返り血
ゲルハルトの腹に膝を叩き込んだアルテアは、そのまま足を振り上げ、彼の脂ぎった体を蹴り飛ばした。彼は「うぐっ」と呻き、壁に叩きつけられて床に崩れ落ちる。部屋に重い静寂が落ちたのも束の間、外からドタドタと慌ただしい足音が近づいてきた。異常を察した護衛たちが、剣を手に部屋へと殺到してきたのだ。
「おい! 何だこの騒ぎは!」
先頭の護衛が吠え、アルテアを目にして剣を構える。彼女は軽く首を振って立ち上がり、護衛の一人が振り下ろした剣を素早くかわした。次の瞬間、彼女はその男の手首をひねり、剣を奪い取る。刃が月光にキラリと光り、アルテアは切り上げた。
シュッ——。
「え?」
鋭い音とともに、護衛の右腕が呆気なく地面に落ちた。血が飛び散り、男が悲鳴を上げて倒れる。アルテアは奪った剣を軽く振って呟いた。
「結構いい剣だね」
護衛たちが色めき立ち、一斉に彼女に襲いかかる。怒号が部屋に響き渡った。だが、アルテアはまるで風のように動き、剣を交えることすらなく次々と敵を切り倒していく。一人が突きを繰り出すと、彼女は横に滑り込み、剣で胴体を切断した。別の護衛が背後から斬りかかると、彼女は振り返りもせず後ろ蹴りで顎を砕いた。
アルテアの刃が空を切り、血が飛び散る。彼女の町娘風の服は返り血で赤く染まり、金髪が風に揺れた。アルテアは小さくため息をつき、呟いた。
「この服、可愛かったのに」
護衛たちは次々と倒れ、部屋は血と呻き声で満たされた。生き残った数人が震えながら後ずさる中、アルテアは剣を向けて静かに言った。
「さてと……あと何人かな?」
「ひ、ひいい……!」
護衛の一人が怯えた声を漏らし、剣を落として這うように逃げ出した。その時、部屋の奥から鋭い風圧がアルテアを襲った。
その直後、床の埃が舞い上がった。
——斬撃だ。
彼女は咄嗟に剣を構え、弧を描くように振り上げてその一撃を弾き返す。キィン!と金属音が響き、火花が散った。
「ほう……。娘……やるようだな」
低い声が部屋に響き、入り口に一人の男が姿を現した。長身で、長い黒の髪を後ろに結び、鋭い目つきが暗闇に光る。——用心棒だ。
手に持つ片刃の剣は異様に長く、緩やかな反り刃の表面に淡い波紋のような刃文が浮かんでいた。
彼は剣を鞘に仕舞った。
アルテアは剣を軽く構え直し、微笑んだ。
「貴方もね」
その時、床に這っていたゲルハルトが泣き叫ぶ声が響いた。
「せ、先生……! あいつを、あいつを殺してくださいいぃ……!」
脂ぎった顔に涙と鼻水が混じり、哀れな姿で懇願する。だが、用心棒はゲルハルトを一瞥し、冷たく吐き捨てた。
「黙れ。俺は俺のやりたいようにやる」
男は息を吐き、アルテアを見据えた。
「娘。名は?」
「アルテア」
彼女が短く答えると、男は小さく頷いた。
「佳い名だ。俺はギルヴァード。閃光のギルヴァードだ」
名前を告げ合っただけなのに、部屋の空気が変わった。
刃はすでに交わした。
次は血を欲していた。