20.戦い
ずっと前、フィルローゼは俺のことを『愛しています』とそう言ってくれた。
彼女が一番大切にしている『歌』で、しかも初めて彼女が作ったもので。
それは本当に嬉しかったけれど、嬉しかったからこそその想いに俺が応えてはいけないと思っていた。
彼女の幸せを一番に考えるのなら、彼女を一番大切にしてくれる人を探してあげるのが『兄』としての役割だから。
でも、もしかしたら、もっと違う未来があるんじゃないか。ずっとずっと、一緒に居られる未来が。
そう願いはするけれど、今の緩やかな彼女との関係が居心地いいのも事実。
下手に波風立てて、もし彼女に嫌われでもしたら?
俺は一生立ち直れなくなってしまうだろう。
だから、今日も俺は何も言えないまま彼女と一緒にパーティーへ行く。
きゅっ、と強く俺の腕を掴んでくれる小さな手のひらを感じて、とてもとても幸せな気持ちになった。
「今日のパーティーは大きいですねぇ」
華やかな場にも慣れてきたフィルローゼが、ゆっくりと周りを見回しながらそう言う。
「第3王子様のお誕生日パーティーだから、本当に盛大だな。主な貴族はほとんど来ているんじゃないか」
「こんなに沢山の人の前で歌うなんて、兄様のところに来る前は考えたことも無かったですよ」
「そうだな。俺もほとんど社交に出ることはなかったよ。でも、前よりも今の方が俺は楽しいな」
緊張からの不安に揺れていた紅い瞳が、きらきらと輝き始めた。
「私も同じです! もちろん、お母さんと一緒の頃も楽しかったし、お母さんに会いたいけど、楽しいことは今の方がたくさんあるの!」
「それは良かった。今日も楽しいことをしような。
向こうにプチケーキが出ているみたいだから、見に行こうか」
「ええ!」
次々と話しかけてくれる人々に挨拶を返して世間話を広げつつ、フィルローゼにリラックスしてもらうために甘いものを食べさせる。
最初は社交なんてどうすればいいのか全く分からなかったし、今でもあまり得意ではない。
けれど、フィルローゼがせっかく繋いでくれたご縁を大切に出来るようになりたくて、父上と兄上に任せてばかりじゃなく、自分で社交が出来るように頑張ってるんだ。
でも、社交ばかりでフィルローゼと話せないのも寂しいから、子爵夫人がにこやかな笑顔で去っていった隙を見計らってプチシューを手に取る。
「フィルローゼ、これは食べた?」
「ううん」
「じゃあ、あげる」
雛鳥のように俺に向かって口を開き、ぱくりと食べる。
「ん、おいひい!」
もうそろそろ準備を始めないといけない時間だけれど、美味しいお菓子を頬張るフィルローゼを、もう少しだけ見ていたいんだ。
大きなパーティーの広い会場に相応しい大きめの舞台の上で、準備されていた結構豪華な椅子にちょこんと座るフィルローゼ。
もちろん俺のポジションは彼女の斜め後ろで固定だ。
かなり大きな会場だから、歌を聞いていない人ももちろん沢山いる。
その一方で、ディペラント公爵のように最前列にしっかりと陣取って聞いている人も。
彼の目的は愛する従者君に特等席で聞かせてあげることだと分かってはいても、フィルローゼを狙っているという噂が一人歩きするので出来れば止めて欲しいんだが……。
「歌います。『うたかた花火』」
広い会場に大勢の人でも、フィルローゼは特別緊張することもなくいつも通りだ。
しかも、歌うほどにこちらを見る人が増えて行くのが、舞台の上からだとはっきりと見えて、嬉しくなった。
話をしている人もいるから後ろの方では聞こえづらいだろうけれど、フィルローゼの澄み切った歌声が届いたのか、前の方へ寄ってくる人も居る。
歌い終わってルシャータの余韻が消えるまえに、大きな拍手が巻き起こった。
それだけ多くの人の心に届くフィルローゼの歌声に感動する間もなく、鋭い声が響き渡った。
「それは呪いの子ですわよ! そんなのの歌を聴いたら、わたくし達まで呪われてしまいますわ!!」
金切り声をあげて、花道の横の小さな階段を駆け上がってきたのはシェーンベルク伯爵夫人。
フィルローゼの継母だ。
前とは違って息子は連れていないようだけれど、とっさにフィルローゼを庇うように前に立つ。
「その赤い目を見てごらんなさい! 呪いの証よ! しかもその肌は白すぎるでしょう!?
伯爵家の妾の分際で、外で作ってきた子どもなんじゃないの!?」
カンカンとピンヒールの鋭い音を響かせて、淑女とは思えないほど荒々しく歩いてくる。
「こんな子どもが居ること自体が不気味で気持ち悪いのよ!
外へ出したことが間違いだったわ! 私が連れて帰ります!」
フィルローゼが後ろに居て、俺が前に立ち塞がったとしても声は届いてしまう。
こんな自分勝手で意味の分からない言葉に、彼女を傷つけられたくないのに。
一歩前へ出て、怒鳴り返して追い出そうとした時。
「シェーンベルク伯爵夫人! 私の呼んだ歌姫に文句があるのか!」
広間から、ディペラント公爵の鋭い声が響いた。
「まあ! ディペラント公爵、それは正気ですか!? こんな小娘をわざわざ呼ぶなどと!」
「小娘? 自分の寄子の家の娘に、そのような言い方をするとは、シェーンベルク家ももう終わりが近いのですかな?」
最近、シェーンベルク家は落ち目だ。
この夫人の度が過ぎた贅沢が家計を圧迫しているのだという。
それもそうだろうな、というほどギラギラとたくさんの宝石を纏っているから、納得できる噂だと思う。
「ディペラント公爵、いくら何でもそのような言い方はありませんでしょう!」
「いや、私はそちらが大声で言ってきたから言い返したまででね。
そもそも、私が大層楽しみにしていた歌姫の舞台を台無しにされて、怒っていないとでもお思いか?」
「そっ……そんな! この呪われた小娘のどこがいいのよ!」
自分勝手な「呪いの子」という言葉を皆が信じてくれると本気で思っていたのならかなりヤバい頭だな、とか気楽に考えていたら。
ディペラント公爵には勝てないと思った夫人がこちらをキッと睨みつけて来た。
「あなたも目障りなのよ!!!」
全くの八つ当たりな台詞と共に、平手打ちが飛んできた。
もちろん手を上げるところから軌道まで完璧に見えていたし、避けることもその手を掴むことも容易い。
それでも、これだけの公衆の面前で大きな平手打ちをするという、貴族としてあるまじきことをして欲しかったからわざと受けた。
もちろん衝撃はある程度受け流すけれども音は大きくなるように顔の向きまで考えたから、大して痛くはない。
それどころか、予想よりも大きな音が鳴ったのに全く効いていない俺に、夫人の方が驚いているようだ。
トドメとばかり、にこやかに笑って一歩前へ踏み出しただけで、怯えて後ずさりはじめた。
フィルローゼは夫人の平手打ちで言うことを聞いたかもしれんが、俺はさすがにそこまで弱くはない。
彼女を守る為にも、やらなきゃいけない時もある。
お返しとばかりに右手を振り上げようとしたその時。
思いもしない所から大きな声が聞こえた。




