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旅の理由

 朽ち梁亭からほど近い路地の奥、カウンターが五席だけの薄暗い飲み屋がある。煤けた壁と古びた木の香りが漂う中、夕暮れ前の淡い陽が細い窓から差し込んでいた。外ではまだ働き盛りの喧騒が続いているが、この店の中だけは時間が緩やかに流れている。


 アルテアとミロが再びその扉をくぐると、店主のダレンが使い込まれた木の器を無骨な手で拭きながら迎えた。彼の顔は、いつものように無愛想だった。




「わからないかぁ……」

 アルテアは肩を落とし、がっかりした表情を隠さなかった。青い瞳に失望の色が浮かび、フードの下で金髪が小さく揺れる。彼女の声には、微かな苛立ちが滲んでいた。


 ダレンは手を止め、彼女を一瞥すると、低く掠れた声で応じた。

「あくまで経過報告だ。近隣の街や村でも情報を集めている最中だ。まだ時間はかかる」


「うん……レオヴァンさんの情報網でも探してくれるらしいし、待ってみるよ……」

 アルテアは小さく頷き、昨日レオヴァンから受け取った金貨の報酬と共に「銀髪の騎士」の情報を頼んだことを思い出した。商会長の広い人脈にも望みをかけているのだ。彼女はフードを軽く引き直し、気持ちを切り替えるように息を吐いた。


 ミロがカウンターの端に腰を引っ掛け、ダレンをジロリと睨みつけた。ボサボサの髪が額に落ち、子供らしい敵意が剥き出しだ。

「アルテア、俺が紹介したのに言うのもなんだけど、このおじさん、本当に大丈夫?

 アルテアは“いい情報屋”って言ってたけどさ」


 ”いい情報屋“。その言葉にダレンの頬が心なしか赤く染まった。彼は目を逸らし、器を拭く手を少し速め、ごまかすように鼻を鳴らした。アルテアはミロを見てクスリと笑い、穏やかに説明した。


「昨日、金貨の入った袋を見せたのに『知らない』って即答したでしょ。下種な情報屋ならもっと金貨を出させようと知ってるふりをするよ。でも即答したってことは情報という商売で信用を大事にしてるってこと。いい情報屋だよ、ダレンは」


 ダレンは何も言わず、ただ黙々と器を拭き続ける。ミロは「ふーん」と鼻を鳴らしつつ、納得したような、しないような顔でアルテアに目を移した。そして、純粋な好奇心が抑えきれず、口を開く。

「ところでさ、その騎士さんを何で探してるの?」


 アルテアは一瞬目を細め、遠くを見るような表情を浮かべた。過去の記憶がちらりと頭をよぎったのか、彼女の唇がわずかに動く。やがて、柔らかく笑って答えた。

「借りたものを、返したいんだよ」


「返せって言われたわけでもないのに、返すの?」

 ミロが目を丸くして言うと、アルテアは笑いながら首を振った。

「お金ならいいんだけどね」


「いや、金も返せ……」

 ダレンが短く呟き、口を挟んだ。声に皮肉が滲んでいるが、どこか冗談めいている。アルテアは彼をチラリと見て小さく笑い、それ以上は語らずに立ち上がった。ダレンは黙って二人を見送り、カウンターに残された金貨をそっと懐にしまった。


 ◇


 情報屋を出て、ダスクロウの雑踏を歩き始めた二人。西に傾き始めた陽が埃っぽい空気を橙色に染め、長く伸びる影が道端の壁を揺らしている。


 物売りの声は少しずつ静まり、子供たちはまだ遊び足りない様子で路地を駆け回っていた。乾きかけた泥と砂利がぬかるみを作り、そこに残る水たまりが、傾いた陽を鈍く反射している。


「ミロ……」

 アルテアが小さく呟いた。彼女の鋭い感覚が、背後の気配を捉えた。ミロも即座に反応する。

「うん、俺でも気付いたよ……アルテア、こっち!」


 ミロがアルテアの手を掴み、勢いよく走り出した。二人は細い路地を何本も曲がり、泥濘に足を取られながら進む。埃と汗の匂いが混じる中、袋小路にたどり着くと、瞬時に左右に分かれ、壁の影に身を潜めた。


 追跡者の足音が近づき、袋小路で立ち止まる。アルテアが静かに踏み出し、道を塞ぐように立った。ミロもその隣に並び、低い声で問うた。


「何の用?」


 そこに立っていたのは、学者風の若い男だった。埃にまみれた薄灰色のローブ、使い込まれた革鞄を抱え、ずれたメガネを直す間もなく、目を泳がせながら名乗る。


「私はエドウィンと申します。アルテアさんに、依頼をお願いしたくて……」


 アルテアの名前を口にする彼を、アルテアは静かに見つめた。ダレンが言っていた——閃光を討ったアルテアの噂が街に広まりつつあると。


「何で付けたんだよ」

 ミロが敵意を隠さず睨むと、エドウィンは慌てて両手を振った。

「あ、いえ、お二人が急に走り出したので……つい追いかけただけで、悪意はありません!」


 アルテアは剣に手をかけず、ただ青い瞳で男を射抜くように見据えた。

「ふーん……。で、依頼だっけ? どんな?」


 エドウィンは緊張を解くように息を吐き、早口で説明し始めた。


「街外れの墓地で、最近アンデッドが出没しているという話がありまして。今のところ実害は出ていませんが……」

 エドウィンは咳払いをして続ける。

「私はアンデットの出現条件の研究のために調査をしたい。その護衛として、貴女にお力を貸していただきたいのです」


 アルテアは顎に手を当て、少し考え込んだ後、肩をすくめて応じた。


「まぁいいけど。報酬は?」


「金貨十枚でどうでしょう?」


 アルテアはわずかに目を細めた。

「えらく気前がいいね? まぁ、いいよ。引き受ける」


 ミロがぱっと目を輝かせ、飛びついた。

「俺も行く! アルテアだけじゃ心配だし!」


 だが、アルテアはミロの頭を軽く叩き、穏やかだがきっぱりとした口調で諭した。


「だーめ。お姉ちゃんの看病をしっかりしなさい。リナリアが心配してるよ」


 ミロは頬を膨らませて「うー」と唸ったが、アルテアの目を見て、しぶしぶ頷いた。その様子にエドウィンが小さく笑い、アルテアも微笑みながらミロの頭を撫でた。


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