4.致命的な間違い
「そこまでにしないか」
甲高いだけのフランチェスカの声とは違う、威圧する事になれたよく通る声。
「……っ! ディペラント公爵様……。居らしていたのですね……」
今回の夜会の主催はシェーンベルク伯爵夫人であるフランチェスカの友人だから、彼女も大きな顔をして話していた。
だけど、それよりも上の公爵が来ていたことに焦っているようだ。
「ああ、私のところにまで噂が流れて来るほどだからね。どれほど素敵な歌なのかと思って聞きに来たんだ」
この公爵様は金髪碧眼でめちゃくちゃイケメンだと社交界でも話題の人で、物腰も柔らかく身分も高く、その上頭も良いという、なんというか完璧超人みたいな人だ。
その上まだ25歳と若く、独身婚約者なし。
そんな若い娘たち憧れの人物に、正面から糾弾されてフランチェスカは狼狽えている。
「いえ、ディスペラント公爵。わたくしは、あくまでも事実を述べたまでですわ。
その不気味な紅い目が見えないわけがないでしょう?」
「そうかな。私は、そんな神秘的なところも彼女の魅力だと思うけれど」
……なんかコイツ、いけ好かないな。
フランチェスカを攻めてくれているのだから味方なんだとは思うが、本能が拒絶する。
「殴られた君、怪我は?」
「いえ、特には」
「そう。歌姫は、どうかな。歌えそう?
今日はもう無理だというのなら、このまま帰らせてあげられるけれど」
公爵がフィルローゼに話を振って、そこでようやく俺は彼女の方へ振り返ることが出来た。
守らなければ、とそればかりに必死で、彼女のことを全く見ていなかったことにようやく気づく。
フィルローゼの顔色は青ざめてはいたけれど、恐怖で今にも倒れそうというほどではなかった。
「……あの、はい、うたえます」
相手の身分がうんと上なのは彼女も分かっているんだろう。
ルシャータを握る指先にぎゅっと力をこめながら、それでも歌えると答えた。
「そうかい。じゃあ、一度休んでおいで。それまで私はゆっくり待っているから」
すい、と指先と視線を動かし、慣れた様子で後ろについていた歳若い侍従に指示を出す。
「失礼ですが、こちらへおいで願えますか」
その従僕に促されるままについて行き、休憩用の個室に案内される。
そう広くはない部屋のソファに座ってようやく、フィルローゼの身体が震えていることに気がついた。
「フィルローゼ、怖い思いをさせてごめんな」
守りたいと思いながらも彼女のことを全く見れていない自分が嫌になる。
「ううん、違うの。ちがう。にいさま、わたしの方こそごめんなさい。
わたしのせいで、叩かれちゃった。痛かったよね」
そう言いながら、小さな手のひらが俺の頬を撫でてくれる。
その柔らかさは今まで感じたなによりも心地よくて、元々ほとんど感じていなかった痛みは完全に上書きされた。
「フィルローゼが撫でてくれたから治ったな!」
「ほんとに? じゃあもっといっぱいなでなでしちゃう!」
うふふ、と笑みを零すフィルローゼは本当に可愛すぎて、俺はもう有頂天だ。
しばらくその手の温かさと柔らかさを堪能していたら、もう彼女はいつもと同じように笑えるようになっていた。
「フィルローゼ、調子はどう? もう歌えそう?」
「……うん。にいさまは、聞いてくれるよね?」
「もちろん。フィルローゼの歌を楽しみにしてきたんだから」
「じゃあ、歌える。歌いたいの」
「それなら行こうか」
彼女が立ち上がるときに手を貸してあげると、嬉しそうにその手に縋る。
ぎゅ、と握ってくれるのが心の底から嬉しかった。
会場へ戻ると、待ちわびた観衆に迎えられた。
そしてその人々のなかに、フランチェスカとその息子は居なかった。
「待っていたよ。調子は戻った?」
「はい」
イケメンなディスペラント公爵の爽やかすぎる笑みに魅了されるかと思いきや、至って普通に返事をするフィルローゼ。
公爵に一礼してフィルローゼを舞台へ連れて行き、さっきまでのものよりも高価そうでクッションの効いた椅子に座らせる。
「申し訳ございませんが、少々お話をさせていただいてもよろしいでしょうか」
舞台袖へと戻った俺に、先程案内してくれた侍従から声を掛けられた。
フィルローゼが心配なものの、圧倒的に身分が上の相手からの呼び出しを断る程の勇気は無い俺は、言われるがままについて行った。
それが、致命的な間違いだと気づかないまま。
✩.*˚
side:フィルローゼ
わたしのいいところは、歌が上手なところ。
お母さんもいつも褒めてくれていたし、今の新しいお父様とお母様もお兄様たちも、わたしの歌が好きだって言ってくれる。
デューアにいさまも、わたしの歌が大好きだって言ってくれたし、いつも楽しそうに体を揺らしながら聞いてくれる。
それに、歌を聞いてるときのデューアにいさまはわたしのことをじぃっと見つめてくれるから、なんだかとっても嬉しくなるの。
今日のパーティーはフランチェスカさまと息子のアルトンさまが来ていて、皆の前で殴られそうになった時は本当に怖かったけど、デューアにいさまが守ってくれた。
殴られるのは、お母さんが倒れてからたまにあったけど、とても痛かったし、お母さんの前で「なんにもないよ」って言うのも辛かった。
お母さんが居なくなってすぐ、ルシャータを壊されそうになった時は、身体を丸めて守った。
けれど、ルシャータを守れた代わりに背中を蹴られてとってもとっても痛くて、その後何日もずっと痛かった。
それを思い出しただけでもすっごく怖くて。
けど、デューアにいさまが守ってくれた。
デューアにいさまが騎士でとっても強いのは知っていたけど、ほんとにほんとに凄かった。
にいさまが居たら、全然怖くないんだ、って思えた。
なのに、なのに。
にいさまがどこかへ行っちゃう。
居なくなっちゃう。
わたしはもう舞台の上の椅子に座ってるのに、デューアにいさまは背を向けてどこかへ行っちゃう。
その時、気づいた。
皆がわたしを見ていることに。
……歌わなきゃ。
「歌います。《あなたへ》です」
何とか題名は絞り出した。
でも、頭の中は「またアルトンさまが来たらどうしよう」「殴られたらどうしよう」とそればかり。
でも、
うたわなきゃ。
「は、はっ……ぁぁ……っ」
歌わなきゃ、って思うのに、声が出ない。
「……ぁはっ、はっ、はっ……」
歌わなきゃ、歌わなきゃ。
デューアにいさまが居ない。
歌わなきゃ、歌わなきゃ。
うたを、
「……はっ……ぁ……はっ」
息が、くるしい。
声がでない。
「はっ、はっ、はっ……ぁっ……」
目の前が、真っ暗になった。
デューア、にいさま……。