第4話 動き出す人々
――お兄様はいったいどういうおつもりなのでしょう。
急遽キルシュライト家に帰ることが決まり、慌ただしい準備を経て屋敷に到着してもなお、フローラ・キルシュライトの胸中からその疑問が消えることはなかった。
初めは、自分が家に帰ることでダイスラー家からの支援が打ち切られることを、アルガが知らないのかと思った。
しかし執事のカールに話を聞いてみれば、兄はそのことも織り込み済みで自分のことを連れ戻したという。
傲慢で怠惰なアルガの姿しか知らないフローラにしてみれば、いくらそのよく切れる頭を働かせたところで、疑問の答えは出てこなかった。
久しぶりに訪れたキルシュライト家の屋敷で、使用人たちの手厚い歓迎を受けつつ、フローラは兄の部屋の前へとやってきた。
隣に立つカールが扉をノックする。
「誰だ」
「カールでございます。フローラ様がお戻りになりました」
「入れ」
カールがドアを開けてくれて、フローラは部屋の中に入る。
そして驚いた。
父親の部屋にあったはずの机と椅子がアルガの部屋に置かれ、そこには書類が高く積まれている。
そして肝心の兄はといえば、その書類を真剣なまなざしで手早く処理していた。
――これが……お兄様……?
怠惰な兄のことだ。
公務はカール辺りに丸投げして、自堕落に過ごすのだとばかり思っていた。
思い描いていた兄の姿と、現実の兄の姿の乖離に、フローラは軽いパニック状態に陥る。
そんななか、アルガは仕事の手を止めると、もうひとつの机を挟んで置かれたソファーの片側に腰掛ける。
フローラも兄と向かい合うようにして座り、カールは「飲み物をお持ちします」と部屋を後にした。
二人きりとなった部屋の中で、アルガがフローラに話しかける。
「久しぶりだと言いたいところだが、父の葬儀以来か」
「はい。およそ一か月ぶりでございます」
「ダイスラー家にいた際、いろいろと気苦労もあっただろう。旅の疲れもある。今日はゆっくり休むと良い。だが、その前に話しておかねばならないことがある」
「な、なんでしょうか」
――お兄様が私に気遣いの言葉を……!?
言い方はあくまでも上から目線、親身に寄り添うような感じではないが、それでもフローラからしてみれば衝撃だった。
もはや、目の前にいるのは兄の姿をした全くの別人なのではないかとすら思ってしまう。
あながち、その感覚は間違っているとも言い切れないのだが。
「すでにお前も察しているだろうが、キルシュライト家は非常に厳しい状況に立たされている。俺はこれを一年で祖父の代の勢力まで戻し、そしてその先、この家を過去にないほど繁栄させることとした」
「お兄様の口調では、それは目標ではなく決定事項のように聞こえます」
「その通りだな。必ず達成させるという意味では、決定事項と言って良いだろう」
――傲慢です。変わらず傲慢です。でも傲慢のベクトルが明らかに違います!
自分と同じ青い瞳を持つ兄の目には、絶対的な自信が見て取れる。
フローラはゾクゾクするような感覚を覚え、自然と口角が上がりそうになるのを必死に制した。
「やるべきことは山積みだ。キルシュライト家の唯一の肉親、家族として、お前にも存分に力を発揮してもらう」
「家族……として……」
「そうだ」
母親はすでにこの世におらず、兄は近寄りにくい傲慢怠惰な男。
そして父親によって他の家へといわば売り飛ばされたフローラにとって、一番刺さる言葉が“家族”である。
もちろん、アルガもそのことは頭に入っているが、今のは本心からの言葉だった。
――お兄様が私を家族と認めてくれました……!
「何でもいたします! 例えこの身が滅びようとも、お兄様のために!」
「うむ」
重固い決意を抱いたフローラは、アルガが内心で「あ、いや、滅びてもらっちゃ困るんだけど……ほどほどにね?」と思っていることを知らない。
そしてこの瞬間、フローラの脳内には数百に及ぶキルシュライト家再興、および領内繁栄への施策が思い浮かんでいた。
フローラにはほとんど魔力がない。武芸の才能もない。
だが。
彼女は政治の天才なのである。
※ ※ ※ ※
一方その頃。ダイスラー家の屋敷では。
「父上! 父上! いったいどういうことですか!」
長男のクルトが、父親でありダイスラー家当主のアルバンに詰め寄っていた。
理由はもちろん、フローラがキルシュライト家へと帰っていったことである。
「そう騒ぐな、息子よ」
「ですが……!」
「バカ者。この私が、何の考えもなしにキルシュライト家からの人質を手放したと思うか?」
「と、言いますと?」
眉間に深いしわが刻まれた間もなく五十歳を迎える男、アルバン・ダイスラー。
彼は腕組みをしながら、険しい表情で静かに言う。
「キルシュライト家を継いだのはアルガ。まだ十二歳のクソガキだ。おまけに、父親譲りの怠惰な男と聞いている。到底、“五星”の座は務まらん」
「キルシュライト家の没落……」
「そうだ。奴らが勝手に自滅していくのを、今は黙ってみていればいい。そして頃合いを見て、上手いこと介入する。その際には、もちろんあのフローラとかいう娘も取り戻そう」
「しばしの辛抱というわけですか……」
「その通りだ。少し待てば手に入るものに、わざわざ金を払い続ける意味もないだろう。お前は黙っていろ」
「わ、分かりました」
クルトは複雑な表情で引き下がった。
どこかモヤモヤして納得いかない部分はあるものの、父親の言っていることは筋が通っている。
それに「黙っていろ」と言われて、なお食い下がることはできなかった。
それはクルトが小心者だということもあるが、何よりもアルバンの威圧感が凄まじいからだ。
兄弟間の権力争いを制して“五星”の座に就き、その地位を守り続けてきた男の覇気はただものじゃない。
――くそ。ストレス発散に奴隷でも買うか。
クルトは苛立ちながら、自分の部屋へと戻ったのだった。
※ ※ ※ ※
バルテイ王国の王都フェルンハイム。
都市の中心部に立つ荘厳な宮廷の一室で、二人の少女が楽し気に会話をしていた。
一人は第一王女のエミーリア・エーベルハルト、十四歳。
美しい金色の長髪に透き通るような白い肌、淡い翠色の瞳を持つ美しい女性だ。
そしてもう一人が、第三王女のローザ・エーベルハルト、十二歳。
姉のエミーリアと瓜二つの美貌を誇るが、唯一異なるのは、彼女の髪が緩くウェーブのかかった赤髪だということ。
現国王には四人の娘がおり、姉妹間の関係も良好である。
なかでも、エミーリアとローザは特に仲が良く、こうしてエミーリアの部屋に二人でこもっては、他愛もない話を繰り広げ楽しんでいるのだった。
「そういえばお姉様、私この間、とても興味深い情報を仕入れたのよ」
「あら、ローザったらまた何か盗み聞きしてきたの?」
「大臣たちが話していたんだけど、少し前王宮に《運命》からの手紙が届いたんだって」
「え!? 《運命》から!?」
「しーっ! お姉様、声が大きいよ」
「ご、ごめんなさい」
慌てて自分の口元を抑えるエミーリア。
彼女たちの言う《運命》とは、とある魔術師に付けられた異名だ。
《運命》には未来を視る力があり、数十年先に起きる出来事すら的中させると言われている。
「《運命》からの手紙には何が書いてあったの?」
「それがね、短く二文だけ。『星が墜ちる。注意されよ。』とだけ書いてあったんだって」
「星が……墜ちる……。まさか星って“五星”のこと? だとしたら墜ちる星って……」
「うん。大臣たちも、キルシュライト家のことを指しているって思ってるみたい」
キルシュライト家の現況は、王女たちの耳にも入っている。
だから彼女たちが、《運命》からの手紙を自分たちなりに解釈することは、そう難しくはなかった。
しかし、ふとした疑問を浮かべエミーリアは首を傾げる。
「正直な話をすると、キルシュライト家がここから苦しくなっていくのは、私たちでも予想がつくことよね? どうして《運命》は、わざわざそんなことを手紙にしたのかしら?」
「確かにお姉様の言う通りね。どうして……?」
真剣な表情で、少しの間考え込む二人の王女。
しかし、答えは出ない。
全てを知っているのは、運命だけ――。