第二話 「それを見つけると決意した日」
「さて、今から話すのは大馬鹿野郎の話だ」
「“オオバカヤロウ“って何?」
僕は頭を傾げる。言葉を喋れるようになっても今だに会話で使われる単語はわからないものばかりだ。
「ん、ああそうだった。お前は頭はいいがまだ言葉を覚える段階だったな。“大馬鹿野郎“ってのはここが悪い奴らのことだ」
そう言ってガウルさんは僕の頭をトントンと突いた。
「それって僕の話なの?」
「ちげえよ、大昔に実際に起きた歴史の話だ」
ガウルさんはどっこいしょというふうに床に座った。続けて僕にも正面に座るように促す。僕もその通りに体を崩して床に座り込む。
「せっかくの機会だ。この際に文字も教えてやるから、ちゃんと集中すんだぞ?」
ガウルさんは持っていた分厚い紙の束の一枚をめくった。現れたのは一枚の紙を丸々使ってリアルに描かれた大きな街の絵と、よく分からない記号群だった。どうやらガウルさん特製の絵本といった感じらしい。
「では始めよう。これは随分と昔、数百年前の話だ。ここから北の大地、より寒冷な気候の場所にバド族と呼ばれる魔術に優れた種族がいた……」
そうして、そのバド族の物語が始まった。場面が変わるごとにガウルさんは紙をめくり、次のページの絵を見せて、その時に起こったことを話してくれる。こんな風な感じに物語は昼から夕方になるまで続いた。まあ、文字を初めて習うものだからそりゃ時間がかかるに決まってるし、知らない単語が頻出したから質問もそれはそれは多くしたからね。
ということで、話が途切れ途切れに入ってきてしまったから、一旦自分なりにまとめてみようと思う。
数百年前、バド族と呼ばれる魔術に優れた種族が北の大地に住んでいた。彼らは基本的には人間と同じような見た目だったけど、唯一両手に世界の深層をみることができる“眼“のような器官を持っていたという違いがあった。彼らはその“眼“があったから“幾何魔導“、幾何学模様を用いて魔法を行使することに優れていたそうだ。そしてそれ故に人族にとって大きな脅威で、領土戦争がたびたび勃発してはその殆どが人族の敗北で終わっていたらしい。
でも、そんなバド族は今はもう存在していない。
彼らは幾何魔導学の研究の末、何か強大なる存在に遭遇して姿を消したという。それも、彼らがいた北の大地ごと。その日、空が緑色に発光して、恐るべき爆音と地響きと共に一瞬にして北の大地は消滅し、バド族も一緒に消えてしまった。その跡地は今でも北にある円形状の“消滅海域“として残っているのだそう。
「俺はその原因が《全なる存在》だと思ってる」
最後のページが捲られた時、ガウルさんはそう言った。
「《全なる存在》って?」
「《天玄の理の主》、《夢幻の函》、《観測者》、《原初の魔導》。色々と呼称はあるが、簡単に言えば神様ってやつだな」
「神様かぁ。でもなんで神様はバド族を消しちゃったの?」
「俺には神様の気持ちなんざわからんがな。神の高みに至ろうとしたバド族に対して怒ったからかもしれないし、もしかしたら神をこの世界に召喚しちまったもんだから、整合性が取れなくてぶっ飛んじまったって可能性とかが考えられるだろうよ。いずれにせよ、その原因が幾何魔導学の延長線上にあったことは間違い無いだろうな」
「ふーん」
何だか知らぬ間に御伽話テイストで進んでいた会話がアカデミックになってきたのだけれど、一体どうしてこうなってしまったのだろう。まあ、さっき学んだばかりの単語の復習になるから、頭が疲れること以外は悪いことじゃない。
「ところでさ、何でガウルは《全なる存在》と神様を分けて話したの?」
「いい質問だ。それは《全なる存在》が幾何魔導学において提唱されている仮説上の存在で、神様ってのはその辺のやつが言ってる色々できる存在という違いがあるからだな。まあどの道、本質的には似たようなもんだが」
「じゃあさ、《全なる存在》って結局何なの?」
「おま、ガキのくせに高度な内容に首突っ込みやがったな......しゃあない。ここまできたら全部説明してやろう」
ガウルさんはため息をついて、手に握っていた紙の束を放り投げた。また単語の質問されるのが嫌なんだろうなぁ、と察しつつ、甘えられるところでは甘えよう精神で容赦する気は一切ない。
「まずは前提として魔法とは何かを説明しようか」
そう言ってガウルさんが手のひらを上に向けた。
「《火》よ、《顕現せよ》」
その瞬間、ガウルさんの手のひらの上にメラメラと燃える炎が現れた。少し離れた場所にいる僕の肌にもその熱さが伝わってくるほどに大きい炎だ。凄い、自分でもやってみたいと思ってしまう。
「これが魔法と呼ばれるもののうちの一つ、《詠唱魔法》だ」
「すごい! どうやってやったの?」
「ただ言葉を唱えただけだ。お前でも簡単にできるぞ」
「ホント? じゃあやってみてもいい?」
「もちろんいいぞ。ただ俺の家を燃やすなよ?」
僕の心配は無しかと思いつつ、ガウルさんを真似て手のひらを上に向けて開く。後は言葉を唱えればいいだけ。そしたら簡単に火がつくらしい。ただ、若干怖いところもある。
「えっと、《火》よ、《顕現せよ》?」
そう唱えた瞬間、ちょっと怖くなって目を閉じた。しばらくして再び目を開く。そこにはガウルさんのやっていたような火は無かった。
「ハッハッハ、まあ最初はできねえよな。ランゲル、何でできなかったと思う?」
「発音が良くなかったから?」
「いや、違うな。発音は十分正しかったぞ」
「じゃあ何がダメだったの?」
「うーむ。それじゃあ、分かりやすく例え話をしてやろう。今お前の目の前には積み木があって、そしてそれを使って家を作ろうとしている。この時一体何が必要だ?」
「作り方とか、、、器用な手?」
「あーそうだな、作り方は大事だ。じゃあ、作り方を決定するには何が必要だ?」
「その家の構造を知っていること、どうやったらその家を組み立てられるかという知識?」
「まあそんなところだ。じゃあ、今の家を火に置き換えてみろ。いったいどうなる?」
「てことは火がどうやって燃えているか、とかどうやって火を起こすかとか?」
「へえ、なかなかいい思考してんじゃねえか。つまりだな、お前は単にそういった情報を含まず適当に唱えたからそうなったんだ。もっと明確な炎を考えろ。冬につけてた暖炉の炎を参考にしろ。炎はどうやって燃えるのか? その起点はどこだ? どこにその炎がある? 強さは? 大きさは? そういったことをイメージするんだよ」
そうか。確かに自分は発音を正確にすることだけに注力していて、その炎の具体的なイメージをしていなかった。なら今度は。
自分の小さな手のひらの上に収まるような火を思い浮かべる。強さは暖炉でゆらゆらと燃えていた炎くらい。あの時のじんわりと温かい温度、光、色。そう言った要素を全て考慮してイメージする。
「《火》よ、《顕現せよ》」
その時、体の中で何かが動いた。今まで停滞していた何かが流水のように流れ始め、体内を巡る。冷たいようで暖かい何かは右手の方に流れていき、まるで初めからそこには僕の手がなかったように何かが外に流れ出た。それは形を持たず、ただ感覚のみを残して消えていった。
「付いた……」
「ほー、2回目でこれとは優秀なやつだ」
手の上に想像した通りの炎が現れた。川岸に落ちているような丸っこい石くらいの大きさ。暖炉の炎のような暖かさに同じ光と色。匂いとか煙はないけれど、それは確かに本物の炎に見える。凄い、本当に想像通りの炎が付いたんだ。ところで、これどうやって消せばいいんだろう?
「そいつを消したかったら、炎が消えるイメージをすれば消えるぞ」
「あ、うん」
ガウルさんに言われた通りに炎を頭の中で消すと、目の前の炎も下からパッと消えた。同時に今まであった暖かさも無くなった。それにしてもガウルさんよく僕の考えてることがわかったな……僕ってそんなに顔に出やすいのだろうか?
「さて、詠唱魔法の概要はこんなところだ。次は俺の十八番、《幾何魔導》を見せてやる」
そう言うとガウルさんはどこからか取り出したとてつもなく細い炭の付いた筆記用具のようなものと、繊維の細かい小さな紙を取り出した。そしてその炭を紙の上で高速で走らせ、慣れた手つきで模様を描いていく。とてつもなく正確な模様だ。
「円は始まりの形、三角形は力の形、八角形は結びの形。火とは強い熱を発し、光を放ち、一定の法則に則り燃え盛る。そして今回、火は動かない」
そう言い終わる頃には、既に美しい幾何学模様が出来上がっていた。
「こいつは《魔導式》という。魔法を導く式ってことだな。基本的に図形によって構成され、必要な時には数を表す文字も使う」
「ホウホウ?」
「発動させる時には少しばかりの魔力を流せばいい」
「ん?」
あっさり言われたけれど、なんか色々難しそうで頭に入らない。ともかく、魔力を流すってどう言うこと?
「ああ、魔力を流すってのはな、さっき詠唱魔法を使った時に感じた流れを再現すればできる。まあともかくやってみろ。こればっかりは理論じゃなくて感覚だからなぁ。体が覚えるばで繰り返すしかないな」
「えぇ、、、」
先ほど感じた何かの流れ。それは魔力の流だという。先ほど魔力の流れを感じた右手を眺めてみる。ただの手だ。別に魔力が体から流れたといっても肉は避けていないし、血も流れていない。体という物を壁とせず、それを止める境界のようなものがない魔力。いったいそれをどうやって流せばいいのか。
とりあえず、それっぽいことをしてみよう。自分の手に持てる力をとにかく込めてみる。ぷにぷにとした自分の腕の下にあるはずの筋肉をフル稼働させる。五本の指を木の枝みたいに硬くさせる。段々と腕の芯が熱くなってくる。
「随分と力技だなぁ」
僕の動向を眺めていたガウルさんはそう言った。確かに力技だけど、分からないんだからそうするしかないじゃないか。
腕が熱くなる。段々と疲れを感じてくる。震える。そういった中で確かに手のあたりで沸騰した水から出てくる泡がじわじわ出てくるみたいな感覚を感じた。それに伴って、先ほどの魔力の流れの感覚に近い、停滞した何かが動き出すのを感じた。
「お、流れが始まったか? そんならこの紙に触ってみろ。絶対すぐに手を抜けよ、火傷するから」
言われた通り、力を込めて震える手で紙に触れる。その瞬間、魔導式の上に炎が現れた。熱に驚いて反射的に手を引く。先ほどの詠唱魔法によって現れた炎と同じもの。ただし、炎の揺れ方が随分と不自然に見える。炎の揺れ方が常に一定。息を吹いても炎は少し乱れるだけで、再び同じ揺れ方をする。そしてそのうち炎はパッと消えた。魔導式が描かれた紙が燃え尽きたのだ。
「紙が燃えちゃった。火に近すぎたんだね」
「いや、そいつは違うなランゲル。火に近すぎたわけじゃない。普通に寿命を迎えただけだ」
「寿命? 魔導式の寿命のこと?」
「誤解があったな。正確には紙の寿命だ。魔導式は発動する際に光と熱を発する。長いこと魔導式を紙で発動させてると熱で燃えるんだ。魔導式はその形状によって魔法を顕現させるから、形が失われた時点で魔法は消える。そんなところだな」
「うーん、頭が痛くなってきたよ」
自分から首を突っ込んでいてアレだが、思ったよりも難しい。少なくとも僕の頭は理解を拒むように発熱している。
「まあ、そうだよな。そろそろ結論を出そうか。ランゲル、今までの話を聞いて違和感を覚えたことはないか?」
「え、違和感なんてなかったよ?」
「考えろ、詠唱魔法と幾何魔導には決定的な違いが一つある。それはなんだ?」
詠唱魔法と幾何魔導の違い、それは何だろうか。今まで見てきた二つの炎について振り返ってみる。何か違和感があっただろうか......
「あ、炎の揺れ方が規則的だった幾何魔導に対して、詠唱魔法の炎は随分と自然、つまりいつもの炎みたいにゆらゆら揺れてた」
「悪くない。だが、その原因はなんだ? 魔法ってのは火を起こすだけじゃないぞ」
確かに魔法は火を起こすだけじゃない。さっき廊下で見たのは雷だった。他にも魔法はきっといろいろなことができるはず。じゃあそれらに影響を及ぼすような違和感の原因って何だろう。あの炎は随分と規則的だった。まるで初めから動き定められていたみたいに。でも、詠唱魔法の火は自然だった。とすると......
「幾何魔導ははじめから決められた通りの動きをする。一方、詠唱魔法は想像した通りのことが起きる。つまり、魔法が発動した後に人が関与できるか、できないかの違いがあるんだ! そうでしょ、ガウル?」
「んーまあ、間違っちゃいないぞ」
「何その微妙な回答。じゃあ答え教えてよ」
「結論は簡潔にしろ。今回の答えは人が考えるか考えないかの違いだ」
「え?」
一度整理してみよう。詠唱魔法は「唱える→イメージする→発動」の流れだった。一方、幾何魔導は「描く→魔力を流す→発動」の流れだった。確かにイメージするという行程を考えると言うなら、それぞれの違いは人が考えるか考えないかの差と言える。
「でも、この話がその《全なる存在》とどう関わるのさ?」
「分からんか。同じ現象が結果的に起きてるにも関わらず、人が考えるか考えないかと言う違いが発生している。もし、魔法全てにおいて考えるという行程が必須だった場合、幾何魔導で考えている存在ってなんだ?」
「……それが《全なる存在》ってこと?」
「そうだ」
「でもさ、おかしいよ。同じ行程が必要って仮定するなら、最初の時点から唱えると描くで異なってるじゃん」
「また仮定の話だが、唱えると書くはどちらも言語の基本的な要素だろ? 魔導式を一つの言語だと考えてみると、三角形や四角形だって一つの文字とできる。本質的には同じだとは思わないか?」
「うーん、でも……」
「もう一つの根拠も話そう。お前が魔法なしで火を起こしたい時、お前はわざわざ木の枝を拾い、木の棒と板を使って火種を作らなきゃならん。おかしいとは思わないか? 魔法ってのはそんな工程すっ飛ばして、言葉とイメージだけで火を起こすことができる。そいつは“あまりにも釣り合いが取れていない“。そこにこの世を支配する神、想像上の存在たる《全なる存在》が関わっていると考えるのは筋が通ってるとは思わないか?」
話を聞いて確かにそうだと思った。あまりにも存在の証明をするには仮定が多すぎるけれど、不思議と納得してしまった。魔導式を廊下で初めて見た時、不思議と懐かしさを感じたからかもしれない。自分はあまりにも普通じゃないからこそ、この状況を作れる全能的な存在に原因を求めるのかもしれない。
「ま、そろそろ夜も更けてきた。子供はおねんねの時間だな」
「うん」
ガウルさんは部屋を照らしていた明かりを指でパッと消した。今考えてみると、確かにこの部屋はいつも不自然に明るかった気がする。これも魔法の力なのだろうか。
「そんじゃ、いい夜を」
「いい夜を」
扉がゆっくりと閉まる。廊下を照らしていた光が段々と細くなって、ついには部屋は窓から入ってくる月明かりを除いて真っ暗となった。
未だに安定しない足を使ってベットまで歩く。今はもう、昔使っていたベビーベッドではなく、普通の小さな子供用のベット。その中に入って毛布にくるまる。まだ眠くはない。ベットに入ってから寝るまでの時間は随分と暇だ。何となく天上の木の模様を眺める。
目、目、目。
見れば見るほど、何か悍ましいものが木の模様から現れた。モゾモゾと動いているそれらは目を持っていて、こちらをずっと眺めている。怖い。子供ながらに恐怖を感じる。しかしそのうち、そんな木の模様の中から歪んだ八角形が現れた。真っ黒な八角形。元々は枝がついていた場所だろうか。
「結びの形、八角形」
ガウルさんの言っていた言葉を思い出す。八角形の“結び“とは何だろうか。言葉と言葉をくっつける“結び“だろうか。それとも......
結び。
恋人と恋人。
人とペット。
体とこころ。
生と死。
温と冷。
……僕と《全なる存在|》《・》
結ばれたものを考えるうち、そんなペアが生まれた。
僕と神様。
そんなのおかしなペアだってすぐに分かる。だけど、不思議と違和感がない。そして考えるうちに、一つのアイディアが頭の中に浮かんだ。
僕は《全なる存在》に会ったことがあるかもしれない、と。
あまりに突拍子もない発想だ。
でも......
僕が唯一覚えている最期の瞬間。眩しいほどの白い光に包まれた時、僕は何か神のような存在の片鱗を感じたような気がする。それはどこまでも壮大で、底が見えなくて、だけどそこには何もない空虚な感覚。幻覚とか、夢とか、そう言ったものの類と似ていた。そしてその時、途方もないものと共に何かしらの満足感を得ていた。決して普通の人間ではたどり着けないその境地に至ったことに僕は歓喜していた。忘れられないほどの感動、喜び、満足感。
そうだ。
僕の人生を賭けて《全なる存在》を探すことにしよう。
今はまだ小さな僕の背中に背負っているこの大きな後悔。
一番近くて、でも一番未知な僕という存在。
《全なる存在》に会ってみれば何かわかるような気がする。
振り上げられた小さな拳に、力が入る。
決して強くはない拳。
けれど意思はどこまでも硬く。
___僕は僕を知るために、この人生を《神》に賭ける。