12.『いいこと』
歌えないと責められたことを機に病んでいる彼女を慰めるように肩をなでつつ、気になっていたことを聞いてみる。
「そういえば、さっきのシュバイス夫人との話は、何があったんだ?」
「……にいさまには、関係ないことですわ」
俺にしがみついたまま、誤魔化すように顔を背けるフィルローゼ。
「……そうか」
このまま有耶無耶にしてしまってもいいものだろうか、と少し悩む。
彼女が不快に思う何かがあるのだとしたら解決してあげたいのだが、誤魔化そうとしているのに俺の話を聞いてくれるかな。
「じゃあにいさまはリリア嬢と話をしたかったの?
まだ沢山話をしたいと、そう思ったのですか?」
俺が言葉を選んでまごついている間にフィルローゼのご機嫌メーターはみるみる下がっていく。
パーティー会場のドリンクテーブルで見た、深い闇の色が見え始めた。
「いや、別に俺が話をしたかったんじゃないよ。
ただ単に、急に話を止めてしまったから驚いただけで」
「あの子に何て答えるつもりだったんですか?」
「……うん? 今のところ婚約者は居ない、と言えばいいんじゃないか?」
「『では私が婚約者になりたいわ』と、そう言われたらどうするつもりで?」
こてん、と首を傾げるフィルローゼは、紅い瞳に闇を秘めていて、なんだか人形じみている。
「そんなこと、急に言い出さないだろう。単にあの年頃の女の子は恋の話が好きなだけだよ」
「断らないのですか?」
上手く話が繋がっていない気がするし、彼女の言いたいことがよく分からない。
けれど俺がどう言うかは決まっている。
「断るよ。今俺には新しく家族になったばかりの妹が居るから、先の結婚のことまでは考えられない、って」
「そう。それはいいことですわ」
どの辺が彼女にとって『いいこと』なのかはあまりはっきりと分からないけれど、とにかく紅い瞳の闇が薄れて明るい色になったのはいいことだと思う。
「ほかの女と違って、私は『家族』ですものね」
念押しするように問われたから。
「ああ、そうだよ」
全く当たり前のこととしてそう応えたら、ようやくフィルローゼは満足げに微笑んだ。
☆。.:*・゜
「おい、そろそろいい女でもできたかー?」
パーティーから数日経ったある日、家に帰って早々に2番目の兄に引き止められた。
「シルビオ兄上、急にどうしたんですか?」
「いやいや、お前もやっと見習いから騎士に叙任されて、将来もある程度安泰なわけだろ。
次は相手を探して結婚だ。ってことで、良さげな相手はいるか?
居ないなら俺が紹介してやるぜ?」
真面目一本気で長男らしいユルゲン兄上とは違い、シルビオ兄上は軽い物言いで女性にも人気があるらしい。
もう既に婚約者が居て、結婚に向けての話も進んでいるから、俺のことを心配してくれているんだろう。
「今は自分の結婚について考えてはいませんね」
「そうだろ? だからわざわざこうやって話をしてるんだ。考えろ、ってな」
「そんなこと、急に言われても困りますよ」
いいなと思う相手が居ないどころか、そもそも女性と会話する機会自体がほとんどないのに。
「いや、お前はきっと困らないはずだ。
よーく考えて、自分が誰と一生を共にしたいか、決めるんだな。
いいか、よく考えるんだぞ、機会はそう巡っては来ないんだからな」
何度も念押しするかのように「よく考えろ」と言う兄上の真意が分からない。
しかも、言うだけ言って立ち去るかと思いきや、俺が考えるのをずっと待っている。
「兄上には、誰かおすすめの人が居るんですか?」
「まあ、居ないこともないが……。
ひとつアドバイスをしておこうか。
忙しい時間の合間を縫ってでも会いたい思うほど大切で、毎日顔を合わせて話をしたいと思うほど気が合う相手というのは、そうそう居るものじゃない、と言う事だな」
含みのある笑い方をされても、分からないものは分からない。
「どんな人でしょう」
「ま、それを考えるのも人生に必要なことなんだろうよ!」
かかか、と高い笑い声を残して去っていく兄上の後ろ姿を眺めながら、首を傾げることしか出来なかった。
今まで意識してもいなかったけれど、兄に言われて結婚について考え始めた。
すると、騎士団内の同期達は一斉に結婚へ向けて動き出していることに気がついた。
正騎士としての立場が確約されている俺たちは、結婚相手として女性達から人気があるらしい。
多少焦り出した俺に気づいた周りが、会うだけ会ってみないかと紹介してくれようともしたけれど、何となく気が向かずに断ってしまった。
理性では結婚相手を探そうと思っている。
でも感情は何故かそれを嫌がるんだ。
考えても考えても、自分が何をしたいのかが分からない。
どうしたらいいのか、どうしたいのか。
自分のことなのに何ひとつ分からないまま、日々が過ぎて行く。