10.社交
竪琴を買ってから二ヶ月ほど経ち、秋の気配が感じられるようになってきたころ。
母上との練習で、フィルローゼの竪琴の腕前は格段に上がっているらしい。
彼女に構ってあげたいのはやまやまなのだが、俺自身がとても忙しくなってしまっている。
それは、見習いから正規の騎士に昇格する時期だからだ。
仕事が忙しくてあまり家には居られず、居ても寝ているだけといった具合でフィルローゼと遊ぶことは出来ていない。
非番の日も何かと職場関連の用事が出来て出かけているから、フィルローゼとゆっくりできるのは昼番の日の夜の短い時間だけ。
それも遅くなってしまいがちだから、練習したとは教えて貰っても実際に聞かせて貰うことは出来ていない。
今日もまた、寝る前になるとふらりとフィルローゼが来てくれたから彼女を部屋へ招き入れ、いつものようにソファへ座る。
「にいさまは、あったかいですねぇ」
並んで座るとフィルローゼがぎゅっと抱きついてきて、嬉しい反面どうしていいか分からなくて戸惑う。
「あ、ああ。これでも鍛えているからな」
「最近夜は寒くなってきていますから、にいさまと一緒に居たら暖かくて心地よいんです」
うふふ、と綺麗に笑うフィルローゼが可愛すぎるけれど、鍛えた筋肉が暖かいだけで彼女に他意はないと自分に言い聞かせる。
「最近はどうだ? 困ったことはないか?」
少し強引ながらも話題転換に成功した。
「最近、ですか? 困ったことはありませんね。
今日はお義母さまだけじゃなくて、お義母さまのお友達とも一緒に竪琴を練習したんです。
皆さん色々な曲を知っているから、私は聞いているだけでとっても楽しいし、一緒に弾いたらもっと楽しかったんですよ」
「それは良かった。初めての人も居たのか?」
「はい。会ったことのある方もいましたけれど、ほとんどは初めての方でしたね。
私がすぐに曲を覚えて弾くからびっくりされちゃいました」
自慢げに言うフィルローゼは自分に自信を取り戻してきているようだ。
「初めての人と話が出来たのならそれは立派な社交だな。出来るだけ覚えておいて、次にどこかで会ったらきちんと挨拶するんだよ」
「お義母さまにも、覚えておくように言われたけど、私は音楽以外を覚えるのは下手だからあんまり上手く出来ないかもしれません」
しょぼんと下を向くフィルローゼだけれど、俺が何かを言う前に元気になった。
「でも、私は私にしか出来ないことをしたらいいと、お義母さまはそう言ってくれました」
どや、と効果音が聞こえそうなくらいの自信満々の表情を見せつけられたから、思わず彼女の頭を強めに撫でた。
「うんうん、フィルローゼは頑張ってるな。
えらいぞー」
「にいさま、私は子どもじゃないんですのよ?」
ガシガシと頭を撫でられてぷくっと頬を膨らませてはいるが、その頬が瞳と同じくらいに紅く染まっていることは隠せていない。
「それに、今度は竪琴と刺繍を楽しむ集まりに呼んで貰えたんです。私は刺繍も少しはやるけど、竪琴ばっかりだから、刺繍もやった方がいい、ってお義母さまが。
同じくらいの歳の女の子も沢山いるみたいだから楽しみなんです!」
「そうかそうか、良かったな。
無理はしない程度に頑張って」
「はい!」
夜のこの部屋に来始めたころにはそうそう見られなかったような輝く笑顔を見せて貰える機会が増えて、それは彼女が幸せに生きられている証だと思えた。
☆。.:*・゜
湖へ行ったり楽器屋へ行ったりしていた頃から半年近く経った今、ようやく仕事にも慣れて時間内に終わらせられるようになり、休日に動けるようになってきた。
収穫の後の徴税の時期も終わり、冬も厳しくなってきた今時分は貴族達の社交の季節だ。
それは我が家にも言えることで、父上と兄上達は様々な場へ出かけていた。
俺はと言えば、今までと大して変わらず社交には参加していない。余程社交に向いているとか家の事情でも無ければ、三男坊がパーティーへ行く機会なんてそうそうないからだ。
だけれど、今回は少し話が違う様子。
「あの、にいさまはパーティーへは行かれませんの?」
いつものように俺の部屋へやってきたフィルローゼがそう話を切りだした。
「あまり行く機会は無いな。父上と兄上達で充分だから」
「では、嫌いだと言うわけではないのですね?」
「別に嫌いじゃないよ」
そう言うと、彼女はあからさまにほっとした顔をした。
「わたし、初めて自分のお友達がパーティーに招待してくれたんです。
ほら、今まではお父様について行って余興として歌っているだけだったでしょう?
でも今回は違うんです。初めて、わたしが呼んで貰えたんですよ!」
「それは良かったな」
相槌を打ちながらも、俺の脳内では別のことを考えていた。
それは、パーティーには付き物の『パートナー』のこと。
フィルローゼは出自が微妙だから、デビュタントはしていない。社交界で知られてはいるものの、今回はデビュタントのようなものと言える。
そのパートナーを務めるのは誰になるのか?
そう考えただけで、架空の誰かを殴り飛ばしそうな衝動に駆られた。
フィルローゼにはもちろんパートナーが必要だし、それどころかいずれ誰かと結婚してこの家を出ていく。
それは彼女が俺の『妹』である以上、当たり前の事実だ。
それを理性では分かっているものの、感情は全くついてこない。
「パーティーに行くのに、パートナーはどうするんだ?」
きちんと考える前に口をついて出た言葉に、フィルローゼはにっこりと笑って返してくれた。
「デューアにいさまのお時間が合えば、一緒に行ってほしいのですけれど」
「俺と?」
「ええ。初めてのパーティー、デビュタントだってお友達も言ってくれましたし、それだけ特別な時ですから、デューアにいさまと一緒に行きたいんです」
「ありがとう! 俺を選んでくれて」
言葉よりも先に抱きついていた。
元々肌が触れるほど近くに座っては居たけれど、更にぎゅうっと抱きしめる。
「わっ、びっくりしました。
にいさまと一緒に行けるなら、とってもとっても楽しみ!」
急に抱きしめたから彼女を驚かせてしまったけれど、俺の腕の中から見上げてくる赤い瞳はらんらんと輝いている。
「絶対に予定を開けるから、一緒に行こうな」
「ありがとうございます! うれしい!」
塞ぎ込んでいた時期とは全く違う満面の笑みを見せてくれて、それがとても嬉しかった。
しかも、その笑顔は俺と一緒にパーティーへ行けるから、というもの。
それが嬉しくない『兄』が居るわけがないよな!