第一章
自分が過去の人生をほんの少ししか思い出せないのを、ヴァンドーヴァーはいつも不思議がった。つい最近の出来事を除くと、彼は何も思い出せなかった。最初に自分の人生の物語だと思っていたものは、よくよく考えてみると、自分の記憶がまったくの気まぐれで、重要でも何でもないのに保存した、数少ないばらばらの出来事でしかないことがわかった。こういう出来事のあるものは、大きな悲しみ、悲劇、家族の死かもしれないし、またあるものは、同じようにありありと、同じように詳細まで正確に思い出せる、ほんのささいなことだったかもしれない。
記憶を意図的に呼び覚まそうとすると、いつも彼の前に、ボストンからサンフランシスコの新居へ移動する間の特別な場面がよみがえった。そのときヴァンドーヴァーは八歳だった。
場所はニューヨーク西部にある大きな町の駅。その日は暑かった。混雑した普通客車での長旅の後だと、巨大な鉄製のアーチ型天井の駅の、曲線を描く屋根の下の涼しい日影はとても心地よく思えた。ポーターと制動手とヴァンドーヴァーの父親は、とても慎重に母親を持ち上げて列車から降ろした。彼女は長いデッキチェアに並べた枕の上に横になっていた。三人がかりでその椅子をゆっくり降ろすと制動手は立ち去ったが、ポーターは残って帽子を脱ぎ、左手の甲で額を拭き、次はそれを右手のピンクの手のひらで拭いた。彼らが乗り換えることになっている別の列車はまだ到着していなかった。それどころか静止していた。駅のずっと端っこで、まるで巨大なスフィンクスがレールの上にうずくまっているように、動かない駆動輪の上でくつろぎ、静かに蒸気を出し、長い休憩をとっていた。油まみれの帽子をかぶり、シミだらけの青いオーバーオールを着た修理班が、列車を点検し、線路のまわりを歩き回り、軸箱を開けたり閉めたりし、長い柄のハンマーで車輪を叩いてさえわたった音を出していた。
ヴァンドーヴァーは父親の近くに立って、細い足を大きく広げ、携行を許された学生鞄を両手で持っていた。大きな目を漠然ときょろきょろさせて、しきりにあたりを見回し、修理班と空の貨物で居眠りしている大きな白い猫を見ていた。
数名の乗客が、デッキチェアに横たわる病人をじろじろ見ながら、ホームを行き来した。
この旅は病人には負担が大き過ぎた。ひどく衰弱し、かなり真っ青で、まぶたは重く、額の皮膚は青く引きつっているように見え、小さな汗の玉が口角のまわりに集まった。ヴァンドーヴァーの父親は椅子の背もたれに手と腕を置いた。病気の妻は彼に寄りかかって、葉巻と携帯用の櫛が入ったベストのポケットに頭をもたせかけた。どちらも無言だった。
やがて彼女は長いため息をついて、顔がほうけた間抜け面になって、表情がなくなり、目が半分閉じて、口が半開きになった。まるで眠ってうなだれたように、頭が前にころがるように出て、下唇から長い唾液が垂れた。ヴァンドーヴァーの父親は素早く彼女の上にかがみ込んで、鋭く叫んだ。「ハリー!……どうした?」突然、彼らが待っていた列車が駅に入って来て、やかましい金属音と、蒸気と熱い油の臭いとでその場を満たした。
この臨終の場面は、ヴァンドーヴァーが母親のことで思い出せる唯一のものだった。
人生を振り返っても、この後の約五年間のことを何も思い出せなかった。その期間が過ぎてからでさえ、何とか鮮明に思い浮かべられる光景は、ごく平凡なものしかなかった。その中の一つは、サンフランシスコの家の裏庭の小さなカーペットに座ってモルモットと遊んでいる十三歳の少年になった自分の姿だった。
十代の頃の自分の人生を知るためには、こういうばらばらの記憶の映像をできるだけ集めて、より正しい順序で並べ直し、不完全でも思い出せるものをつなぎ合わせて、ただの憶測や推測を頼りにして、多くの空白を埋めざるを得なかった。
一家がサンフランシスコに来たのは一八八〇年の夏だった。ヴァンドーヴァーの父親は、そこに落ち着くと小さな住宅と安いアパートを建て始めて、一番安いアパートは十ドル、それより高いものは三十五ドルから四十ドルのさまざまな値段で、人に貸し出した。彼は東部の事業をたたんで、妻の体調不良を理由にカリフォルニアに出てきたのだ。ボストンでお金を稼いで、引退するつもりだった。
しかし、すぐに、それが出来ないことに気がついた。このとき彼は六十近い老人だった。彼は他のすべてのことを押しのけて、全生涯を仕事に捧げてきた。今や財を成し、それを楽しむ余裕ができたのに、自分が仕事以外の何かを楽しむ能力を失っていたことに気がついた。彼の関心を引けるものは他に何もなかった。彼はアメリカで言われるお金持ちではなかったが、十分にお金を稼いでいたので、旅行や適度の息抜きをしたり、芸術や音楽や文学や演劇への見識を高めたり、銅版画や陶磁器や骨董品を集めたり、馬を贅沢に楽しむといった無害な流行にひたるくらいならできた。六十近い彼は、こういうことをするどころか、一日の暇な時間ごとに自分を襲う、死ぬほどの退屈や気疲れからの唯一の避難先として、再び卑しい仕事に身を投じざるを得ないことに気がついた。
朝早くから夜遅くまで街を巡回して、小さな家や安アパートの普請を自ら監督し、のこぎり台や材木の山に座って、大工たちの仕事ぶりを見ていた。夕方、へとへとになって、モルタルや松の削りくずの匂いをさせて帰宅し、遅い夕食をとった。
毎月一日に不動産屋が家賃を届けに来るときは上機嫌だった。銀行に預ける前に、硬貨入りの小さな帆布の袋を持ち帰って、息子の注意をそのお金に向けさせ、決まって両目に二十ドル金貨を片眼鏡のようにくっつけて「大衆のためになるもの」と意味のない冗談を叫んだ。これは長年、家族の間で言われてきた冗談のひとつだった。
彼の建築計画は独特だった。信用力が高かったから、土地を選ぶと、自分がその所有者になった場合に、銀行がその土地にいくら融資してくれるかを調査した。金額が折り合えば、その土地を購入して、まとまった頭金を支払い、残金の分は手形を切った。土地が彼のものになると、銀行は彼が望む額を融資した。このお金と手持ちの資金で、土地代を完済して、建築に着手し、労賃は即金で支払うが、材料、材木、レンガ、建具などは後払いで調達した。建物が半分出来上がると、それを完成させるためと、材料費として請負業者に渡した手形の支払いにあてるために、銀行から二度目の融資を受ける交渉を行った。
彼はこれを賢い事業運営だと思った。家賃収入は、彼が最初に投資した金額をはるかに上回る額の利息と同じだったからだ。彼はこのやって「改善された」物件ごとの二重抵当権についてはあまり話さなかったが、これはそれ全体の価値の三分の二に及ぶことがよくあった。どの借入金の利息も、家賃収入よりはるかに大きかったので、彼はとても慎重に場所を選んだ。急成長している都市の不動産市況は活況を呈していた。新しい家はみんな安普請だったから木摺りと漆喰の骨組みに過ぎなかったが、それでもニスや安物の加工材のおかげで見栄え良く立派に建てられた。最初は順調に借り手がつき、ほとんど空き家にならなかった。世間はこの老紳士を、この街で一番成功した不動産オーナーの一人だと言った。新しい事業の成功を彼がとても喜んだので、やがて有り金のすべてがこのやり方で再投資されるようになった。
ヴァンドーヴァー自身は父親の最盛期に、十五歳になろうとしていた。性格の初期の生の状態にある要素が自己主張をし始め、場合によっては、母親の影響が切実に必要されるあの変化の時期に入ろうとしていた。どんな女性の影響でも、この時期の彼には有益だっただろう。それは姉でも雇われ家庭教師でもよかった。家政婦が少し彼の世話をやいて、服を直し、土曜日の夜の入浴を見届け、庭の歩道の下に穴を掘らないように見張った。しかし彼女の影響力は、もっぱら否定するか禁止するかだったので、二人は争いが絶えなかった。ヴァンドーヴァーは成り行きのままに成長し、放課後はほとんど気の向くままに街中をほっつき回った。
十五歳で長ズボンをはき、その年の秋にハイスクールに入学した。彼は成長が早すぎたので、この頃は背が高くて、とても痩せていた。手足はまっすぐで、骨張っていて、肘と膝は関節が大きくて不格好だった。首は細長く、頭は大きく、顔は浅黒くてニキビだらけで、耳は大きくて赤く、頭の両側からぴんと突き出ていた。髪型はオールバックだった。
ハイスクールに入学してひと月もしないうちに、あだ名がついた。男子は彼を「ろくに食わせてもらえないガリガリ」と呼んで、とことん辱めた。
少しずつ若者にありがちな粗野な男っぽさが彼の中で成長し始めた。悩ましい尋常ではない時期だった。もしヴァンドーヴァーが女の子だったら、この時期は石筆を食べ、チョークのかけらをかじり、死にたくなり、理由のない鬱状態をさまよって、あらゆる種類の異常でとっぴな行動に走っただろう。実際のところは、声が変わり始めて、頬とうなじに金色のうぶ毛が少しはえた程度だった。一方で、初めての夏休みはおたふく風邪を長く患って台無しになった。
食欲は旺盛だった。一日三食、たっぷり肉を食べたが、運動はほとんど、いや、まったくしなかった。顔のニキビはどんどん悪化した。気難しく、神経質になった。ヴァンドーヴァーは女の子が大の苦手で、女の子の前に出ると、照れたり、自分を持て余したりして、とても強気に出た。時々、ものすごく奇妙でものすごく病的な妄想が彼を支配した。その主なものは、通りを歩いているときに、みんなが自分を見ているというものだった。
ヴァンドーヴァーはいい子だった。毎晩ベッドの横で大きな膝をついて祈りを捧げた。主への祈りに自分のさまざまな願い事をつけ加えた。良い子になって、長生きして、死んだら天国に行ってお母さんに会えますように、それから次の土曜日は一日中晴れますように、自分が生きている間に世界の終わりが来ませんように、と祈りを捧げた。
ヴァンドーヴァーの目が開かれて、善悪の知識を身につけたのは、ハイスクールの一年生のときだった。彼はかなり遅くまで初だった。この少年の天然の未熟な初々しさは、若い動物のそれと同じで、魅力的でありながら同時にこっけいだった。しかし、次第に好奇心が強くなり、抑えの効かない不合理な本能に心を乱された。読むと父親が二十五セントをくれたから、日曜日の午後に読んだ聖書の中で、彼はものすごくたくさんのことに出会った。それが漠然とした奇妙な考えで彼をいっぱいにした。そして、ある日曜日の教会で、牧師が連祷を唱えているときに、「出産で危険な目に遭うすべての女性たち」という言葉に初めて気がついた。
若い獣の本能で、この言葉の陰に潜む謎を嗅ぎ取り、隠された何かの存在を感じながら、ずっとこれに頭を悩ませた。父親からは納得のいく答えを何も得られず、だんだん父親に尋ねるのが恥ずかしくなり始めた。その理由はわからなかった。同級生の忌まわしい話を聞かずには済ませられなかったが、最初のうちは自分が理解できた部分さえ信じまいとした。それでも、自分の無知と無教養ぶりが恥ずかしかったので、相手の話がわかるふりをした。
ある日、ついに、ヴァンドーヴァーはこの簡潔で獣じみた事実を聞いて、すぐにこれを信じた。彼の中のもっと低俗な動物的直感は、この事実を何度も繰り返して信憑性を確かめた。しかし、このときでさえ彼は、人間がこんなに低俗でこんなに下品だと考えるのは嫌だった。ある日、彼は、昔この大きな書物のどれかのページの間に置き忘れた、と老紳士が彼に話してくれた一ドル札が見つかることを期待して、父親の書斎で古いブリタニカ百科事典を調べていた。すると突然、古臭い図版と鋼板印画がふんだんに使われた「産科」という長い項目に出くわしたので、それを最初から最後まで読み通した。
これは彼のすべての子供っぽい理想の終焉であり、初めての幻滅だった。彼の未完成な道徳に対する基準は、全体的に低下した。天使のようだと彼がいつも信じていた母親でさえ、彼の中の評価は一気に失墜した。母親はこの後二度と彼にとって同じ存在にはなれなかった。これまで想像していたような、優しく、善良で、純粋なものには決して戻れなかった。
これはあまりに残酷で、彼にとってはすべてが悲しみであり、打撃であり、大きな衝撃だった。彼はこれを考えるのが嫌だった。それから少しずつ、最初の堕落が忍び寄った。彼の中で持って生まれた悪癖が蠢動し、獣がその気配を感じさせ、後ろめたいやましい多くの考えが不快なハエの群れのように彼のまわりをぶんぶん飛び回り始めた。
あるとき、学校の男子生徒の間で聞いたある言葉、堕落した女を指す率直なアングロサクソン語の名称が、信じられないほど罪深い景色を彼に向かって開いたが、最初の反発の瞬間がすぎてしまうと今はもう、それがそれほど恐ろしくないように思え始めた。それにはある種の魅力さえあった。ヴァンドーヴァーはたちまち、圧倒的な好奇心、男子生徒らしい熱い邪悪な好奇心、異性を知りたがる後ろめたい欲望、でいっぱいになった。言われることのすべてに聞き耳を立て、その穢らわしさだけを見て大都会を徘徊した。新しい言葉の意味を辞書で調べて、その冷たい科学的な定義の中に何か奇妙な満足を見出しさえしていた。
正しい光の中で世界を見て物事を正しく判断するのに役立つ女性の影響が、この重要な時期のヴァンドーヴァーには皆無だった。同じ時期に成長が始まった彼の性格の別の側面がなかったら、彼は十代初めで完全に堕落していたかもしれない。
これは芸術面のことで、彼は天性の芸術家であるようだった。最初は、ただ芸術全般に興味を示しただけだった。絵を上手に描き、粘土質の泥で奇妙な小さい塑像を制作し、音楽に対して優れた耳を持っていて、彼独特の未知の方法で、ピアノの特定のメロディーを聞き覚えで演奏した。あるときは、舞台の才能を発揮して見せた。何日もの間、自分でも誰だかわからない恐ろしい人物になりすまして、独り言を言い、足を踏み鳴らし、拳を振り回した。それから、古い喫煙帽と赤いテーブルクロスと父親の捨てたテンプル騎士団の剣を身につけて、長い鏡の前でわめいたり睨みつけたりしながらポーズをとった。またある時は文学に没頭して、自分まで怖くなる終わりのない物語を作り上げ、ベッドに入ってから何時間も低い声でそれを自分に語り聞かせた。時々、その物語を書き起こして、夕食後に書斎の折戸の間に立ち、激しい身振りを交えて演じながら、父親に読み聞かせた。一度、小さな詩を書いて、この老紳士を真剣に悩ませ、未来に対する形のない考えと曖昧な希望とで満たしたことさえあった。
芸術のあらゆる分野の基礎となる重要な「霊感」を彼が持っているのは確かだったので、ヴァンドーヴァーは適切な環境にいれば、作家にも俳優にも音楽家にも簡単になれたかもしれない。実際、彼の人生を決定づけたのは、ささいなきっかけだった。
彼があの有名な百科事典を見つけたのと同じ書斎に『家庭の芸術』があった。これは、客間のセンターテーブルの上に目立つように放置されているのを見かける、派手な装丁の贈呈本のひとつだった。それは一般大衆の需要を満たすように計算された一冊の英語の出版物だった。それには、『夢想』とか『田園』と呼ばれる孤独な女性たちや、ジプシーの少女やあだっぽい女の理想的な『頭』や、サクランボの冠をかぶって『春』『青春』『無邪気』といったタイトルをイメージさせる少女の頭などの、ページ全体を使った絵がたくさんあった。例えば、『そうだったかもしれない』というタイトルの絵や、長い髪の悲しい目をした少女が細密肖像画に思いを寄せている感傷的な絵や、ルイ十五世時代のソファに身を投げ、両手で頭をかかえるようにして泣いている見事に着飾った女性を描いた特に印象的な絵があった。女は一人で、時刻はたそがれ時、床には開封された手紙の山があった。この絵は『思い出』と呼ばれた。
ヴァンドーヴァーはこの最後のひとつを素晴らしい芸術作品だと思って、とても柔らかい鉛筆でひどい模写をした。これがとても楽しかったので、あの絵この絵と模写を繰り返した。やがて、絵のほぼすべてを模写してしまった。父親は彼に一ドルを与えた。ヴァンドーヴァーはいつもの夜のお祈りに、立派な画家になれますようにと付け加えるようになった。こうして、彼の進路は決まった。
ヴァンドーヴァーは絵の先生を持つことを許された。先生はかなり年配のドイツ人だった。でかい老人で、かつらをかぶり、鼻から大きな音を出して呼吸をした。声はラッパのようで、騎兵隊の大佐のように大股で堂々と歩いた。絵のほかに、装飾を施した文字や枠や絵を取り入れて書く技法を教えた。普通の筆記用のペンを十数回くねらせたり流れるように走らせれば、名刺の上に、何かの鳩か極楽鳥の様式化された輪郭画を描くことができた。すべてが曲線と装飾的な渦巻きだけのものが、とても優雅に飛んでいて、「友人より」とか「親愛の情を込めて」とか自分の名前などの一言が書き添えられた半開きの巻物を嘴にくわえて運んでいた。
彼の描き方は彼が自分で考案したものだった。コピーされる絵の上に大きな紙を貼り、その同じ紙に罫線を引いて約一インチ四方の正方形を作る。その正方形のひとつを切り取り、こうしてあらわれる絵のその部分を写し取る。彼がこのやり方で絵の全体を写し終えると、それを先生が直接見直して、あちこちを修正し、この過程で必ず生じるチェス盤歪みを苦労して取り除いた。
その他にも、ベルリンの会社から出版された淡黄褐色の紙に石版で刷られた作品を、硬質クレヨンでスケッチブックに写し取ることがあった。梯子、手押し車、水桶から始めて、やがて、ちょっとした風景の中にたたずむ素朴な建物を描くようになった。石の橋と田舎の製粉所が、菩提樹のようなものに覆われ、壊れた柵の端っこが前景の片隅に来るようにして構図を完成させた。こういうものから、ぶどうの房、果物の花瓶、もっと「理想的な頭」へと進み、スイカズラの冠をいただいた『フローラ』というタイトルの等身大の頭でピークを迎えた。彼はこれに三週間かけた。これは達成感を覚えるほどの出来で、紛れもない「傑作」だった。ヴァンドーヴァーは、クリスマスの朝、立派な飾り書きで自分の署名を入れて、これを父親に贈った。老紳士は驚嘆し、呼ばれた家政婦はそれを見ると両手を天に向けて叫び声をあげた。父親は新鋳したての五ドル金貨をヴァンドーヴァーに与えると、その絵を金縁の額に入れて喫煙室の時計の上に掛けた。
老紳士は、画家になりたいというヴァンドーヴァーの願いにちっとも反対しなかったし、この青年に最初にパリの話をしたのは彼自身だった。ヴァンドーヴァーは喜んだ。カルチェラタンは彼の夢になった。彼がハイスクールを卒業したらすぐに行くことが二人の間で決められた。老紳士が彼を連れて行き、彼がどこか適当なアトリエにきちんと落ち着き次第戻る手筈だった。
やがてヴァンドーヴァーは卒業し、その出来事から三週間もしないうちに、父親と一緒にヨーロッパに向かった。彼はボストンより遠くに行ったことがなかった。
老紳士は土壇場で迷いが生じた。ヴァンドーヴァーはまだとても若く、パリには全然身寄りがなく、言葉もわからず、あらゆる誘惑にさらされるからだ。おまけに、彼の教育は現状で止まるのだ。どういうわけか、こういう形で若者を手放すことが正しいとは彼には思えなかった。一方、ボストンなら、四年間、息子の名目上の監督を任せられる古い友人や仕事上の知り合いがたくさんいた。彼は大学教育を受けていなかったが、ハーバード大学で四年間勉強した方が、ヴァンドーヴァーはもっといい画家になれるとおぼろげに確信を持った。
父親の決定はヴァンドーヴァーには受け入れがたかった。彼は大学生になることを考えたことがなく、それに何の魅力も感じなかった。この進学は時間の無駄だと父親に強く訴えたが、父親は普通の大学の授業を妨げない程度の芸術の授業料を支払うと申し出て、この反対に臨んだ。
大学進学の案はヴァンドーヴァーにとって徐々に魅力的になった。最悪の場合でも、パリ行きは延期するだけで断念ではなかった。それに、ハイスクール時代の友人が二人、この秋にハーバード大学に入学することになっていた。彼は仲間と過ごす四年間を心待ちにすることができた。
ケンブリッジは、ちょうど今の学期が終わろうとしていた。老紳士の友人たちが、重要行事のいくつかのチケットを手配してくれた。ヴァンドーヴァーと父親は、記念館のギャラリーから、盛大な晩餐会のいくつかを見て、ボートレースを見にニューロンドンに行き、卒業式の日に由緒あるキャンパスに入る許可をもらい、「ツリー」の周りの花を目指して突進する奇妙なフットボールを見て、上級生が最後に校歌を歌うのを聞き、その後、サンダーズ劇場で卒業証書の授与を見た。
その場所での盛大な式典、ニレが木陰を作るキャンパスの絵のような美しさ、ツタに覆われた古びた赤い寮、建物が醸し出す雰囲気と伝統、時代を感じさせるポンプ、ロングフェローの部屋、民兵が駐屯した講堂、こういうすべては、やはり、ヴァンドーヴァーの想像力に強く影響した。夏の数か月を外洋航海や大陸の旅行に費やすどころか、とうとう家庭教師のもとで受験に向けて猛勉強することになった。父親は七月にサンフランシスコに戻った。
ヴァンドーヴァーはその年の九月に入学し、十月一日に大学の名簿に署名し、ハーバードの新入生になった。その時、彼は十八歳だった。