魔術師
夜の墓地を、満月に近い月明かりが照らしていた。
雲ひとつない空に白く輝く月が、割れた墓標や枯れた草を静かに染め上げている。
石の割れた墓石には苔が這い、風が低く呻るたび、影が墓地を這うように揺れた。
松明を手にした衛兵たちが、不安げな顔で墓地を歩き回っていた。
アンデッド騒ぎが続くなか、彼らは月と炎に照らされながら、夜の静寂に怯えている。
その一角に、アルテアとエドウィンが足を踏み入れた。
アルテアは立ち止まり、静かに目を細めた。
「……静かだね」
ぽつりと呟いた声が、風に乗って消えていった。
「ここは初代領主様が眠る場所です」
エドウィンの声は、どこか遠い記憶を語るようだった。
「二百年前の騎士で、誰にも敗れたことのない剣の使い手でした。数多の戦功を挙げて男爵に叙され、この地を治めるようになったと聞いています」
彼は眼鏡を軽く押し上げた。その仕草にはどこか貴族的な気品が漂っていた。
「へえ……じゃあ、その人がこの街を興したんだ?」
「ええ。英雄として今も広場の銅像には花が絶えません。でも——」
エドウィンは言葉を切り、唇を引き結んだ。
「墓の方に来る人は、あまりいません。昔から、なんとなく……怖がられていて」
アルテアは静かに頷き、腰の銀の剣に手を添えた。
「それで? アンデッドが出るのはこの辺?」
「ええ。最近は、墓石の間から這い出てくるとか……原因は、まだ」
エドウィンの声には、高ぶりが隠せなかった。
「だから調べたいんです。どうして、こんな場所で、死者が——」
「貴方、こういうの慣れてるの?」
「いえ……私は学者です。実地経験はあまり。でも今日は、貴重な記録が取れるかもしれません」
エドウィンの口元はわずかな笑みが浮かんでいた。
「ふーん……」
エドウィンはその場にしゃがみ込み、何か調べるように地面に手を付き、ぶつぶつと独り言を呟いていた。
その直後——
地面の下から、不気味な軋みが響いた。
墓石の間から、骨と腐肉が這い出してくる。
スケルトン。ゾンビ。腐臭が風に乗って広がり、衛兵たちは慌てて剣を抜いた。
「ねぇ……。数多くない? これじゃ実害出るんじゃないの?」
アルテアが呆れたように言葉を漏らす。
その視線の先で、墓石の陰から次々と這い出してくるアンデッドたち。数は明らかに、聞いていた話よりも多かった。
エドウィンは立ち上がり、肩をすくめながら答えた。
「ええ……確かに。以前より明らかに多い。何か、新たな条件が重なったのかもしれません……」
アルテアは銀の剣を抜き、深く息を吐いた。
「仕方ないか」
戦闘が始まった。
スケルトンが振り下ろす錆びた剣を、アルテアは軽やかにかわし、一閃で粉砕する。
ゾンビの爪が振り上げられると、滑るように横へ動き、首を断ち切った。
衛兵たちも懸命に応戦するが、数の多さに押され、じりじりと後退していく。
そのなかで、ただ一人、アルテアだけが敵を切り伏せていた。
銀の剣が月光を弾き、鋭い弧を描くたびに、骨が砕け、腐肉が地に落ちる。
「——ああ、やはり。やはり貴女は……!」
後方で、エドウィンが低く笑い出した。
狂気じみたその声に、剣を構えたまま、アルテアは冷ややかに振り返る。
「それはいいけど。——結局、何がしたいの?
魔術師さん」
「……!」
エドウィンは目を見開き、それから口元を歪めて笑った。
「気付いていたのですね……。さすがです」
「うん。前に見たことあったし、似た気配だったから。……あと、薬品っぽい匂いがそっくり」
アルテアの声には、冷たさと鋭さが滲んでいた。
「このアンデッドも貴方の仕業でしょ?」
エドウィンの瞳が震えたが、すぐに歓喜に染まる。
「なんて鋭い……! ああ、本当に……!
やはり貴女なら!」
彼は眼鏡を放り投げ、レンズが石の上で砕けた。
それと同時に、地面に隠されていた魔法陣が赤く輝き出す。
空気が震え、風が止まり、瘴気が立ち上る。
墓地全体が、重く息を潜めた。
両手を広げたエドウィンが、狂気の笑みを浮かべる。
「アルテアさん……ずっと探していたんですよ。あなたのような、完璧な触媒を!」
「……!」
「最強の霊を呼び戻すには、それに見合う力が必要なのです。——これは、伝説の復活!」
「……まさか」
「ええ。呼び起こすのは——初代領主!
誰にも敗れることのなかった、伝説の騎士を!
あなたを餌に、彼をこの地に——蘇らせるのです!」