2. 女神との邂逅
気づいたら、俺は落ちていた。
井戸のような穴を真っ逆さまに、ふわふわと。
ゆっくりと落ちているので、下が良く見える。
見えるが、底は、見えそうに無い。
真っ暗だ。
俺はまだまだ落ちて行く。
何処まで落ちるんだろう。
廻りは石組み。井戸の中なのだろうか。直径で、3メートルくらいはだろうか。井戸にしては、大きいような気がする。
それに、井戸なら、流石に、もう底に着いても良いと思う。せめて、水くらい湧いてても良くないですか?枯れてしまった古井戸だろうか。
周囲には乾いた石しか見えない。
とは言え、落ちるスピードは、相変わらずゆっくりだ。重力を全く無視しているように、ゆっくりと落ちていく。
下に落ちているせいだろうか、下から物が上がって来る?
最初に見つけたのは鞄。腰に付けるタイプのバックを見つけた。
色んな物が下から落ちて来る?
まずは、靴。そう言えば、俺は裸足だった。軽い安全靴と言えば、分かり易いだろうか。靴下が中に詰まっていた。
ズボン。Gパンかな。材質が少し違うような、さらりとしている。ベルト付。
ああ、パンツは履いていた。
シャツに、上着。上着は、何処かの宇宙警備隊みたいなやつ。うーん、一貫性が無い。
次に、刀?とりあえず、腰のベルトに差した。
マント。ケープ付きのマント?それともポンチョだろうか。一応被ってみる。うん、ぴったりサイズ。
そして、傘。黒い蝙蝠傘。何でこんなものが。
今度は石が落ちて来た。
触れると弾けてしまう。風船のように石が、ポンっと弾けるんだ。弾けると、消えた。ゲームでもしているようだった。どうせ暇だったから、いいんだけれど。
それは、幾度となく繰り返した。赤い石や青い石、翠の石もあったかな。出現するたびに、触れては弾けてを繰り返す。
暇つぶしには、ちょうどいいのだけど、何なんだ、これ。
自分が落ちていることさえ忘れていた。
暫くストーンタッチで遊んでいた。
でもね、飽きたわ。
ずっとこればっかりだもの、絶対飽きるよね。
そう思っていると、石が全く出なくなった。
そのタイミングで、周りの景色も変わっていく。
茶色から緑色へ。
石から土へ。
石組みに、苔が生えていったかと思うと、周囲が緑に染まっていく。まるで、アニメの世界だ。
井戸ではなくて、洞窟だったのかな。
しかし、景色が一変すると、急に加速をし始めた。
いや、重力が正常に戻っただけかもしれない。
一気にスピードが増す。
どうすればいいのかと、考える間もなく、俺は緑の洞窟を抜けた。
あっという間に、空間を抜けた。
けれど、落ちて来たであろう空間はもうなかった。空が広がっているだけだ。
バシャーン。
いきなり、水面に落ちた。
それは、本当に突然だった。
思ったほどの痛みは感じない。かなりの速度で落ちたはずなんだが。
深さはあるみたいだけど、深く沈むわけでもなく、気づけば水面に浮いていた。
何なんだ、これは。
何で、浮いてるの?
海ではないよね。塩味はしない。
湖よりは小さいか。まあ、池だよね。
周囲を見回すと、やはり池だ。直径10メートルくらいしかない丸い池。深さは、結構ありそうだ。脚は全然届かない。
池の脇には、ログハウスのようなものが見える。小さな家だ。煙突から、煙が上がっている。
何だか、いい匂いがする。
ここは、いったい。
岸まで泳いで、池から上がる。
すると、一匹のウサギが何処からか現れて、俺をログハウスへと誘う。
ウサギの誘導と、匂いに連れられるように、脚が勝手に、ログハウスの方に向かった。
扉に付けられた小さな扉。そこからウサギは入って行った。その扉では、俺は入れそうに無い。
仕方なく、大きい方の扉を叩く。
トントン。
反応が無いので、もう一度扉を叩く。
トントン。
「はーい、どちら様ですか?」
扉が開くと、中から、女性が現れた。
白くてふわふわなドレスに、頭には花のティアラが載っている。
何処かで見たことのあるような美人だ。美人は、大好きだ。他人とは思えない、くらい。俺は変態だったようだ。
「あらあら、もう着いたの。思ったより、早かったわね」
「俺のこと、ご存知なんですか?」
「ええ、知っていますよ。・・・だもの」
「すみません、後の方がよく聞こえなかったのですが」
「気にしない、気にしない。気にしたら、負けよ。とりあえず、入ったら、いかがですか?積もるお話もありますし」
「その前に」
その女性は、息を吹きかけて来た。たったそれだけで、濡れていた服が乾いたようだ。魔法か何かだろうか。
「その椅子にでも座って。お茶でも出すから」
外から見た時とは、全く違う大きさの部屋だ。こんなに広い家だとは思わなかったのだけど。
二十畳くらいのリビングにキッチンらしきものが付いている。奥には、大きなベッドも見えた。
「どうぞ」
テーブルの上に、湯気の出ているカップが置かれた。いい香りのお茶だ。
どうしたものか、悩んでしまう。
「毒なんか、入ってないわよ。安心して」
そんな甘い言葉を信じる奴なんか、そう居ないだろうが、何だか悪意は感じない。どちらかと言うと、何だか懐かしいような気がする。
手に取って、お茶を一口飲む。
「美味い」
今まで、飲んだこともないような味だ。
ん?何処で飲んだのか。上手く思い出せない。
っていうより、俺は誰だ?
思い出せない。
「今は、無理よ」
その人は言った。まるで、俺の頭の中が見えるかのように。
「あなたは、一度死んだのよ」
「どういうことですか?」
人は、何度も死ねるものではないはずだ。
「だからね、一度お亡くなりになったの。その辺のこと、覚えてるでしょう」
「いえ、記憶が全く無くて。死んだことはもちろん、自分が誰なのかもわからなくて。もちろん、あなたのことも、わかりません」
「噓でしょう」
その女性の大きな声を出して、顔を近づけて来る。僕は驚いて、カップを手から手を放してしまった。
「あっ、落ちる」
落ちていくカップに手を伸ばす。ん?カップはそこにあった。落ちていない。その空間で停止している。
「気を付けなきゃ、危ないわよ」
指先を小さく回すと、カップはひとりでに、テーブルに戻っていった。
いったい、どうなってる?
「これは、魔法の一種よ。あなたがこれから行く世界では、当たり前のことなの」
「すみません、理解が追い付かないので、一から話してもらえると助かります」
「そうよね、いきなり過ぎたわね」
空いたカップを見つめていると、その人は話始めた。
「私は、この世界の女神です。この先、耳にすると思うけど、女神アイリスとは、私のことです。そして、貴方は、レイ。元の世界での名前です。そして、この世界での名前でもあります。年齢は、25歳」
長い髪を指でクルクル回す。女神様の癖だろうか。
「死んだ原因は、私にも多少あるから、こっちの世界に呼んだの」
「魔界転生?」
「貴方、わざと言ってる?」
「すみません、冗談です」
頭を下げておく。でも、理解が追い付かない。
「異世界転生って言う、あれね。あっちでは、流行ってるのでしょう」
異世界ノベルとかの、あれかな。
「俺が死んだ理由って、何だったのですか?」
「ごめんね、それは企業秘密ね。原因がわかると、貴方、誰かを恨むかもしれないでしょ。だから、秘密。そのうちに思い出すと思うわ。無理やり思い出そうとすると、頭痛がするはずだからやめといた方がいいわよ」
「はあ。死んだことは、間違いないんですね?」
「そこは、間違いないわ」
頷く女神。
「少しこっちの世界のことを説明しようかしら。元々、この世界はひとつの大陸だったの。国同士が仲が悪くて、戦争ばっかりしてるから、頭にきて、大陸を分裂させちゃったの、女神である私がね。おかげで、戦争も無くなって、住みよくなったはずなんだけど」
「大陸を分裂させた反動で、大地のエネルギーが澱んじゃって、土地が穢れてしまったの。このままだとまずいから、色々と大地を修復している所なの」
それって、女神様のせいなんじゃあ。
あと何年くらいで、修復できるのかな。聞いても良いのでしょうか。
「貴方には、それを手伝って欲しいかな。そのために、このまま、こっちの世界に来て欲しいのだけど、それだと迷惑掛け過ぎになるから、私の加護と、女神の神器をあげようと思うの」
女神の神器というくらいだから、とんでもなくチートなのだろうか。ただ、一度死んだことの方が問題だと思うのだが。
「ひとつめは、【女神のカード】と言って、ブランクカードに何でもかんでも収納することが出来る能力よ。生きているものも大丈夫。命が危ないものなら完治させることも出来るわ。ただし、カード一枚にひとつしか収納出来ないわ。ベルトのバックルに収納出来るようにしとくわね。カードは無限に出るし、収納も底無しよ。だから、特に問題ないはず。大事にしてね」
「それって、存在自体がヤバくないですか?チート過ぎない?」
「そうでもしないと、これから先、大変なことになるもの。2度死ぬのは、嫌でしょう。私の世界はね、弱い者もいれば強い者もいるの。レベルが存在するのよ。レベルを上げると、強くなるわ。チートを使って、魔物や魔獣達を倒して、レベルを上げて頂戴。それで、強くなって欲しいの。腰の鞄に色々とこれから先、役に立つ物を入れておくから、後でその鞄の中身を確認してね」
「この鞄ですか?途中で拾ったものですけど」
「それ、【女神の鞄】と呼ばれてる物よ。どんな物でも、いくらでも収納する事が可能よ。貴方にあげるためのものだし、問題ないわ。ただし、生きてる物は入れれないわよ。【女神のカード】と上手く使い分ければ、凄いことになるはずよ。盗まれても、5メートルくらい離れたら、勝手に戻って来るから、安心していいわよ」
「はあ」
何が何だかよく理解できないまま、話が進む。
「はあ、そうですか。俺、あっちの世界で死んでしまったのですか。それでは、仕方ないですね。俺が死んだことで、困っている人がいなければ良いのですが」
「あーあ、良かった。ダメって言われたら、どうしようかと、思っていたわ。これで、ひと安心ね。少しくらいは困ってる人がいるかもしれないけど、そこは諦めて頂戴。それと、魔物はいくら倒しても大丈夫よ。って言うか、増えすぎて困っているの。まだ大地が浄化されてないから、増えすぎると困るのよね。ただし、良い魔物もいるから注意してね」
ダメと言っても、もう死んでるんだよね。どうにもならないよ。
「ふたつめのチートは、って、忘れないうちに、先にこれを渡しとくね。有効に使ってね」
「これは?」
「見たままのスマートフォン。名付けて、【メガミフィン】。とても役立つアプリをいっぱい入れてるから、絶対に役に立つわよ。アプリは、ポイントが無いと使えないから気をつけてね。初めは、オマケで一万ポイントを付けとくわ。それだけあれば、とりあえず、色んなことが出来ると思うわ。魔物や魔獣を倒すとポイントが貯まるから、頑張って倒しちゃってね」
そう言う女神から、メガミフォンを受け取る。
「普段は、左腕に当てると、体内に仕舞うことが出来るのよ。出す時は、メガミフォンと呼ぶか。考えるだけでも出て来るわ。大切に使ってね。どんなことをしても壊れないから、安心してね。女神仕様だから」
メガミフォンを左腕に当てると、本当に消えた。体内に入ったようだ。
その時、足元が揺れた。
「こっちにも、地震があるのですか?」
女神様は、ガンと立ち上がった。
「あいつら、また暴れてるわね。何よいったい、何で大人しく出来ないかなー。まだ話が残ってるんだからね」
揺れが強くなる。テーブルに掴まっておかないと、倒れそうになる。
揺れが、どんどんひどくなる。
「この揺れ、いつ納まるんですか?」
その言葉を言うより早く。
僕の足元が消えた。摑まっている机と椅子ごと、落ちていく。
泥沼に嵌るように落ちていく。
もちろん、どうすることも出来ず、僕は机に摑まっておくだけだった。
女神様が手を伸ばしてくれたけれど、間に合わない。
「待ってよ、まだ話が終わってないのにー」
「とりあえず、ありがとうございました。また、いつか、会えますか?」
足元から、身体が少しずつ消えていく。
「もっと、もっと話がしたかったのにー」
女神様が、何か叫んでいるようだ。
落ちるように消えると、同時に、天井が、元の床が現れた。覗き込んでいた女神様も見えなくなってしまった。声も聞こえなくなった。
闇の中だ。
これって、またまたピンチだ。
まだ何ひとつ理解してないうちに、理解できないピンチなんて、どうしたものだろう。
ああ、身体が加速する。
こんな時に重力通りに落ちるなんて、ついてないな。
落ちて行く先に、光が溢れ出した。
ああ、俺の身体が光に包まれていく。
暖かい光だ。
そして、闇を抜けた。