第5話 思わぬ邂逅
フローラが帰ってきて、二週間が経過したある日。
俺たちは馬車に乗り、領内の視察へと出かけていた。
キルシュライト家の再興のためには、領民からの信頼回復が不可欠で、そのために現状を把握しようというフローラの提案だ。
元々、頃合いを見て街に出ることは俺も考えていたので、提案に乗って近くの街を訪れることにした。
ちなみに、フローラがが天才的な頭脳を持っていることは知っていたけど……はっきり言って、その才能は俺の想像をはるかに超えていた。
俺が思い描いていた再興へのプランは、フローラの手が加わったことで、何段階も上のものへと進化している。
俺とフローラが手を取り合って動いているのを、ひそかにカールが孫を見るような目で見て喜んでいるようだ。
実際、祖父と孫のような年齢差ではあるのだけれど。
今日も俺たちが乗る馬車の御者席には、カールが座っている。
「驚いたな……当主様が直々に視察とは……」
「先代の当主様は一回も来たことがなかったけれど……」
「あれがアルガ様か。あまり良い話は聞かないけどな」
特に予告もなく訪れたことで、街の住民たちは驚きながらこちらを見守っている。
傲慢で怠惰なアルガの評判は、当然のごとく領内にも広がっていて、やはり俺は良い印象を持たれていない。
それに引き換え――
「フローラ様……やはりお美しい方だ……」
「今は亡き奥様の面影があるわね」
「おい、今フローラ様が俺に微笑みかけてくださったぞ!」
「バカ言え! あれは俺に笑ったんだ!」
フローラの方は大人気だね。
愛想のよい笑顔を浮かべながら、時には住民に手を振ったりしている。
何だか「このままフローラ様が当主になればいいのに」という声すら聞こえてきそうだよ。
「フローラ、この街をどう見る」
隣同士で座った妹に尋ねると、彼女は少しの思考の後に言った。
「お世辞にも豊かとは言えません。みんな、頑張って生きているようですが……」
「俺たちの父親が、過度な税金をかけていたからな。いろいろ見極めなければならないが、不要な税はできる限り撤廃する」
「それは効果的だと思います。屋敷に戻ったら、すぐに各種税の分析を行います」
「頼んだ」
十一歳にしてこの頭脳。
かわいい見た目をしているが、恐ろしいものだよ。
我が妹ながら。
「お兄様、そういえば私、お菓子作りを始めたんです。ちょうど良い息抜きになるので」
通りがかった菓子店の看板を見ながら、フローラが言う。
そういえば、確かフローラには料理が得意っていう設定があった気がするな。
「今度、美味しく作れたら、お兄様にも味わっていただきたくて……」
「そうか。楽しみにしている」
「はい! とびっきり愛情を込めて作ります!」
ううっ、健気な妹すぎて涙が出る。
本音ではもう今すぐにでもぎゅっとしてあげたいのだが、キャラ的にも周りの目を考えてもそうはいかない。
俺が心の中で滝のような涙を流していると、馬車がいきなり急停止した。
思わず俺もフローラも前につんのめる。
街の人々も、にわかにざわめき始めた。
「何があった」
俺の問いかけに、カールは申し訳なさそうに答える。
「失礼いたしました。急に飛び出してきたものですから……」
そう言って指し示す先には、ひとりの少女がいる。
年齢にしたら六歳くらいかな?
彼女は怯えた様子で馬車の俺を見上げながら、大事そうに猫を抱きかかえていた。
どうやら猫が道に飛び出してしまい、それを追いかけてきたことで、馬車を止めてしまったようだ。
「ご、ごめんなさい……」
か細い声で呟いて、少女は猫を抱いたまま立ち去ろうとする。
親らしき人物も見当たらないし、みすぼらしい服装だ。
もしかしたら、何かしらの理由で孤児になってしまったのかもしれないね。
「ア、アルガ様。この子もわざとではないと思いますので、なにとぞお許しを……」
住民のひとりが、声を震わせながら言う。
“五星”に座する権力者、おまけに傲岸不遜と名高い貴族の馬車の前を横切り、急停止させたとなっては、あの少女が俺の怒りを買ってもおかしくないと考えたのだろう。
「ふん。カール、先に進め」
「かしこまりました」
俺が特に少女を罰するつもりがないと分かったのか、住民たちはほっと胸をなでおろす。
少女も安心したのか、猫を抱えて道端へと移動する。
そしてまた、ゆっくり馬車が進み始めた。
振動を感じながら、俺は何となく、もう一度あの少女へ視線を送る。
――ん……?
何だこれは。
あの少女から、妙な魔力を感じる。
これはもしかして……深淵魔法?
「馬車を止めろ」
「は、はい」
カールが馬車を止めると同時に、俺はより真剣に少女のことを見つめる。
間違いない。
彼女には潜在的で莫大な魔力があり、しかも深淵魔法の才能がある。
――辿れ、原作知識を辿れ。深淵魔法を持つキャラで“本編”開始時の年齢は十歳前後。父親も母親もいない不遇な境遇。唯一の家族と言える存在は猫……まさか!?
俺があまりに真剣に見つめるもんだから、少女は再び怯え始めた。
フローラもカールも、街の人々も、いったい何事かと不安そうな顔をしている。
そんななか、俺は少女に呼びかけた。
「おい、名前は何という」
「え、えっと……メディ……」
――やっぱり!
彼女はただのモブキャラじゃない。
俺と同じ悪役キャラのひとり、メディだ。
彼女が原作に登場するのは、物語が始まって二年が経った十二歳の頃。
今の姿ではぱっと見じゃ分からなかったけど、でも俺が知るメディの面影は確かにある。
そこまで詳細に過去が語られるキャラじゃなかったけど、まさかうちの領内の出身だったとはね。
メディが持つ深淵魔法は【薬毒の求道者】。
あらゆる病気を治す薬から、わずかな量で巨竜を殺すほどの劇毒まで、ありとあらゆる薬毒を作り出すことができる。
原作の彼女は、その能力に目を付けた闇の組織に騙され、生み出した毒によって多くの人の命を奪ってしまう。
やがて真実に気づいたメディは、自ら命を絶つ選択をしてしまうという、とても悲しいキャラだ。
彼女の能力を上手く味方につければ、俺にとって非常に強力な手助けになる。
しかもメディが破滅するルートを壊せるのなら、一石二鳥で彼女にとってもメリットになるよね。
「メディ、本日よりキルシュライト家の屋敷で暮らせ。衣食住は提供しよう。その猫も連れてきて構わない」
俺の唐突な呼びかけに、周りにいた全員がざわついた。
みすぼらしいわずか六歳そこらの少女が、“五星”の貴族家に取り立てられるなど、まるで前例がないからだろう。
ただ当のメディ自身は、あまりよく分かっていないようだ。
唯一彼女が反応したのは、衣食住の食の部分。
ごはんというところ。
「ごはん、くれるの? ラルの分も?」
ラルというのは、彼女の抱く猫の名前だ。
原作では最後の最後まで一緒にいたかけがえのない存在。
メディとラルを引き離すなんて、絶対にやっちゃだめだ。
「提供する」
この感じからして、きっと日ごとの食料を手に入れるにも苦労していたはずだ。
メディにとって魅力的な提案であることは間違いない。
「あの子に何か感じられたのですね?」
耳元でフローラが小さな声で言う。
俺はひとつ頷くと、やはり小さな声で返した。
「メディは大きな可能性を秘めている。今のうちに、味方にしておくのが吉だ」
「なるほど。お兄様、私ずっと妹が欲しかったんです」
「何の話だ」
「あの子のお世話、私にやらせてください」
フローラの顔を見れば、それはもうワクワクキラキラしている。
あーあ、無愛想な兄しかいなくてすみませんでしたね。
「好きにしろ」
俺がそう言うと、フローラは馬車を駆け下りて行った。
メディの濃い紫色の髪はぼさぼさで、顔も少し汚れているが、よく見ればくりっとした目のかわいらしい顔立ちをしている。
フローラはメディの前に立つと、そっと頭を撫でながら言った。
「メディちゃん、お姉さんと一緒に馬車に乗りましょう」
「いいの?」
「もちろんですよ。さあ、おいで」
何がなんだか分からないまま、メディはフローラに手を引かれて馬車に乗り込んだ。
そして俺とフローラの間に、ラルを抱きかかえたまま座る。
おずおずと俺の方を見上げる感じからして、まだ怖がられているようだ。
それに街の人からも、「フローラ様がいるなら大丈夫か、アルガ様ひとりじゃ怖いけど」という雰囲気をひしひしと感じる。
信用がないってのは恐ろしいね。
これもまた、地道に取り返していくしかないんだけど。
――思わぬ収穫だったな。メディが仲間になるとなれば……予定より少し早いけど、あいつを解放してもいいかもね。
再び動き出した馬車のなかで、俺は次にやるべきことを見定めるのだった。