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第三話 「妖精さん」

「お前、森に行ってみたいとは思わないか?」


それを聞いた時、僕は思わず木のスプーンをスープの中に落としてしまった。ついでに左手で掴んでいた黒パンも机の上に転がった。


「いやな、午後から街に行かなきゃならん急用ができたんだ。それだけなら別にこんなこと言ったりしないんだがな。お前を家で一人なんかにさせたら、帰る頃には家が全焼してそうだなぁと思ってたりしてるんだ、俺は」


ガウルさんがジロリとこちらに視線を合わせた。目が鋭く光る。いつになく威圧的だ。


「......!」


心外だと口に出そうとした瞬間、最近自分が進めているプロジェクトのことが頭に浮上した。ベットの下に隠していた紙の束、それはまさしく以前見せてもらった幾何魔導の研究資料。どうやらガウルさんにはすでにバレていたらしい。まあ確かに家中の紙という紙を物色したから隠し通せるわけもない。


「お前な、俺がいないところで絶対に魔導式を発動させんじゃねえぞ。下手すりゃ、家が燃えるどころかお前死ぬからな」


「オウ……」


「幾何魔導ってのはな、詠唱魔法と違ってどんなやつでも恐ろしい魔法を行使できるから危険なんだ。詠唱魔法によって行使できる魔法の威力は常に発動者の実力に依存するが、幾何魔導はそうじゃない。あたりの魔力を限界まで吸い取ってでも実行されるからな」


「オウ……」


「オウオウ言ってないで質問に答えろ。お前は亜人種か?」


「オウオウ」


「オウオウ」


「「オウオウオウオウ」」


「よし元気そうだな行ってこい」




こうして僕は強制的に一日家を追い出された。


これが少し前の話である。






###






「んじゃ、俺は行ってくるから。言わなくてもわかるとは思うが森の深部には入るんじゃねえぞ。狼とか熊に襲われたいんだったら別に止めはしないが」


「はーい」


僕は静かにガウルさんが獣道の奥に進んでいくのを見送る。そのうちガウルさんの金髪が森の低木に紛れて消えていった。


「さて、何しよう」


何気に物心ついてから外に出るのは初めてである。窓からずっと眺めていた景色ということもあり少々浮かれている。


ガウルさんの畑にでも行ってみようか。

それとも森の中で植物でも眺めてみようか。


「いやぁーでも、なんかつまんないなぁ」


近くにあった良さげな木の枝を何となく掴んで森の奥に投げる。何かこう、もうちょっと面白そうなことはないだろうか? 例えばかくれんぼするとか剣の練習をするとか。いやそもそも相手がいなかった。生まれてこの方、一人のおっさん以外見たこないし、同年代の子供なんてもってのほかだ。


「街、楽しそうだなぁ」


今度は手頃な石を掴んで森の奥に投げてみる。




___ギャウン!




「うん?」


その瞬間、何かの鳴き声が石の投げられた茂みから聞こえた。それを理解した瞬間、全身に冷水をかけられたような衝撃が体に走る。あれ、僕何かまずいことをしたような……


予感は見事に的中した。茂みをガサガサと押し分け、一匹の狼が現れた。すっかり冬毛が落ち、病的に痩せたように見える灰色の狼だ。しかし、夏毛の狼というのはそういうものであって、その姿とは対照的な立ち振る舞いからは野性の力強さを感じさせる。それは僕に恐怖を覚えさせるには十分すぎる要素だった。


「うわぁあああああああああああああああああああああああああ!!!!」


思わず叫んで家の方に走り出す。しかしまだ成長しきっていないこの体で出せる速度はあまりにも遅い。大人の人間よりも速い狼にどうやって僕のような子供が勝てるだろうか? いや、そんなことを考えても仕方ない。ともかく家までは少し距離がある。あそこまで逃げ切るのは難しいだろう。ならば......


(木に登るしかないじゃない!)


走る勢いを利用して自分の背よりも少し高い枝に掴まる。反動で枝が軋むが構わず足を掛けて枝の上に体重をのせる。そのまま枝の上に立って他の枝を掴みつつ木の上に逃げていく。気づいた時には自分の背丈の4倍くらいの高さまで登っていた。ここまで来れば大丈夫だと思い下を見てみる。しかしそこには狼の姿はない。


「あれどこ行った?」


その時、背後の方でポキっと枝が折れた音がした。驚いて振り返ってみると、狼が木を登ってきているのが見えた。


「嘘ぉ!?」


よく考えてみれば自分が登ってきたこの木は根本あたりで二本に分かれていて、手がなくても登れるくらいの傾斜がある構造だった。確かに狼が登ってこれるのも納得だ。


「って、そんなことはどうだっていいんだよ!」


急いで木から飛び降りる。足にまとわりつくようなジリジリとした痛みが走る。ともかくどこか高いところに逃げよう。しかし現実とは残酷で、この辺りに僕が登れるような木は見当たらない。この辺りの殆どの木がまっすぐ伸びた針葉樹だからだ。


(ああ、終わったかも)


神様見つけるってこの前決意したばっかなのに。しかもまだ子供で、この世界についてもまだ知らないし、楽しそうな街にも行ってない。


……いや、まだ諦める時じゃないだろ。


神様、《全なる存在》は魔法を司るという。人にあって獣にないもの。それは魔法を行使する能力に違いない。ならば、この状況を打開する解決策になる可能性があるということ。自分が今使えるのは火の魔法のみ。それも実験の結果、詠唱魔法なら最大でも両手に収まるサイズしか作れないことが分かってる。それ以上は空になった桶をひっくり返す様に何も出てこないし、喪失感が募るばかりだ。だけど、その程度でも獣を驚かせて逃させるには十分。


振り返って手を突き出す。

魔力は体内から出た瞬間から減衰が始まる。噛まれるリスクはあるが、それよりも失敗した後のリスクの方が大きい。


「喰らえ! 《(マク)》よ、《顕現せよ(カトル)》」


目と鼻の先まで迫っていた狼の顔面に炎が重なる。

火から逃れようと狼の頭が左を向く。


しかし飛びかかろうとして空中にいた狼は今更その軌道を変更できるわけもなく、炎の中に頭を突っ込んだ。同時に前のめりに出されていた狼の足が僕の体を押し、両者地面に叩きつけられる形となった。


「どけ、この犬っころ!」


だが、まだ安心できない。急いで覆い被さってきた狼の体をどけて、家の裏手に回り込む。先ほどの火に驚いて逃げてくれればいいが、希望的観測だけを信じるのは禁物である。第二の策としてあれをやるべきだ。


近くにあった枝を拾い上げ、自分を円の中心として円を書き始める。


第二の策、それは魔導式だ。ガウルさんにも言われた通り、こっちなら自分でも狼をこんがり丸焼きにできるほどの火力を出せる。ガウルさんに魔法を見せてもらってから進めてきたプロジェクトを通して、ある程度範囲と強度を調整する方法もわかっている。


重要なのは魔導式を円状に三つに分けたパーツのうち真ん中、中心と外側に挟まれた部分だ。ここは詠唱魔法でいうイメージを定義するパーツで、今必要な火力や範囲を調整できる。つまり、より強力な魔導式を作りたかったら以前に教えてもらった魔導式の中側のパーツを書き換えればいい。


(まあ、これを知る代償に自分の部屋の天井が少し焦げたんだけど……)


魔導式を描くのに集中するべきなのに、何故か色々頭に浮かんで来てしまう。人は死ぬ前に走馬灯というものを見るらしいが、そういう類のものなのだろうか。いやいや、僕はまだ死ぬつもりないんだからそんなのフラッシュバックしたって意味ないよ!


「何にせよ、筆記完了!」


まだ狼は来ていない。やっぱり逃げたのだろうか。普通に考えればあんな風に顔面に炎を喰らったらたいていの獣は逃げるはずだ。だって、捕食できる対象は他にもいるし、殺さなきゃ死ぬという状況でもないのだ。何にせよ、自分が今どんな状況に置かれているのか知るために家の角から顔を出して表の様子を窺う。


「えぇ、まだイルゥ」


顔が少しだけ焦げてはいたが、未だにその狼は戦う気を削がれていないようだ。ただし、今回は随分と慎重になっている。やはり先ほどの攻撃が効いているのだろう。警戒しながらじっくりとこちらに一歩一歩近づいてくる。僕もそれにあわせて一歩一歩下がりつつ、仕掛けの方に狼を誘導する。


(よし、今だ!)


十分に狼を引きつけて距離を稼げた。これならば僕の足でも十分魔導式の方まで辿り着ける。クルリと体を回し、狼とは正反対の方向へ駆け出す。狼もそれを見て、僕の背中を目掛けて走り出した。


ほんの数瞬とも永遠とも思える時を経て、僕はいち早く魔導式の元に辿り着いた。そして再び僕に飛びかかってきた狼の姿を確認するや否や、直ぐに魔導式の外円の溝に両手を当てる。


「これで終わりだよ!」


全力で腕に力を入れ、強引に魔力を魔導式に流す。始めに外円が輝き、そこから中心に水が流れて行くみたいに輝きが伝播する。刹那、魔導式の直径よりも何倍も大きい炎の柱が立ち、飛び上がった狼を飲み込んだ。


それを見届けるとともに僕の足に力が入らなくなり尻餅をついてしまった。そこからは暫く魔導式があたりの魔力を使い切るまでただその炎の柱を眺めていた。なんとか生き残った。そういう達成感のようなものがさーっと体に巡る。心臓の鼓動が凪の湖のように穏やかになる。


だが炎が消えた頃、再び心臓の鼓動は先のような、それこそ火のように激しくなった。




___狼が生きている。




狼は小さな白い輝きに包まれて、無傷で空中に静止していた。一体どういうことだ。最初に放った炎では確実に顔へのダメージを与えていた。なのにどうして無傷というのか。そもそもなぜ浮いているのか。疑問が沸々と湧いてくる。しかし、その疑問はすぐに別の疑問によって打ち消された。


「あらら、立派な髭が燃えちゃったね」


右手の森から一人の人物が現れた。灰色のフードと真っ白な無地の仮面。背丈は僕よりも大きいけれど、ガウルさんよりは小さい。フードの隙間から見える髪は仮面と同じく真っ白で長い。声だけ聞けば少女のような高い声だ。誰なんだ、この人は。


いや、そもそも人なのだろうか?


仮面には視界を得るための穴がない。言葉をはっきり伝えるための口もない。ただ真っ白な楕円の仮面。人が被るにしてはあまりにも機能が欠如している。だけれど、言葉は鮮明に聞こえるし、地面に落ちている枝や石に躓く様子もない。ただひたすらに異様。


「今降ろしてあげるから」


そう言うとその人物は手に握られていた紙を破り捨てる。途端に狼が纏っていた輝く何かは失われ、そのまま狼は落下、その人物が広げていた腕の中に落ちた。


「君も大丈夫? 噛まれたりとかした?」


その人物は狼を撫でつつこちらへ歩み寄ってきた。不思議なことに先ほどまであんなに殺気立っていた狼は不自然なほどに落ち着いて、特にその人物を害そうとはしない。そして僕もまた、先ほどまでとは違う漠然とした安心感を得ていた。


「あの、あなたは?」


「私の名前を聞いているの?」


「ええ」


「そうね。逆にあなたは私を誰だと思う?」


普通に考えれば意地悪な質問だ。だけど、この人からはどこかのガウなんちゃらさんみたいな悪意は感じられない。ただひたすらに純粋だった。


「えっと……」


思考がまとまらない。そもそも初対面の相手に対して逆に私は誰でしょうなんて聞くものだろうか。そんなわけがない。そしたらすでに会ったことのある人物? そんなわけもない。僕は物心ついてからガウルさん以外の人と会ったことがないのだから。いや、そもそも人ではないとしたら? 《全なる存在》? でも、そんな感じはしない。


もしかしたら何かの化身だろうか?

だとしても全く心当たりがない。

いや、化身、何かの妖精?


妖精、、、


そう言えば一つ思い出したことがある。


小さい子供の前にはたまに他人からは見えない妖精が現れるという。そしてその妖精は大人になると消えてしまうそうだ。そんな存在だとしたら目の前にいる人物の不自然な点も説明がつくのではないだろうか。


「えっと、妖精さんですか?」


「妖精、ね。面白い考えだと思うわ」


「それじゃあ、妖精さんではないのですか?」


「否定も肯定もしないわ。ただ、もしも私が妖精ならば、きっと私は意地悪な妖精ね」


「そうですか」


不思議な人だ。いや、不思議な妖精さんだ。何にせよ目の前の存在を人と形容するには違和感がある。だから僕はこの存在を妖精さんと形容することにした。


「ねえ君、名前は確かランゲルくん、だったっけ?」


「よく僕の名前を知ってますね」


「ええ、私は君が小さかった頃から知っているもの。せっかくだったら、少しお話をしない? ここのお家の中には入れる?」


「いえ、今は鍵がかかっているので入れないと思います」


「そう? 少しその鍵を見せてくれない?」


「いいですけど、、、」


言われるがまま、僕はその妖精さんを家の玄関の前まで連れて行った。妖精さんはドアに刻まれた模様を眺めている。ここの家の鍵は物理的なものではなく魔法的なものだ。それも結構複雑そうな魔導式で閉められている。妖精さんなら開けられそうだけど、そんな簡単にできるものなのだろうか?


「結構単純ね」


そういうと妖精さんは一瞬で扉を開けてしまった。


「凄い……」


「そんなに驚くことじゃないよ。あなたも勉強すればこのくらいはできる。さあ、先に入って」


「はい。あ、そこ気をつけてくださいね。侵入者対策に罠が仕掛けられているので」


「あら、教えてくれてありがとう」


僕と妖精さんは、仕掛けを軽く飛び越えて廊下を進む。それにしてもさっきからこの妖精さんはずっと狼を持っているけど、重くないのだろうか。そして狼の方は万歳みたいなポーズをずっとしていて、それでいいのだろうか。心なしか妖精さんの前だと狼も小さな犬みたいに見える。


「そこに座ってどうぞ。今お水を持ってきますので」


「ありがとう」


妖精さんを居間のテーブルに案内する。そのまま奥の椅子を指さして座ってもらった。待ってもらっている間に水槽から水を汲んで木の器に入れる。


「どうぞ」


「随分と綺麗な水ね。井戸はなかったと思うけど」


「空気中から冷やして集めた水らしいです。井戸はめんどくさいからとガウルさんが。ああ、ガウルさんっていうのは僕のお爺さんです」


「そうなの。そのガウルさんは随分と生きる上で工夫しているのね」


「ええ、まあ。ところで話というのは?」


「そうだったね。私は君の夢について聞きに来たの」


「夢、ですか?」


随分と突然な話だ。初対面で自分は誰かと聞かれたのもそうだが、普通こんなふうに他人の夢を聞いたりするものだろうか。だけど相手は妖精さんである。一般の尺度で押し計れるものではないのだろう。


「《全なる存在》って知ってますか?」


「ええ、もちろん」


「僕は神様、その《全なる存在》に会ってみたいんです」


「いい夢ね。ただ、その神様は一度この大陸の一部を消し飛ばしたことがあるのよ。とある人たちに召喚されて。もしも君が神様に会うなら、それなりの代償を支払う必要があると思うけれど、それは一体どうするの?」


「それは、、、」


確かにその通りだ。ガウルさんも言っていたように、ウルド族は《全なる存在》を召喚して消滅したのだという。だけど僕は会ったことがある。あの白い空間で、その存在に。きっと召喚するだけが神様に会う手段ではないと思う。


「大きな代償を支払わない形で会う方法を探します。少なくとも僕が差し出せるもので足りるように」


「そう。厳しい道になりそうね」


「ええ」


「そんな君に一つの助言をするね。君はこれから大きくなってきっと普通の人よりも強くなるでしょう。そうなったら、あなたは善き道も悪しき道も一人で進めるようになるね。だけど、決して悪しき道を進んではいけないよ。その道は必ず君の身を滅ぼすことになるからね。だから善く生きなさい。親の言うことをよく聞いて、友達を、恋人を作りなさい。大切な存在はよりあなたを強く正しい人にするから。」


そう言い終わると、妖精さんは狼を頭に乗せて椅子から立ち上がった。


「綺麗なお水をありがとう。今日はこれで帰るね。また今度来るから」


「あ、はい」


玄関のドアがゆっくりと閉まる。妖精さんはそのまま消えていった。それとともに僕の意識は遠のき、木の器を自分の手でひっくり返した瞬間、完全に途切れた。






###






「あいつどこ行ったんだ、って鍵開いてんじゃねえか! おいおいおい、まさか自力で開けたのかよ?」


遠くから声が聞こえる。

ガウルさんの声だ。


「おーい、寝てんのかお前?」


声が近づいた。

世界が揺れる。

いや、体を揺らされてるだけだ。


「ハッ!」


「お、起きた」


顔を上げると、既に部屋は夕焼けのオレンジ色に染まっていて、随分と薄暗くなっていた。


「お前、自分で鍵開けたのか?」


「妖精さん」


「は?」


「妖精さんが開けた」


「いや、何言ってんだお前。夢でも見てたのか?」


「夢みたいではあった」


「はぁ?」


「なんか狼に追いかけられてたら妖精さんに出会った」


「そうかそうか、忘れてたけどガキって本来こんなもんだよな。ほら、さっさと起きろ。寝るんだったら自分のベッドの上で寝るんだな」


「はーい」




これが初めて妖精さんにあった日だった。




















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