第6話 【略奪】のエルザ
キルシュライト家の先々代当主、俺の祖父であるヴェルナー・キルシュライトの部屋は、まだ屋敷に残されている。
たまにメイドが掃除に入るくらいで、今はほとんど使われていない部屋なんだけど、それは俺の父親が祖父の遺品整理を怠ったからに他ならない。
そのくせ、ちゃっかり金目のものは売り飛ばしているんだから、ろくなもんじゃないよ全く。
そんな半ば開かずの間みたいになってる部屋の中で、俺は隅っこの床板に目を付けた。
どうってことない部屋において、一か所だけ明らかに魔力が込められている。
そこへ適度な魔力をぶつけると、ガコンという音がして床板が外れた。
そして地下への階段が現れる。
ゲームで言う隠しギミックってやつだ。
階段の先は、今いる部屋とは全く別の次元の空間へとつながっている。
祖父の魔法によって作られた空間で、術者が死亡した後も、空間が存続する仕掛けが施されているのだ。
――よし、行くか。
俺は慎重に階段へと足を踏み入れた。
薄暗いけれど、完全に真っ暗ではないため、足元をしっかり見ながら進むことができる。
そして三十段ほど降りると、階段はなくなり平坦な道になった。
少し道幅も広がって、なんだかダンジョンのような雰囲気を感じる。
ただ魔物が出てくるようなことはなく、俺は行き止まりの壁へとたどり着いた。
――この奥に、あいつがいる。
今日の目的は、この壁の奥にいる。
俺は壁から少し距離を取ると、【壊滅黒星】を叩き込んだ。
始めて魔法を使ってから、およそ一ヶ月。
アルガのびっくりするような才能のおかげで、深淵魔法【壊滅】もその他の一般魔法も進化が止まらない。
こんな力を腐らせていたなんて、原作の俺は何をやってたんだよ。
壊れた壁の奥へ進むと、そこには大きな正方形の部屋があった。
今までの階段や道とは一変して、地上のように明るい。
ただこの部屋には、空間以外に他は何もなかった。
その中心部で、ひとりの女性が寝転がっている。
彼女はこちらに視線を向けることもせず、天井を見つめたまま言った。
「ヴェルナーくんさあ、ようやく私を出してくれる気になった? もう二十年は経つんだけど?」
「ヴェルナーは死んだ」
「おっと?」
ようやく、彼女の灰色の瞳がこちらを見る。
黒髪のショートカット、褐色の肌。
身長は百八十センチほどで、女性にしてはかなり高い。
『略奪』のエルザ。
それが彼女に付けられた異名だ。
悪さをしてここに閉じ込められたのが、二十年前で十九歳の時。
だから単純に生きた年数で言えばもう三十九歳なのだが、この空間は時間の流れが止まっているため、彼女は十九歳のままだ。
「あらららら。全然知らない子が来ちゃった」
「アルガ・キルシュライト。現キルシュライト家の当主だ」
「ふーん。まあ、どうでもいいや。壁壊してくれてありがとね~。じゃあ」
エルザは立ち上がると、強く地面を蹴った。
勢いよく壁の壊れた部分へ向かうが、それよりも一歩早く、俺が高速で移動し穴の前に立ちふさがる。
魔力による身体強化も、だいぶ無駄な魔力を消費せず行えるようになってきたね。
あとは、これをいちいち意識しなくても、常時強化した状態で保てるようになるだけだ。
そのためにも、彼女――エルザの力がいる。
「おっとっと。ただのクソガキじゃなさそうじゃん。でもそこ退いてくれない? お姉さん、外に出たいんだよね」
「外に出ても構わないが、それは俺の話を聞いてからだ」
「えー、めんどくさい。嫌だと言ったら?」
「力ずくで話を聞かせる」
「はあ……。じゃあこっちは力ずくで突破するよ」
エルザが再び急加速して、まっすぐこちらへと向かってくる。
俺を吹き飛ばして、そのまま部屋の外へ出ようという魂胆だ。
が、俺は彼女の肩をがしっと掴んだ。
そのまま、まるで野球ボールを投げるみたいに腕を振る。
しかし、投げられたエルザの方も、空中で体勢を立て直し上手く地面に着地した。
「うーわ、気持ち悪い魔力量だね。まさかぶん投げられるとは思わなかったよ」
「話を聞く気になったか?」
「いやー、魔力が多い相手の方が、こっちにとっちゃ好都合なんだよね」
エルザは低い体勢で構えを取る。
しかし、さっきまでと違って闇雲に飛び込んでくることはない。
――魔法戦に持ち込むつもりか。
エルザの持つ深淵魔法【神速の略奪者】は、圧倒的なスピードと略奪の能力を術者に与える。
彼女が略奪するのは、有形物だけではない。
相手の魔力、時には魔法すらも奪って自分のものにする。
魔力が多い相手ならば、それだけ多くの力を自分のものに出来るから、“好都合”というわけだ。
「覚悟しな、坊ちゃん」
エルザが動く。
そのスピードは、さっきまでと段違いだ。
「捕まえた」
一歩も動かなかった俺の肩を、すれ違いざまにエルザが掴む。
彼女の顔がニヤリと歪み、俺の全身を脱力感が襲った。
「【魔力強奪】」
――なるほど。魔力を奪われるっていうのは、こういう感覚なんだ。あんまり気持ち良くはないなぁ。
「こんだけ魔力を奪われたら、しばらくは動けないでしょ。まあ、壁を壊してくれたお礼に、命は見逃してあげるよ」
俺から手を離したエルザは、出口へ向かいながら勝ち誇ったように言う。
そんな彼女へ、俺は背中越しに声をかけた。
「もうちょっと奪われるものだと思っていたんだがな。そうか、こんなものか」
「あ?」
足を止めて振り返ったエルザと、同じく振り返った俺の視線がぶつかる。
次の瞬間、俺は音もなく地面を蹴って加速した。
「なっ……!?」
さきほどエルザを放り投げた時の身体強化を一とした時、今回体に込めた魔力の量はそのおよそ十倍。
エルザは反応できず、ただただ目を見開く。
「捕まえた」
俺は自分より二十センチも高いエルザの肩に、ぽんっと手を置く。
エルザはその手を少し見つめてから、笑いながら天を仰いだ。
「ほんと、気持ち悪い魔力量。結構奪ったつもりだったんだけど」
「あいにくだったな。お前が奪ったのは、俺の魔力の十分の一程度だ」
――それでも十分すごいんだけど。
エルザが弱いのではない。
むしろ彼女の能力は、ここに閉じ込められていた二十年の間ずっと鍛え続けてきたことで、非常に強力なものになっている。
ただただ単純に、俺のこの身体が持つ魔力量が桁違いすぎるのだ。
それはアルガの持つ才能でもあるし、俺の鍛錬が加わった結果でもある。
「あーあ、やだやだ。それで? 私をどうするつもり?」
「最初から言っているだろう。俺はお前と話がしたいだけだ」
エルザに抵抗する気がないと分かった俺は、彼女から手を放す。
するとエルザは、意外にあっさりした顔でその場にあぐらをかいた。
本来であれば、魔力を奪った後にその魔力で攻撃を仕掛けてくるまで、エルザの戦闘スタイルだ。
ただ、今それをしても勝てないと、彼女も悟ったのだろう。
「話って?」
「『大賢者アーデルベルトの手記』を持っているな?」
「……っ! どうしてそれを……!」
今まではひょうひょうとして、どこか感情の読み取れなかったエルザの顔に、大きな動揺が走る。
『大賢者アーデルベルトの手記』は、全部で四巻ある伝説級の魔法書だ。
全てをそろえることで、失われた深淵魔法、あるいはその開発手段を手にすることができると言われている。
深淵魔法の開発手段を手にする――それはつまり、この世界の魔導士のなかで最上位の存在となることを意味していて、世界中の魔導士が血眼になってこの手記を探しているのだ。
「エルザ、お前がヴェルナーによってここに閉じ込められたのは、希少価値の高い魔導書をいくつも盗んだからだ。ただ、盗みの目的は魔導書を売って金を得るなんてことじゃない。『大賢者アーデルベルトの手記』を手に入れる、そのただ一点だ」
そして彼女は、実際に手記を手に入れた。
俺の記憶が正しければ、エルザが持っているのは最初の一巻だったはずだ。
「ヴェルナーにもバレなかったのに。なーんでバレちゃうかな」
「原作知識があるからな、仕方ない」
「ゲンサクチシキ?」
「何でもない、こっちの話だ」
「ふーん。でもさ、手記を渡すつもりはないよ。私はこれに命を懸けてるからね」
彼女の言う“命を懸けてる”は、決して大げさな表現じゃない。
実際、手記はエルザの収納魔法である【略奪倉庫】の中に保管されていて、彼女が死ねば二度と手にすることはできなくなる。
だから彼女に死なれては困るんだよね。
「幸いなことに、俺たちの目的は一致している」
「目的?」
「俺もお前も、手に入れたい深淵魔法は同じだ。かつて三体の神をその座から引きずり下ろした禁忌の魔法、【神殺しの大罪】」
「……はーあ。そこまでバレちゃってんだ。本当に君は気持ち悪いね、その全てを見抜いている感じ」
そう言いながら、エルザは右手の上に黒い渦を生み出す。
そして数秒後、一冊の本がそこに現れた。
ゲームでは何度も見た馴染みの表紙、間違いなく『大賢者アーデルベルトの手記』だ。
「君のお望みの品はこれ。でも今はまだ渡さない。その代わり、私も君の元から逃げたりはしない」
「実力差があって逃げられないの間違いだろう」
「うるさいなぁ。まあ、ひとまず手記をそろえるために、手を組むってことでどう?」
「それでいい」
深淵魔法【神殺しの大罪】は、俺にとってどうしても必要な魔法だ。
すでに手記を一冊手にしているエルザを味方にすることは、あまりにメリットが大きい。
それに、彼女自身かなり強い部類に入るし。
俺とエルザは、そろって部屋を出ると、階段を上がる。
エルザが外に出たことで、ヴェルナーの作った空間が消滅した。
床板の下は、もう他とまるで変わらない状態だ。
「わっ! 床からアルガが出てきた! あと……その人は誰?」
「にゃ~」
部屋に戻ると、そこにはメディとラルがいた。
ここへきてまだ数日だが、フローラによく世話されているメディに、もう街で出会った時のみすぼらしい雰囲気はない。
髪の毛も艶めきを取り戻し、さらさらのショートカットに仕上がっていた。
ラルの毛並みも、健康そうでなによりだね。
「彼女はエルザ。今日からこの屋敷で暮らす」
「そうなんだ! メディだよ、この子は猫のラル」
「にゃ~」
「わーお、アルガみたいな無愛想なのばかりだったらどうしようと思ったけど、かわいい子もいるんじゃん」
エルザは腰をかがめると、メディの頭を優しく撫でた。
さっきまで俺に「クソガキ」「坊ちゃん」「気持ち悪い」だの言っていたのとは、まるで別人だ。
「あれ? エルザ、ひざを怪我してるよ?」
メディの言う通り、エルザの右ひざには擦りむいた痕がある。
俺と戦っている最中にできたものかもしれない。
「大したことないよ。これくらい、時間が経てば治るからねー」
「ダメだよ。怪我はすぐに治さないと」
そう言うと、メディは真剣な顔でエルザの傷に手をかざした。
「何をしている?」
俺が尋ねると、メディは傷と見つめ合ったまま答える。
「こうするとね、怪我が治るって本に書いてあったの」
――魔導書を読んだのか。いつの間に。確かにメディには、薬毒の生成だけじゃなく治癒魔法の才能もあったっけ。
メディがかざした小さな手の先から、優しい魔力が溢れ出す。
瞬く間に、エルザの傷は癒えて影も形もなくなった。
「へー、すごいね。ありがとう」
「えへへへへ」
エルザの役に立てて、メディはすごく嬉しそうだ。
するとそこへ、フローラがたまたま通りがかった。
開けっ放しだったドアの向こうから、部屋の様子をうかがって声を上げる。
「ま、また人が増えたんですか!? って、今度はお姉さんですね!?」
ぴゅーっと駆け寄ってきたフローラのキラキラした目に、エルザは怪訝そうな顔をする。
そんな彼女を尻目に、俺はすすすっと部屋を出ようとする。
フローラとメディとラル、二人と一匹に囲まれたエルザは、俺の背中に呼びかけた。
「ちょっとちょっとー。何とかしなよこれ」
「ふむ。そういえばさっき、自分のことを“お姉さん”と呼んでいたな」
“おっとっと。ただのクソガキじゃなさそうじゃん。でもそこ退いてくれない? お姉さん、外に出たいんだよね。”
「お姉ちゃんです!」
「お姉ちゃんだー!」
「にゃー!」
原作だったら絶対にありえなかった奇妙な三姉妹を背に、俺は部屋を出ていく。
エルザが小さく呟いた。
「あーあ、クソガキめ。気持ち悪い」
口ではそう言いつつも、なんだか楽しそうな顔してるじゃんか。
そういえば、考えてみると三人とも家族がいない。
境遇が似ているからこそ、通じ合えるものもあるのかもしれないね。
――ここからはスピードを上げてキルシュライト家の再興を……! 絶対に破滅を回避するんだ……!
廊下に出た俺は、新たな味方に満足しながら決意を固くするのだった。