初代領主
魔術師は魔法陣を描き、触媒を用意し、儀式をもってこの世ならざる力を呼び起こす。
「お強いあなたの剣気が、霊の眠りを裂いたのです。あなたは目覚めさせる最後の“鍵”だったのですよ!」
エドウィンが描いた魔法陣の中心から、瘴気を纏った骸骨の騎士が現れた。
骨だけの体に黒い鎧が纏われ、その手に握る大剣が月光を鈍く反射している。その首もとには、青く光る宝石のペンダントが、静かに揺れていた。
その姿を見た衛兵たちは震え、へたり込む者も現れた。
「ハハハッ……素晴らしい!
エドウィン・シルヴァーンの名において命ずる――目覚めよ、最強の騎士!
我が祖よ、簒奪者どもを討ち、城館を取り戻せ!
正統なる支配を、いま再び!」
騎士は低く、だが威厳ある声で名乗りを上げた。
「我が名はレオドリック・シルヴァーン。我が眠りを妨げたのは其方らか。覚悟はできているのであろうな」
その声に、衛兵の一人が震えながら呟いた。
「初代領主様の……亡霊だというのか……!」
◇
二百年前、この国は荒れていた。
時の皇帝は教皇と対立し、貴族たちもまた皇帝派と教皇派に分かれて争っていた。
レオドリック・シルヴァーンは、その乱世にあって、皇帝派の辺境伯アデルベルトに仕える騎士であった。
他に並ぶものなき剣の天才であり、幾度も敵を討ち、軍を率いては勝利を重ねた。
忠誠を誓った主、アデルベルトは、その功に報いて秘宝のペンダントを彼に授けた。
レオドリックは深く感激し、ますます忠誠を深めた。
やがて皇帝派は戦に勝利し、アデルベルトは選帝侯の座に就いた。
レオドリックもまた、男爵としてこの地の支配を任された。
彼に不満はなかった。
ただ一つ――自らに並ぶ剣才の持ち主に、ついぞ出会えなかったことを除いて。
教皇派との戦のさなか、若き将との一騎打ちがあった。
しなやかな剣さばき、鋭い踏み込み。レオドリックは、ほんのわずかに胸が高鳴るのを感じた。
だが、それも数合で終わった。相手の剣が迷った一瞬に、彼は喉元を断ち切った。
倒れた将の瞳から光が消えていくのを見つめながら、レオドリックは静かに立ち尽くしていた。
胸の鼓動はすぐに沈み、やがてそれは、失望へと変わっていった。
あれが、最も心を揺らした戦いだった。
男爵となったレオドリックは、シルヴェントの街を整備し、人々を守り、静かに歳を重ねた。
そしてある日、自らの屋敷の寝台で、ひとり静かに息を引き取った。
誰にも敗れず、ただ静かに迎えたその死に顔は穏やかだったが、胸には未だ冷たい空洞が残っていた。
その首には、かつてアデルベルトから授けられた青い宝石のペンダントがかけられていた。
最後の瞬間、ペンダントにそっと触れながら、彼はぽつりと呟いた。
「……強者はおらぬのか……」
それが、最強と謳われた騎士の、最後の言葉だった。
◇
「さぁ! 手始めに、ここにいる者達を皆殺しにするのです!」
エドウィンが両腕を広げ、恍惚とした声で叫ぶ。その傍らで、黒い瘴気を纏った騎士がゆっくりと顔を上げた。
鈍く輝く眼窩の奥——そこに宿る眼差しは、まっすぐにアルテアを見据えていた。
騎士の威光——死して甦ったというのに、その目には、確かに誇りが宿っていた。
レオドリックがアルテア目掛けて突進してきた。大剣の一振りが空気を裂き、途中にいた衛兵を軽々と吹き飛ばす。悲鳴が上がり、松明が地面に転がった。アルテアは剣を構えると、それに応えるように銀の剣が光を伴う。アルテアは静かにレオドリックを迎え撃った。
騎士の一閃が迫り、彼女は剣で受け止める。アルテアが反撃に一閃すると、レオドリックも大剣で受け止め、激しい剣戟が始まった。
剣と剣が火花を散らし、墓地に高い音が響き渡る。
レオドリックの大剣が振るわれるたび、空気が重くうねり、地面が震えた。
アルテアはその重さと速さを受け止めながら、後退もせず、むしろジリ、ジリッと間合いを詰めていった。
レオドリックの剣技は圧倒的だった。
無駄な動きひとつなく、流れるような連撃の中に必ず殺意を織り込んでくる。
一撃受け損なえば、骨ごと叩き斬られることは間違いなかった。
レオドリックが低く唸った。
「素晴らしい……。娘よ……、我はこれほどの剣士と出会ったことは無かった。本気でゆくぞ!」
レオドリックの剣はさらに速く、鋭さを増し、瘴気が渦を巻いて視界を歪めた。
対してアルテアの剣はあくまで軽やかで、鋭く、正確だった。雷鳴のようなレオドリックの剣に、銀の閃光がひとつひとつ、応えるように届く。
アルテアの顔や体には無数のかすり傷が刻まれ、血が細く滴っていたが、顔には笑みが浮かんでいた。
鋭い剣筋が迫るたびに、心が研ぎ澄まされていく。
命を懸けなければ踏み込めない、極限の世界。その一歩先にしか辿り着けない領域だった。
「すごい……貴方は本物だ。今まで出会った中で、間違いなく二番目に強い」
アルテアの声は称賛を隠さなかった。
「ほう……。一番目の者に興味があるな!」
レオドリックの声に好奇心が滲む。
衛兵たちは戦いに介入できず、ただ呆然と見守るばかり。それはもはや人の戦いではなかった。生と死の境で交わされる、剣と剣の対話だった。