を散らし、剣と剣が押し合う。
わずかに押し返されたレオドリックが、声を張り上げた。
「娘よ…名を教えてくれぬか。それとその剣……なんという神々しさよ! さぞ名のある剣に違いなかろう……!」
アルテアは笑みを浮かべた。
足さばきで間合いを保ちつつ、刃を振るう手は止めない。
「私の名はアルテア。剣の名はカリバーン!」
軽く刃を弾きながら、言葉を継ぐ。
「借り物の剣だけれど、褒めてもらえて剣も喜んでるよ!」
アルテアが答えると、レオドリックの骸骨の眼窩に宿る瘴気の光がわずかに揺らぎ、まるで彼女の言葉を味わうように沈黙が流れる。
「……アルテア。そして、カリバーン。覚えたぞ」
金属音が響き、レオドリックが一歩退く。
空気が揺らぎ、静寂が訪れた。
互いに構えを崩さぬまま、一瞬、視線が交わる。
二人が息を整え、構え直すその動きには、剣士同士の敬意と覚悟を感じさせた。墓地の風が止み、衛兵たちの息遣いすら聞こえるほどの静寂が辺りを包む。
「ならば——」
レオドリックが、天を仰ぐように頭を上げた。
「この一撃、受けてみよ。アルテア!」
レオドリックが低く唸り、剣を月に掲げるようにゆっくりと頭上に構えた。
大気が震え、瘴気が土を巻き上げる。墓地の闇が揺らぎ、月光すら鈍くなる。
彼の目が鋭く光り、首元のペンダントに嵌められた青い宝石が淡く瞬いた。
アルテアは息を呑んだ。
——これは、彼のすべてを懸けた一撃だ。
そう直感するほどに、構えから伝わってくるものがあった。
まるで、それが“騎士レオドリック”の最後を飾る一太刀であると、彼自身が告げているようだった。
大剣が振り下ろされた。
金髪の少女に向けて、真っ直ぐに。
それは死の宣告だった。魂を刈る死神の鎌のように、冷ややかで、絶対的だった。
空気を裂く風切り音が轟き、あらゆるものを砕かんとするほどの威力を孕んでいた。
刃の軌跡が月光を歪ませ、瘴気が黒い尾を引いて渦を巻いた。
アルテアは目を逸らさず、彼の剣を見つめた。
その美しい軌道を。自らを二つに断つ運命の刃を。
——この剣になら、斬られるのも悪くはない。
けれど。
まだ、終われない。
まだ、自分には果たすべきことがある。
死ぬわけにはいかない理由がある。
生きねばならない意味がある。
——この目で見た一番強い剣士。あの騎士と再会するまでは。そして生きてこの剣を返す。そのためにも。
左へ半歩。いや、足りない。もう半歩? それでは遅い。
体を右によじる。右足を連れて行く。
顔はそのままでいい。
皮一枚分。それで、十分だ。
その動きは、風にたなびく麦穂のように。
あるいは、石に出会った水の流れのように。
泰然と、自然に。
動いたことすら、見る者にはわからぬほどに。
大剣が地面に叩きつけられ、衝撃で土が爆ぜ、深い溝が刻まれる。
削られた地面には血も肉片もなかった。
アルテアは震える手を抑えるように柄を握りしめた。
剣を振るうためではない。剣は、足を踏み出したその瞬間にもう振るっていた。
それはただ、貫くために。
彼女は力を込めた。
月光を吸い込んだように光を帯びた銀の剣が、一筋の輝きを残し、黒い鎧を断ち切る。
その刃は骨を貫き、胸の中心で止まった。
瘴気が一瞬膨張し、次の瞬間、爆ぜるように霧散した。
かつて英雄と呼ばれた剣士は、自身を貫く刃を眺めるように見た。まるで、慈しむかのように。
彼の握っていた大剣の柄を支える手が一度開きかける——が、すぐに力が戻される。
それは、彼の矜持を物語っているようだった。
少女の肩がわずかに上下し、傷から滲んだ血が一滴、頬を伝わり地面に落ちる。
赤い花が、ひとつ、静かに開いた。