18.人気者
フィルローゼをエスコートして舞台中央の立派な椅子へ座らせ、自分は斜め後ろ辺りにそっと控える。
舞台の上からは、会場の様子がよく見えた。
その中でも目を引くのはやはりディペラント公爵本人だ。
これはコンサートではないから人々は立ってこちらを見ているのに、舞台正面の最前列にわざわざ椅子を準備させ、そこへ座っている。
その周りには派閥の上位貴族がわんさか居るし、公爵本人がここまで熱を入れているとなると興味なさげながらもこちらを見ている人は多い。
前の方の一部の人はフィルローゼの歌を楽しみにしているけれど、大多数はそうでもない。
そんな雰囲気だったのは、彼女が歌い始めるまでの間だけだった。
しゃらん、とルシャータで始めの音を鳴らしただけで空気が変わった。
そして彼女が歌い始めたら、もう会場の全員がくぎ付けだった。
いい歳した海千山千の貴族たちを魅力するほどの圧倒的な歌声は控えめに言って最高で、さすが俺の妹だな!と後ろに立っているだけの俺まで嬉しい気持ちになる。
一曲目の歌が終わり、後奏の余韻が無くなるまでしばらく誰も動かなかった。
「素晴らしい!」
一番始めに拍手を始めたのはディペラント公爵で、感動に我を忘れていた人々も拍手をし始め、すぐに割れるほどの大喝采になった。
しゃらん
しかし、その拍手をぶった切るようにルシャータの音が響き、次の曲を歌い始めたらまた、その場はフィルローゼのもの。
その後は拍手する隙も与えずに6曲を歌い切り、余韻が無くなるかどうかというくらいで立ち上がった。
もちろん割れんばかりの拍手を浴びて、普通ならとても嬉しい時間のはずなのに、フィルローゼはそうでも無い様子。
ある程度時間が経ったらくるりと俺の方を向いた。
「ん。」
かえろ、と言う声が聞こえて来そうな調子で右手を差し出されたので、ちゃんとエスコートになるように俺も腕を出す。
舞台袖に入ってしまってもまだまばらに拍手は続いていたほど、皆フィルローゼの歌に感動してくれたみたいだ。
「ねえ、私、うまく歌えたでしょう?」
舞台袖で少し暗い中でもはっきりと分かるほどの最高のドヤ顔。
いやあ、かわいいなあ!
「本当に凄かったよ! とっても上手だった。
お客さんも皆フィルローゼに夢中だったよ!」
「ええ、そうでしょう! にいさまのお仕事の役に立ちそうですか?」
「気にしてくれていたのか。ありがとう。
ディペラント公爵閣下も相当気に入って下さっていたようだし、役に立つと思うよ」
「それならよかったですわ。じゃあ、帰りましょうか」
「いや、せっかくだし美味しいものでも摘んで帰らないか?
歌って喉も乾いただろう?」
「いいですわね!」
呑気なことを言いつつパーティー会場に戻ると、さっきまでのように右往左往するだけで特に何もしない、という訳にはいかなかった。
「素晴らしい歌声でしたわ!」
「どちらで歌を習われたの?」
「次の予定はお決まりでして? 良ければウチのパーティーに来ないかしら」
「いえいえ、ぜひこちらへ! ゆっくりお話しましょうよ!」
舞台袖の扉から出た瞬間、周り全部から話しかけられてものすごくびっくりした。
誰に何を言われたのかよく分からんが、とにかく何の中身もない文章を交互に言ってその場を切り抜けようとする。
「ええ、またお話聞かせていただければ」
「そうですね、ありがとうございます」
向こうが数で押してくるなら俺も連呼作戦でとにかくこの場を脱出しようと頑張る。
フィルローゼは俺の真後ろ辺りにまで押されてしまってエスコートとは言えないほど。
とはいえ下手に横へ来ると押されるだけなので俺の後ろで大人しくしててもらおう。
「彼女は疲れたようなのでまたの機会にさせていただきたいのです」
そう言いながら何とか会場の扉を出て馬車にたどり着いた。
「フィルローゼ、大丈夫か? えらい目にあったな」
「私は大丈夫ですわよ? にいさまこそ、あんなに沢山の人に言われて大変でしたよね。
私のせいで、ごめんなさい」
少ししょげたように俯く薄金色の髪を優しく撫でる。
「いやいや、フィルローゼは立派に社交をしたんだよ。顔と名前をしっかり売ってくれたからな。
本当なら俺がその後で話をしないといけなかったんだけど、もう帰りたいんだろう?」
「うん。あんなに人が居るところでみんなとお話するのはちょっと困るかも」
「だから、もう帰ろう。あとのことは父上と兄上がどうにかしてくれるさ!」
「お父様とユルゲンにいさま、大丈夫かなあ」
「それも仕事の内だから心配しなくていいよ。それより疲れただろう、家に帰ってゆっくりしような」
「うん!」
ひと仕事終えてスッキリしたのか楽しそうに窓の外を眺めるフィルローゼと違って、俺は少しモヤモヤしていた。
それは、騒然とした中でもはっきりと聞こえてきたある発言。
「ディペラント公爵の奥方になるかもしれんのだから、誼を繋いでおけ」
当人たちは人が多すぎて聞こえないと思っていただろうし、俺も誰が言ったのかまでは分からない。
でも、その言葉は俺の胸に強く突き刺さった。
我が家の中で母上などがもしかしたら……と淡い期待を寄せているのは知っていた。
でもそれは夢物語のようなもので現実的じゃない、と思っていたのだ。
いや、思っていた、というよりは思い込もうと目を逸らしていただけなのかもしれない。
わざわざ招待して真正面に席まで用意させるほどの熱の入れようを見れば、誰だって男女の仲になることを考えるだろう。
身分の問題で正妃は難しくても、妾としてはアリかも、とか。
そんなのフィルローゼが可哀想だ、とか。
色々考えてみても、俺にとっていいことは何一つ思い浮かばない。
いやもちろんフィルローゼにとって公爵家に嫁ぐのがこれ以上ないほどの玉の輿で、彼女のためになるとは理解している。
でも、それを俺は『兄』として認められるのか?
これから先もずっと彼女を守る『兄』で居たいのに。ずっとずっと、このまま隣にいて欲しい。
隣にいてくれるなら、何があっても守り続けられるのに。