8.ルシャータの修理
フィルローゼと湖へ行ってから、彼女はほぼ毎日夜になると俺の部屋へ来るようになった。
夜は暗くて静かだから、ひとりぼっちが寂しいと言って。
その気持ちは分かるし、星空は亡くなった人の象徴だから、お星さまを見ると母を思い出すということも分かる。
だから、俺に出来るのは彼女の話を聞くことくらい。
俺の仕事上、夜勤の日は一緒に居てあげられないのが残念だけれど、出来ることはなるべくしてあげたいと思っている。
話を聞いてもいい返事を出来るわけでもなく、ただ相槌を打つだけだけれど、それが彼女にとって少しでも支えになれたらいいな、なんて思っている。
「フィルローゼ、明後日は暇?」
「うん。何かあるの?」
今日もまた夜になると彼女が部屋へ来たからゆっくりと話を聞いた。
いつもならそれで彼女を自室へ帰すんだけれど、今日は俺の方からも話があるんだ。
「ルシャータを修理できそうな職人が見つかったんだ。あまりこの国では見ない楽器だから、正しく修理出来るかどうかは分からないけれど一度見てみたい、と言われて。
俺が持って行こうかと思ったんだけど、せっかくだったら一緒に行かないかな、と思って」
「職人さんを見つけてくれたのね! ありがとう!
わたしも、一緒に行きたい!」
薄金色の髪を揺らしてキャッキャと喜ぶ彼女を見ていると、それだけで俺も元気になれる。
ひと月ほども待たせてしまったことを申し訳ないと思っていたけれど、これだけ明るく言ってくれたら俺もほっとした。
「明後日は休みだから、一緒に行こう。
もし他に行きたい所があれば行けるから、また考えておいてね」
「うん、分かった。お出かけとっても楽しみ〜!」
歌うように話すフィルローゼはとても嬉しそうで、これだけ喜んでくれるなら俺としてもとてもやりがいがあると思えた。
☆。.:*・゜
我が家は貴族といっても下級だから、上級貴族とは違って普通に街に出るし買い物にも行く。
そういう下級貴族向けの商店街があって、目当ての楽器店もその一角にある。
屋敷からも近いので歩いて行くつもりだが、フィルローゼは準備に時間がかかっているようだから玄関ポーチで少し待つ。
しばらくたってからルシャータを抱えて出てきた彼女はいつもよりももつと可愛らしかった。
薄水色のワンピースはパーティーの時ほど気張っていなくてフィルローゼに似合っている。
「デューアにいさま、どうですか?」
ワンピースがよほど気に入っているようで、わざわざくるりと回って見せてくれる。
「うん、かわいいね。よく似合っているよ。今日の空みたいな色だね」
そう言ってあげると、フィルローゼの頬がぱあっと紅く染まった。
「うふふ。にいさまが良いと言ってくれるだけで、わたしはとっても嬉しいの」
照れたように笑うその仕草さえもかわいいんだよな。
門を出てから、隣をとことこ歩く彼女に何気なく手を差し出した。
やってから子ども扱いだったかと気づいたが、フィルローゼはかなり嬉しそうにその手を取ってくれた。
「ふふ。にいさまが、お母さんみたい」
やっぱり子ども扱いだったか、とは思ったが、無視はしなかったし何より喜んでいるようだから良かったと思おうか。
☆。.:*・゜
カランコロン、と軽やかな音を立てて楽器店のドアを開けると、所狭しと並ぶ楽器の向こう側から、年老いた職人がこちらを振り返った。
手元には沢山の工具や素材が並んでいて、腕のある職人のような感じがする。
「ルシャータの修理を頼みたいと言っていた者ですが」
「ああ、そうでしたな。ようおいで下さった。こちらへどうぞ」
楽器の谷間のようなところにあるソファへ案内されると、フィルローゼはぴったりと俺の真横に座った。
ちょっと近くないか、とは思いつつもそのまま職人と話はじめる。
「こちらが件の楽器で。少し見せて頂いてもよろしいですかな」
職人は挨拶もそこそこに楽器を丹念に観察して音を鳴らし、ビィンと嫌な音を立てたところで顔を顰めた。
「これは少し時間がかかってしまいそうですな。
なに、この表の傷を埋めるだけなら数日でちょちょいと出来る程度なのですがな、この音は傷のせいだけじゃあないでしょう」
「そうなんですか」
フィルローゼが焦ったように前のめりで話を聞く。
「お嬢さんの大切な楽器なのですから、どうやっても修理したいとは思っております。
しかし、わしがルシャータを見たのは初めてですから、どこがどうおかしいのか分からないのです」
「そんな……お母さんにもらった、大事な大事な楽器なんです」
「なるほど。胴に描かれた薔薇は貴方の瞳と同じ色。お母様は貴方を大切に思ってこれを贈ってくれたのでしょう。
それならば、代わりの楽器を買って済ませる訳には行かぬのですな。わしの技術にかけて、必ず治してみせましょう」
「ありがとうございます!」
紅い瞳をキラキラさせるフィルローゼの為に、どうにか上手く修理して、元の澄んだ響きを取り戻して欲しいと思う。
「しかし、長い時間が掛かるのは許して頂けぬじゃろうか。資料を取り寄せて中を開けてみて、材料を揃えるだけでも相当にかかると考えられますから」
「もちろんです。お金も、法外な額でなければ払いますから」
俺も出来ることはお金を出してあげることくらいだろうから、そう言い添えた。
「まあ、時間はかかるがそう高くはならぬと思います。しかし、その間何も弾かないと腕が鈍りましょう。ルシャータの他に何かお持ちですかな?」
老練な職人の瞳が商人のような輝きを見せた。
「いいえ、お母さんからもらったそのルシャータだけです」
「それでは、最近は何も弾いてはいないのですかな?」
「はい」
「それはいけない。音を楽しむのは毎日の積み重ねです。どんな楽器であれ、常に音と触れ合わねば腕が落ちてしまいます。
どうでしょうか、この機会に新しい楽器に挑戦してみる、というのは」
流れるようなセールストークだが、俺もそれには同意する。彼女の繊細な音楽を聞きたいと思っているから。
「フィルローゼ、どんな楽器をしたい、とか思っていることはある?」
「ルシャータ以外の楽器には全く詳しくないので分からないの。にいさまは、どれを弾いて欲しいですか?」
「そうだな、竪琴はどうだろうか」
「よいでしょうな。ひとつ持って来ましょう」
俺が提案すると、職人はフィルローゼの返事を待つ前に楽器を取りに行ってしまった。
竪琴はこの国の女性の手習いとして非常に一般的だし、貴族女性では弾いたことのない人を探す方が難しいくらいだろう。
母上も弾けるし、教える先生を探すのも一緒に楽しむ同年代の集まりを見つけるのも難しくない。
ルシャータと同じ弦楽器だし、フィルローゼにとっては良い楽器だと思う。
「こちら、少し弾いてみて貰えますかな」
職人から竪琴を受け取り、しゃらん、と指を滑らせてみる。
「綺麗な音ですね」
ルシャータはとても高い澄んだ音色だけれど、竪琴は声と同じか少し低いくらいの穏やかな音色だ。
しゃらん、しゃらんと指を滑らせた後、フィルローゼは少し首を傾げて俺を見た。
「にいさまは、良いと思う?」
「まあ、いいんじゃないか? フィルローゼは何か不満?」
「うーん、不満というほどではないけれど、よく分からないの。弾いたこともないし、どういう風な使い方をするのか分からない。
こう、しゃらん、ってするだけ?」
「そうですな、知らぬ楽器は気に入りの相手を見つけることも出来ませんからな。
一曲弾いてみてもよろしいですか」
自分の楽器を分からない、と評価されたのに、職人は俄然やる気を出したようで嬉々として自分の楽器を持って来た。
「わしは歌は上手くありませんので、曲だけでご勘弁を。『暁の囀り』です」
物悲しいような夜のメロディで始まり、徐々に夜明けへ向けて明るくなっていくこの曲は、竪琴だけでなく色々な楽器で演奏されるほど有名な曲だ。
特に竪琴の穏やかな音色とよく合っていて、フィルローゼもゆったりと身体を揺らしながら聞き入っている。
小鳥の囀りのような軽やかな響きで曲が終わると、彼女も俺も盛大に拍手をした。
それくらい、綺麗な音楽だった。
「とってもとっても綺麗でしたわ!! わたしも、やってみたいです!」
俺は今の演奏を聞いても凄いなと思うだけだったが、フィルローゼは自分もやってみたいと強く感じたようだ。
「もちろんですぞ! もう一台もってきましょう」
そして、職人の方もキラキラした憧れの視線を向けられてまんざらでもないのだろう、嬉々としてフィルローゼ用の楽器を選びに行った。