2.新しい家族
「俺の家に帰ってくるなら、ここにはもう戻れないかもしれないけど、大丈夫かな」
「……うん」
ほんの少し周りを見渡し、すぐに頷く。
「ずっとここに住んでいたのか?」
「ううん。お母さんと住んでたのは、違う家。だからここには、居たくないの」
このあまりに殺風景な部屋は、フィルローゼの母が亡くなってから住んでいるのか。
ということは、恐らく正妻がここへ追いやったんだろうから、いい思い出もないわけだ。
「持って行きたいものは?」
「……これ」
さっきからずっと抱きしめている楽器を強く握る。
この国で言えばギターが近いが、それよりももっと丸みを帯びているものだ。
「それはお母さんの?」
「うん。お母さんの故郷の楽器で、ルシャータっていうの。わたしの名前にあるのと同じ花が描いてあるのよ」
自慢げに見せてくれたボディには、彼女の瞳と同じ紅色の、大きな薔薇の花が描かれている。
「お母さんの国で一番人気のある花なんだって。わたしの歌も、一番人気になるといいね、って」
母の思い出を話す彼女はとてもとても寂しそうで、今すぐにでも泣き出してしまいそうな空気を持っていた。
「じゃあ、いっぱい練習しないとな! 帰るか!」
その空気を吹き飛ばすよう、精一杯明るい声を掛けたら、フィルローゼはようやく上を向いてくれた。
そのあと、帰りの馬車の中で。
「あの……名前を、聞いてもいいですか?」
おっかなびっくりそう言われた。
名乗った時には彼女は大泣きしていたから、覚えられなかったんだろう。
「俺はデューア・ホーフツェル。改めて、よろしく」
「わたしは、フィルローゼです。よろしくお願いします」
ぺこりとお辞儀をするのはなんだかとってもかわいいし、ウェーブのかかった薄金色の髪が窓から入る光に照らされてびっくりするほど綺麗だと思った。
「うん、こちらこそよろしく、フィルローゼ」
「はい……あの、何て呼べばいいですか……?」
「そうだな、兄になるんだから、にいさまとかどうだろう。いや、兄は3人になるからややこしいか?」
「にいさま」という呼び方は、俺の趣味が全く入っていないわけではないけれど、女の子が言う呼び方としては普通だと思う。
「じゃあ、デューアにいさま?」
小首を傾げてそう言う姿は控えめに言っても天使か妖精のようで、本当に本当にかわいいし。
特に、ルビーのように真っ赤な瞳が、まっすぐに俺を見つめてくれていることが何より嬉しい。
「ああ、よろしくな!!」
このあまりにもかわいい妹を守るためなら何だって出来ると、そう思えた。
☆。.:*・゜
フィルローゼの家でゴタゴタしていた分、結局は父上よりもこちらの方が遅くなったらしい。
帰宅するとすぐに、俺だけが応接室に来るようにと言われた。
「それで、彼女はどんな子だった?」
貴族らしくない我が家では、堅苦しい挨拶抜きに話が始まるし、父上の話し方も至って気楽だ。
母を亡くし、寄る辺なく過ごしてきたフィルローゼの現状をありのままに伝えると、父上は深く考え込んだ。
「……可哀想だとは思うが、養子の立場を与えてやる訳にはいかん」
父上にしては珍しく、厳しい言い方をした。
「どうしてもですか? フィルローゼに、今妾になれなんてそんな酷いことは言えません。
あんなに泣いて、本当に辛そうなのに!」
俺が強く言い返すと、厳しい雰囲気がふっと緩んだ。
「公の立場上は、居候ということにしておこうか。いつか、彼女が結婚したいと言えば叶えられるように」
「……はい」
俺の望んだ返答のはずなのに、なんだか納得がいかないのは何故だろう。
兄になって浮かれていたけれど、いつかは妹の結婚を見送るのだと分かったせい……かな?
「まあ今のところはそれでいいだろう。会ってみないことには始まらないしな」
少し笑いながら、俺の悩みなど知る由もないといった風な父上は、応接室でフィルローゼと家族を引き合せることにしたみたいだ。
「……は、はじめまして!! フィルローゼです! よろしくお願いします!!」
フィルローゼには馬車の中で詳しく説明しなかった上にしばらくひとりぼっちにさせてしまった。
その間に彼女は可哀想なくらいに緊張してしまっていて、部屋に入って皆の顔を見た瞬間に大声で挨拶をした。
「あらあら、元気なお嬢さんね。よろしく」
おおらかな母上がからからと笑い、部屋の空気は一気に和んだ。
「そう緊張しなくていい、私達は家族になるんだから」
ゆったりとそう言う父上も穏やかな雰囲気で、フィルローゼは少し安心出来たようだ。よかった。
「私は家長のゲルハルト・ホーフツェルだ。よろしく」
「わたしは妻のアストリア」
「俺はユルゲン」
「俺はシルビオ」
それぞれ、父上、母上、ユルゲン兄上、シルビオ兄上が挨拶をする。
「改めて、わたしはフィルローゼです。よろしくお願いします」
少し無理してにっこり笑う彼女は本当にかわいい。
色合いも相まって妖精のよう。
「すっげーかわいいな!」
シルビオ兄上がそう言うから、俺もこくこく頷いて同意しておいた。
「……ありがとう、ございます?」
どうリアクションしていいか分からないフィルローゼは少し困った様子だけど、それもまた可愛いな、なんて思った。
「ちなみに、フィルローゼはルシャータが弾けると聞いたが」
父上が彼女の横に置いてある楽器を見ながら話題に出すと、フィルローゼは元気よく返事をした。
「はい! ルシャータのこと、知ってるんですか?」
「ああ、昔に領地で流行ったことがあってね。遠い異国から来た旅人が弾いているのを見たことがある。
ただそれもずいぶん前のことだからな。よかったら弾いてみてくれないか」
「もちろんです!」
ぴぃんぴぃん、と高い音を出しながらねじを捻り、音を合わせる。
それだけなのに、その澄んだ響きそのものが綺麗だと思った。
「では、歌います。《薔薇の雫》です」
題名を言い、歌い始める。
普通のことなのに、その瞬間から場の空気は完全に彼女のものになった。
澄み切った歌声と交わるルシャータの音色は、ものすごく良く合っていて、とても上手かった。
「おおー」
一曲歌い終わったからパチパチと拍手をしたけれど、横で聞いている皆のリアクションはそれだけじゃなかった。
「素晴らしい! なんて素晴らしいんだ!」
父上は、何かに熱狂したように立ち上がり感動の声を上げる。
母上の目には、薄く涙が浮かんでいるようだ。
兄たちも俺とはテンションが全く違い、本当に本気で感動しきっている。
「……ありがとうございます」
照れたように頭をかくフィルローゼがかわいいな、なんて思っているのはこの場で俺だけだろう。
そのくらい、皆はとても激しく感動していた。
「こんなに素晴らしい才能を持っていたなんて!! これなら社交界でも立派にやって行けるぞ!!」
「もう一曲、聞かせてくれないか!!」
父上はさっきまで家に入れることを少し渋っていたのに万々歳で喜んでいるし、二人の兄上もものすごく前のめりだ。
特に芸術が好きなユルゲン兄上は熱中してアンコールを要求しているし。
「はい、もちろんです。じゃあ次は……《大空の果てまでも》です」
もちろん彼女の歌は上手かった。今までに俺が聞いたことのある中では(大して聞いたことないけど)抜群に上手いと思う。たぶん。
でも、俺からしたら「そこまで熱狂するほどか?」とも思ってしまった。
……きっと、俺には芸術を感じる能力が無いんだろう。だって、父上も母上も兄上たちも、あんなに喜んで聞き入っているのに、俺は歌う彼女の姿がかわいいな、ってことしか考えてないんだから。